原題:『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド・オブ・ザ・ワールド』
監督:樋口真嗣
脚本:渡辺雄介/町山智浩
撮影:江原祥二
出演:三浦春馬/長谷川博己/水原希子/本郷奏多/三浦貴大/桜庭ななみ/石原さとみ/國村隼
2015年/日本
作品の評判と作品のメインテーマが重なる原因について
てっきり後篇は巨人の正体が「考察」されると思っていたのだが、まさか「変身物」になるとは想像していなかった。映像に不満があるとするならば、エレンとシキシマが対峙する「白い部屋」が小さすぎるところで巨人がメインの作品なのに急に規模が小さくなってしまう印象が拭えない。
相変わらず評判は芳しいものではないが、ある記事が気になった。『週刊文春』8月27日号の「春日太一の木曜邦画劇場 第156回」で「『進撃の巨人』公開中! このオマージュを見逃すな」という副題で『肉体の門』(五社英雄監督 1988年)を取り上げているのであるが、そこで本作の試写会の後で春日が脚本を担った町山智浩とメールでやり取りをしたことが書かれてある。『進撃の巨人』には随所に過去の日本映画へのオマージュがちりばめられており、「町山氏がオマージュを捧げたのは、本作のどの描写か。実は本文中の解説にそのヒントは埋めてある。両作品を見比べていただくと答えはすぐに分かるので、この機会にぜひ確認してほしい。この意外性、独り占めするにはあまりにも惜しい。」(p.109)と結んでいる。
この「『肉体の門』を観なければ『進撃の巨人』は理解できない」感が私には気になる。何故『進撃の巨人』の良さを知るためにわざわざ『肉体の門』など他の作品を観なければならないのか。樋口真嗣監督の某映画批評家に対する批判や脚本の書き方の背後にある「巨人」たちの「上から目線」に対する、観客である若者たちの「反抗」が皮肉にも『進撃の巨人』のメインテーマと重なっているように見えるのである。但し、海外ならばそのような「しがらみ」は一切無いから受けると思うのだが。