MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『岸辺の旅』

2015-10-13 23:47:43 | goo映画レビュー

原題:『岸辺の旅』
監督:黒沢清
脚本:黒沢清/宇治田隆史
撮影:芦澤明子
出演:深津絵里/浅野忠信/小松政夫/村岡希美/奥貫薫/柄本明/蒼井優
2015年/日本・フランス

「清」が「明」になれない原因について 

 『GONIN サーガ』(石井隆監督 2015年)をとりあえず一流の「B級作品」とするならば、冒頭から風によってカーテンが舞う本作は、そのような言葉があるかどうかはともかく一流の「A級作品」と言えるであろう。実際に、その後の無駄の無いカットや生のオーケストラの使い方など非の打ち所がないのであるが、技巧に勝ちすぎているのではないかということを論じる前に気になったことを書いておきたい。
 『文学界』11月号で黒沢清監督と映画批評家の蓮實重彦が「幽霊が演じるメロドラマ カンヌ受賞作『岸辺の旅』をめぐって」というお題で対談をしている。蓮實は作品の冒頭から「滂沱の涙」を流したと告白しているのであるが、それは膨大な作品を観続けてきた蓮實だからこそできる「技」であって、私のような一般人には内面を喪失しているゾンビが主人公の作品に共感して「滂沱の涙」など流せない。分かりやすく言い換えるならば本作に感動するためには『サザエさん』を見ながらオナニーが出来るくらいの鋭い感性が要求されるのである。ただ、新聞販売所を経営している島影に再会するシーンにおいて主人公の優介が瑞希を「実母です」と紹介して完全に2人にスル―されてしまったギャグがスベる場面は面白いと思った(その後、DVDで確認したら「うちの妻です」だった)。
 対談で黒沢が「恥ずかしい話、二時間を超えて(128分)しまったんですね。」と「懺悔」したことに対して、蓮實は「黒沢清監督作としてはまれにみる長さなんですよね。『アカルイミライ』(03)の日本版が一時間五十数分、それよりももう少し長い。ただし、ダレた印象は全くなく、長いとは一瞬も思いませんでした。」(p.21)と語っているのであるが、これはおかしな話である。「(前略)これは声を大にして言わなきゃいけないんだけど、一本の映画を撮るにあたって上映時間が二時間を超えてはならないというのは、踏み越えてはならない決定的な線だと思っているんです(笑)。」(『映画時評 2012-2014』講談社 2015.7.8 p.252)と述べているのだから、蓮實は教え子の黒沢を叱責しなければならないはずなのである。黒沢はそのことを知っているから「恥ずかしい話」として告白しているはずなのであるが、蓮實は「それよりももう少し長い」と言い換え2時間を超えていることを曖昧にしてしまっている。さらに蓮實が「間違っても見損なってはならぬ」(同書 p.142)と絶賛している『ニシノユキヒコの恋と冒険』(井口奈己監督 2014年)を黒沢は見損なっており、『ニシノユキヒコの恋と冒険』に関して、「贅沢な不満を書かせてもらえば、それは二時間を超える上映時間にかかわる問題だ。すべてが一一〇分で語られていたなら、もっと見ていたいという余韻を断ちきる途方もない傑作が誕生していたはずだからである。」(同書 p.144)と指摘しているのだが、『ニシノユキヒコの恋と冒険』は二時間を2分ほど超えただけで、『岸辺の旅』の8分超えに比べれば良心的であるにも関わらずこの言いざまで、それならば上映時間が2時間を超えることと作品の質は是々非々の問題でしかないではないのか。このように蓮實の批評は他人の作品には細かい点にも容赦がないのに、教え子たちの作品に対しては異常に甘く、蓮實重彦の映画批評が信用しきれない原因であり、その気分次第、観方次第の批評が災いして「清」は「明」のような大衆性を得られなかったのではないだろうか。(続く)


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