ウッデイクン残日録   日残りて昏るるに今だ遠し   

歳だからという固定観念を捨て、残りの人生、やりたいことをやりたい

民主主義はいいのか?

2018-08-09 | 政治

道東はいいですねー

暑い暑い夏、少し頭を冷やしたくなって読んだ本があるので紹介しよう。
藤原正彦著  「国家の品格」
その本に書かれているのがタイトルの主張となっている。
いわく、主権在民の前提は国民が成熟した判断ができることが前提でなければならない。

民主国家となっていたヒトラーのナチスドイツ、第二次世界大戦、
これらの戦争はヒトラーや日本軍国主義、ルーズベルトなどが勝手にやったことではなく
圧倒的な国民の支持のもとに始められた戦争である。
ブッシュアメリカのイラク戦争も開戦時は76%の米国民が支持して始められたが、
2年後の支持は35%と半分になって批判されている。
すなわち民主国家の国民による判断とはまともな判断が期待できないのが実態ではないか。
この国民の判断を左右しているのはほとんどがマスメデイアであり、これをうまく利用した
政治家が国の方向を導いているだけと考えると民主国家も独裁君主国、宗教国家もあまり
変わらないといえそうだ。

藤原氏は数学者であるが、論理の力を疑い、情緒、形というものの意義を考えるべきだという。
つまり、合理的経済的というものを優先した考えより、社会、文化、国民性を大事にした
人間性を育成することが必要だと主張する。
世界の総GDPの7-10倍ものデリバテイブが世界金融を動かし、これをうまく運用する
一部の富裕層に富が集中する現状にストップがかけられず、トランプを生んだのも民主国家なのだ。

涼しくなるよりますます熱くなってきた?それとも背筋がさむくなってきた?

どうすりゃいいの、この猛暑

2018-08-06 | 日記

道東 原生花園

猛暑、酷暑、とにかく人間生活ができない環境になっている。
どこかに逃げ出したくなる時に常に浮かぶのが道東の快適な夏だ。
この暑さの中でも、釧路周辺の最高気温25度以下、平均的には
最低15-17、最高20-23度くらいの快適気温。
安い中古の一戸建てを買って、6月ー9月の猛暑の期間を避難する
ということを夢想する。

でもこの避暑逃避について考えると、リタイヤの頃に読んだリタイヤ
移住の例を思い出す。
あるサラリーマンがリタイヤし、老後を快適に過ごそうと計画して
網代周辺に温泉付きのマンションを購入、目の前の海で釣りをしたり
近くにあるゴルフ場でゴルフを楽しみながら余生を送りたいと考えた。
奥さんと一緒に東京から移り住んだが、間もなく奥さんは友達もいない
単調な生活に嫌気がさして、東京に戻ってしまった。
ご主人は意地になって一人網代のマンションに残っていたが、やはり
友達もなく、釣りをしても飽きてしまって昼間から海を眺めてお酒を
飲むという生活になり、1年後には立派なアル中になってしまったという。

やっぱりクーラーの部屋で、道東の生活を夢見ながら暑さをやり過ごすしかない。
この暑さの中甲子園が始まったが、2年後のオリンピックに熱中症続出で
バカげた政治ショーが見直されるかな?

私の宗教感

2018-08-04 | 日記


酷暑の夏、流氷の海を眺めるだけでも涼しくなります


オーム死刑囚13人の死刑執行がなされ、マスコミのにぎやかさも少し落ち着いてきたので
一言書いてみたくなった。
オームに限らず、宗教というものは信仰が深くなればなるほど、教祖以外の人のいうことが
受け入れられなくなる傾向があり、どの時代においても周囲から疎んじられるようだ。
信者の数が少なく信者の数を増やそうとする行動が過激になるとオームのようになるが、
ISのテロ行動なども似たようなものだと思う。
宗教のトップに立つ指導者は、自分の考え方を信者が受け入れ支持してくれる中に与えられた
自分の権力を意識し、それをさらにに大きくしようとするのではなかろうか。

前にも書いたが、私はけっして無神論者ではないと思っている。
しかし、ある特定の宗教の信者になるという形にははまりたくない。
なぜなら宗教宗派の形をとる団体はほかの宗教宗派の存在を認めたがらないし、まして
他の宗教の”社”にお参りすることを認めたがらないが、神様はそんな存在ではない
と思うのだ。
世界の多くの争いの元が宗教対立であるのは古今の事実で、それは信者たる人間が争い
憎みあうものであって神様が望むところではないはずだ。
神に祈りをささげるとき、手を合わせる対象物が欲しいわけで、それが宗教の形を
とることには異を挟まないが、人により場合によりいろんな形があっていい。
熱心な信者という人には申し訳ないが、もっと穏やかな宗教観が持てないのだろうか。

心の余裕

2018-08-02 | 日記

かつて義母が趣味として作った押絵  今も私の寝室に掛けてます


新聞のコラムにのっていた記事を紹介
コペンハーゲンの空港で工事中の道路があり、通れないエリアでの説明文
「この空港は変わろうとしています。成功への道はいつも建設中である」
日本なら平身低頭お詫びの看板がある所だが、一言のお詫びの姿勢もなく。
スウエーデンの駅で列車を待っていたら直前になって運休のアナウンス。
駅員に聞くと「15分後に同じ方向に行く電車が来ますから」と愛想よく
にこにこ顔で言われこれまた謝罪はない。
日本なら客によっては「どうなってんだよ!たるんでるんじゃないのか」
と文句をつける人もでてくるところだが、北欧と日本の心の持ち方、余裕が
違うということを実感したとのこと。
日本のサービス業の生産性は他国に比べて著しく低いということだが、
顧客クレームへの対応に配慮しすぎているのも原因ではないかと結んでいた。

日本の戦前は物言わぬ民で、戦後アメリカの個人の権利主張の真似をしすぎた結果
小学生まで文句をつけることになっているようだ。
自分の意見をいうのと、サービスに対するクレームは全く別ですよね。
・・・アベ政治に文句をいうのはどっちでしょう??