前にスキゾーさんからいただいていたコメントについて考えてみようと思います。
会社で同性愛をバカにする話があったり、行きたくもないキャバクラにつき合うこともあるけれど、いちいち波風を立てて場を乱したくない。空気を読んで周りとうまくやっていくことの方が、自分らしいあり方だし、どんな場合も自分の言うことが通るものじゃないから、ここはガマンするのが大人のやり方。
スキゾーさんによると、マリオ君たちの「大人」の定義は「空気を読み、それを乱さないようにガマンできる人」ということのようです。これは、マリオ君からするとそうなります。空気が読めない人間は、大人の資格がない。
一方で、業々ボーイズからすると、「自分の言葉に責任を持つ」ということになります。空気に合わせた結果、自分が考えてもいない言葉を吐いたりしたら責任が持てないので、場を乱すことも辞さない。
マリオ君から見ると業々ボーイズ君たちは「空気も読めず、自分勝手なことばかりいうガキ」だし、業々ボーイズ君からみるとマリオ君たちは「ちゃんと自分の主張もできないガキ」ということになります。
マリオ君という命名の“思い”について補足させて
下さいね。「スーパーマリオブラザーズみたいで
かわいいし」と書きもしましたが、スーパーマリオには敬意を感じています。いつもけなげに飛んだり跳ねたりしながら一生懸命走り続けて…。アタシ自身が「世間」でやっていけない人間なので、「マリオ(ネット)君て大変、すごい」って、尊敬します。もちろん“業業”への尊敬は言うまでもありません。(アタシらはみんなこれらの濃淡、と書きはしたけど)アタシ自身は「マリオ君」にも「業業」にもまともになれないので、両者を尊敬している、っていう点を、はっきり言っておきたいです。一人ひとりの「業業」が命がけなら一人ひとりの「マリオ君」も命がけ、なのでしょう。(ところで、のちのちの議論で、「マリオ」「業業」に各人が自分の解釈・他意をこれらの名前に読み込んでしまうおそれがあるので、議論の厳密性からするとA群・B群の方がいいかもしれません。ただ、名前がもたらす<ブレ>も愉しんじゃおう、っていうのもアリでしょうけど♪)
業々ボーイズはキャラを使い分けるマリオくんに学べばいいですね。いっぽう、マリオくんが業々ボーイズに学ぶことは…、反面教師だけにはなりたくないですね。
ここに書いているほどはっきりしたマリオ君や業々ボーイズのキャラクターを持っている人はそう多くないと思います。だいたいの人は、その濃淡の中で時により使い分けているんでしょう。
とくに尊敬するようなもんでもなく、生まれついたキャラクターによってそうなっているというくらいのもんです。
ただ、なかにはある種の「覚悟」をもっている人もいます。
どっちの立場にしろ、「覚悟」を持っている人には尊敬が集まる可能性が高いし、そうじゃない人はただ単にそうであるというだけの話ですね。
マリオ君には「公共性」とか「正義」とか「良心」とかはなくて、その場その場での損得勘定だけで行動をするんで、社会制度などの設計をしたりすることはできません。それから、表に出てはこないので常にフリーライダーでしかない。
政治の場面では、そういう人たちが多いのは仕方ないとしても、マイノリティが政治的な動員をかけないといけない場面になってくると、そういう人たちを動員する方法を考える必要があります。