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業々ボーイズとマリオ君は可逆的である。

2007年01月20日 03時12分16秒 | カミングアウト論
 資質的に業々ボーイズ的な要素が強い人(日本文化の中では普通に生きる限り利得が少ないので少数派)、マリオ君的な要素が強い人はいますが、絶対的なものではありません。
 前にnobaraさんにコメントいただいたように、グラデーションもあるし、そのつどの戦略的な判断を人びとはしていますので、判断はそのつど異なります。業々ボーイズ的な要素が強い人でも、過剰な同調圧力を感じると自己主張をする利得が減りますので、同調的な行動戦略を選択することも多いでしょう。

 ゲイについてみても、そういうことは常に起こります。
 ゲイであることで深く悩んで、活動に関わってきた人たちの中でもそういう現象は起こりました。そういう人たちは、抑圧感をバネにして「本当の言葉」をもとめました。そこにあったのは、「あなたの生き方は間違っていない」「カミングアウトして可視化することによって社会は変わる」といった言葉たちでした。
 こうした言葉たちを実践している人たちには、ある種の潔さがあり、かっこよくも見えたものです。
 いまなら尾辻かな子さんがパブリックにそういう言説を広めているわけです。

 ところが、そういう「世間」に埋没すると、カミングアウト=善という意識になり、カミングアウトを半ば押し付けるような言説をするようになります。カミングアウトできる立派なぼくと、カミングアウトできない劣った君たちという構図を描くようになる。
 同性愛者の社会的な立場を向上させるための1つの手段としてのカミングアウトだったはずなのが、いつの間にか目的になってしまう。
 居場所をみつけるのは、人間にとってたいせつなことですが、居場所をみつけたとたんに「世間」に埋没してしまう。「世間」には、外を忘れさせる効能があるわけです。

 逆に、マリオ君的な要素の強い人でも、社会的な活動を始める人たちもいます。
 たとえば、エイズの予防啓発や感染者支援の活動をしている人たちの中には、感染者も多いと聞きます。彼らのなかには、感染するまではそういった社会的な活動に関心などなかった人も多い。何かのきっかけで、社会的な活動を始めてクローゼットから出てくることもあります。

 

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2 コメント

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Unknown (nobara)
2007-01-21 03:09:16
日常行動レベルでの行動の可逆性は、当然あると思いますが、生き方や価値観の面での可逆性は、それ程ないように思います。一度成長して社会性が上がった大人の人が、そうそう身勝手なガキにも、オトナを演じる無責任な同調者にも、戻れないように思うのですが、どうでしょう。まあ、人格的なダメージでも受ければ別ですが。
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そうかもしれません (玉野真路)
2007-01-21 21:20:28
一度、生き方が身につくとなかなかですね。
しかし、まあ、HIVに感染しちゃうとか、そういう大きなことがあると変わる人は変わります。もちろん、その程度のことではびくともしない人もいます。
人生いろいろですね。

でも、人は変われるっていうほうでw
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