ウッデイクン残日録   日残りて昏るるに今だ遠し   

歳だからという固定観念を捨て、残りの人生、やりたいことをやりたい

私の宗教感

2018-08-04 | 日記


酷暑の夏、流氷の海を眺めるだけでも涼しくなります


オーム死刑囚13人の死刑執行がなされ、マスコミのにぎやかさも少し落ち着いてきたので
一言書いてみたくなった。
オームに限らず、宗教というものは信仰が深くなればなるほど、教祖以外の人のいうことが
受け入れられなくなる傾向があり、どの時代においても周囲から疎んじられるようだ。
信者の数が少なく信者の数を増やそうとする行動が過激になるとオームのようになるが、
ISのテロ行動なども似たようなものだと思う。
宗教のトップに立つ指導者は、自分の考え方を信者が受け入れ支持してくれる中に与えられた
自分の権力を意識し、それをさらにに大きくしようとするのではなかろうか。

前にも書いたが、私はけっして無神論者ではないと思っている。
しかし、ある特定の宗教の信者になるという形にははまりたくない。
なぜなら宗教宗派の形をとる団体はほかの宗教宗派の存在を認めたがらないし、まして
他の宗教の”社”にお参りすることを認めたがらないが、神様はそんな存在ではない
と思うのだ。
世界の多くの争いの元が宗教対立であるのは古今の事実で、それは信者たる人間が争い
憎みあうものであって神様が望むところではないはずだ。
神に祈りをささげるとき、手を合わせる対象物が欲しいわけで、それが宗教の形を
とることには異を挟まないが、人により場合によりいろんな形があっていい。
熱心な信者という人には申し訳ないが、もっと穏やかな宗教観が持てないのだろうか。