原題:『你好,之华』
監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:神戸千木
出演:ジョン・シュン/チン・ハオ/ドゥー・ジアン/チャン・ツィフォン/ダン・アンシー
2018年/中国
「何者」かになる手段について
『ラストレター』(2020年)と同じ物語なのだが、本作の方が先に制作されている。
『ラストレター』の演出の甘さは既に書いた通りで、本作においても例えば、小説家でネットの記事を執筆しているイン・チャンがユアン・チィナンの実家に手紙を送り、それをチィナンの娘のムームーとチィナンの妹のチィファの娘のサーランがチィナンを装ってチャンに返信するのであるが、ムームーとサーランがどのようにして上海のチャンの住所を知り得たのかよく分からないのである。
しかし『ラストレター』では分からなかった本作の主題は分かったような気がする。ムームーの弟のチェンチェンは祖母(チィファの夫のジョウ・ウェンタオの母親)をマッサージしている時に祖母がぎっくり腰になり入院沙汰になってしまう。その事に動揺したチェンチェンは母親が亡くなったばかりということもあり家出をしてしまい、警察の世話になるのだが、要するにイン・チャンもチィファの夫だったジャン・チャオもチェンチェンでさえ女性に対して「何者」かになろうとして失敗しているのである。
そしてラストにおいて朗読されるイン・チャンが書いた小説『チィナン』とチィナンが2人の子供に残した遺書にも書かれていた文章は中学校卒業時にイン・チャンとチィナンが共同で書いた答辞で、つまり「何者」かになれるのは決して一人ではなく協調することで初めて成り立つことなのであるということが本作を通じてようやく分かった次第である。