大学を卒業してから東京の酒の問屋に4年間修行に行った。といっても大学も東京だったんですけどね。なんで醤油メーカーに修行に行かなかったかって、そりゃ親の命令。造ることは帰ってきてからでも覚えられるから、厳しい環境の中で売り方覚えてこい!って感じだったかな。
酒の問屋なので当然、ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン、焼酎・・・なんでもあった。当時からお酒は好きだったが日本酒だけは馴染めなかった。
それは本物の日本酒を飲んでないから・・と先輩に言われブームになりかけていた地酒を少し飲み始めた。
その頃、吉祥寺伊勢丹の地下にあった地酒専門の居酒屋に勉強のため?と称して通うようになった。お客の大半は50代前後(だったと思う)で20代の若造は黙っていても目立った。店の名前は忘れてしまったが、若造にとってはかなり高級な店だった。そこで選び抜かれた本物の日本酒を口にしてから日本酒に対する考えが180゜変わった。若造の給料では月に一二度しか行けなかったし、行っても腹いっぱいに飲んだり食べたりはできなかった。骨まで美味しい「カレーの唐揚げ」が絶品で、それを肴にして美味い酒をチビチビ飲んでたから、そのうち板さんたちにも覚えられて暖簾をくぐって店に入ると「今日はカレーは無いよ」なんて声を掛けられるようになった。
お金も無いのに無理して来ていると可哀想に思われたのか、女将が一升瓶の底の方に一合ほど残っている吟醸酒や純米酒をサービスしてくれたのを覚えている。お陰でほんとに日本酒が好きになったし、美味しいお酒は美味しい肴で・・・と思うようになったのもあの店のお陰。今、思い出しても結構いい値段の店だった。懐かしいなぁ。カレーの唐揚げ。
酒の問屋なので当然、ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン、焼酎・・・なんでもあった。当時からお酒は好きだったが日本酒だけは馴染めなかった。
それは本物の日本酒を飲んでないから・・と先輩に言われブームになりかけていた地酒を少し飲み始めた。
その頃、吉祥寺伊勢丹の地下にあった地酒専門の居酒屋に勉強のため?と称して通うようになった。お客の大半は50代前後(だったと思う)で20代の若造は黙っていても目立った。店の名前は忘れてしまったが、若造にとってはかなり高級な店だった。そこで選び抜かれた本物の日本酒を口にしてから日本酒に対する考えが180゜変わった。若造の給料では月に一二度しか行けなかったし、行っても腹いっぱいに飲んだり食べたりはできなかった。骨まで美味しい「カレーの唐揚げ」が絶品で、それを肴にして美味い酒をチビチビ飲んでたから、そのうち板さんたちにも覚えられて暖簾をくぐって店に入ると「今日はカレーは無いよ」なんて声を掛けられるようになった。
お金も無いのに無理して来ていると可哀想に思われたのか、女将が一升瓶の底の方に一合ほど残っている吟醸酒や純米酒をサービスしてくれたのを覚えている。お陰でほんとに日本酒が好きになったし、美味しいお酒は美味しい肴で・・・と思うようになったのもあの店のお陰。今、思い出しても結構いい値段の店だった。懐かしいなぁ。カレーの唐揚げ。