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 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

川端康成の「信仰」と「自己嫌悪」について

2022-11-18 00:58:57 | Weblog

 川端康成の「BL作品」として「少年」が文庫本として刊行されたのであるが、本物のBL作品として読んでみたもののがっかりする読者もいるのではないかと思うが、「レベル」というものは様々だから仕方がないとも思う。例えば、大正6年1月18日付の文章を引用してみる。

「昨夜消燈四十分ほどして暗い冷たい寝床に入ると、それまで起きていた清野が腕や胸や頬で、私の冷え切った手をあたためてくれたのが実にうれしかった。今朝、熱い長い抱擁。誰が見たって変に思うだろう。清野がなんと思ってしているのかさっぱりわからぬ。しかし私にはこれ以上のことは求め得られないのだ。」(p.109)

 川端は大正十年の八月、二十二歳の時に嵯峨の清野の家を訪れているのだが、「私は三日目の午前、朝の祈りをすませた清野少年に別れを告げて山を逃れた。/異端者の私にはいづらかったし、大本教の匂いが息苦しかったからである。」(p.71)川端はどうも大本教に良い印象を持っておらず、「開祖の婆さんからして山姥のようだったのだろう。二代目、三代目と言っても、ただ開祖の娘、そのまた娘というに過ぎないのだろう。これが生神さまか。お筆先やその他の勿体づけでありがたがっている女であるか。/二階の廊下から見おろしたところでは、少しも気品がない。恰好にしまりがない。信仰の的とあがめられ、あるいは自ら信仰に深く生きている人ならば、体のどこかに、精神の輝きとか、高さとか、美しさとか、静けさとか、あるいは穏かな平和とか広い慈愛とかが、現れていそうなものである。私は幻滅するよりも、本物の教祖かと疑惑した。」(p.49-p.50)と言いたい放題なのである。

 川端は以下のようにも書いている。

「私の元の室員の清野少年は私に帰依していた。自分に対する帰依に出会って、最も強く私は自分を浄化し純一することが出来て、新しい精進を思うのである。私は帰依のなかに初めて安々と楽に眠り得るのであろうか。帰依という鏡のなかに写る自分の姿を眺めていないと、私の精神は曇るのであろうか。」(p.120)

 「少年」とは川端の、自分自身と出口なおを始めとする教祖たちの比較を通しての、同性愛というよりも信仰に関する問題提議だと思うのだが、大本教の評価そのものが川端本人の評価につながることになり、清野に対する愛情が自身を苦しめることになったように思うのである。
 
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otakuma/trend/otakuma-20220228_06


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