ケンのブログ

日々の雑感や日記

岐阜県も緊急事態

2021年08月25日 | 日記
今日の新聞に岐阜県も27日、つまり明後日から緊急事態宣言の対象地域になると書かれている。

ああ、またか、と思う。

具体的にどのくらいの制約を受けるんだろう。あまり考えたくないけど、、、。

ちょっとショックなのは滋賀県も緊急事態宣言の対象地域になっているということ。

僕の記憶では滋賀県が緊急事態宣言の対象地域になるのはこれが初めてと思う。

実は僕、大阪で緊急事態宣言に巻き込まれた時、息抜きによく滋賀県に行っていた。

それで意外な発見もあった。

たとえば、以前はひとくくりに大津市と思っていたけれど、大津って、どこが中心か意外とわかりにくい場所。

コンサートホールなど文化施設は大津の駅が近い。

しかし、その他にも瀬田 石山などの駅が市内にあり、駅ごとにガラッと雰囲気が変わる。

瀬田は割と下町っぽい感じ。

瀬田の中華料理のチェーン店、本当に下町の店舗という感じの独特の雰囲気があってそれなりによかったな、とか。

ここの駅の売店で、真面目な顔をして商品を探していたら
突然若い男の人に声をかけられた。
「あなた、仏教を信じていますね、私にはわかります」と。

僕、頭が丸刈りだし、おにぎりを買う時も、おかかにするか、昆布にするか、シーチキンマヨネーズにするか、鶏めし五目煮するか、わかめにするか、結構商品をじっと見ながら真面目に考える癖があるので、きっと神妙な顔をしていて、仏教を信じているように見えたのだと思う。

まあ、実際に仏教も信じているけれど、いわゆる仏教徒ではないので、「仏教を信じていますね」と言われてもこまってしまう。それに、ちょっと、ほんの少しだけ危ない感じの人だったので、僕は何も言わすに軽く会釈してその場から立ち去ってしまった。
※危ない人、というのは別に怖い人と思ったわけではないのでその点は付記しておきます。

でも、瀬田の駅ってなぜか妙にそんな人もいそうな雰囲気があるのもまた事実でおもしろいなと思った。

石山もまた瀬田とは雰囲気が違う、瀬田よりも雰囲気が小綺麗。

具体的な会社名は忘れてしまったけれど、名前を聞けば誰でも知っているような有名な会社の工場があった。

有名企業の工場があることと関係あるかはわからないけれど、石山駅の周辺はホントにちょっと小綺麗な感じで、さすがは昔の急行停車駅と思ってしまう。
(父の職業の関係で岐阜と神戸の間を在来線の急行で何度も行き来したので、昭和40年代の滋賀県内の急行停車駅を今でも覚えている。今の新快速の停車駅は、基本、昔の急行停車駅で、それにプラスして新興住宅地の開発が進んだ駅ということになる)

そういえば、昔、「急行の停まる駅にはオーケストラがあっていい」というセリフが出てくるインスタントコーヒーのコマーシャルがあったっけ。確かコーヒーのコマーシャルのキャッチフレーズだった「違いが分かる男」に指揮者が登場するバージョンだったと思う。(なんで、そんなこと覚えてるんやろう、、)

まあ、滋賀県は琵琶湖があるという地理的条件があって、湖沿いに街が発展するから、大津市の中にも東西に、いろんなエリアがあるという感じになるのだと思う。

滋賀県は電車では頻繁に通っていても駅で降りて歩いたことがなかったので結構、いい経験になった。

その滋賀県も緊急事態宣言の対象地域になるのかと思うと、本当に、今も関西にいたら、息が詰まりそうになったとき、どこに行ったらいいのだろうと考えてしまっただろうと思う。

そんな中、パラリンピックも始まったと新聞に出ている。

無事に終わりますように。

緊急事態宣言も無事に過ぎますように。

いちにち いちにち無事に過ぎますように、それを第一に願っていきたい。








だんだん変わっていくように

2021年08月24日 | 日記
何日か前に日経新聞にコロナ禍ではなくコロナ下と書いてあるのを見つけた。

今日の朝日新聞の一面にもコロナ下と出ている。

それで読売新聞を見たら広告のところでコロナ禍と出ていたけれど、本文はコロナ下となっているようだ。

やっぱりコロナ禍という表記からコロナ下という表記に改まっていってるのだと思う。

本当にコロナ禍 の禍(わざわい)という字を見るたびにいやだなと思っていたので、できればコロナ下に改めて行ってほしいと思う。

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大学の医学部の定員に、感染症枠を設けるという話が新聞に出ている。

長年、予備校に勤めていた経験からくる直感なのだけれど、こういう時勢に乗って作った定員って、時勢が変わると結局、元の木阿弥になることも案外多い。

今回はどうなるのだろう。

まあ、医学部には縁のない僕にとってはどうでもいい話だけれど。

でも、もし、僕がまだ若くて医学部を目指すほど頭がよかったとしたら、こういう時勢にのった定員枠で入学することには案外、慎重になるような気がする。

時勢の流れによって有利になるかそうでないか読みきれないから、、、。

時勢の流れではなく、逆に、ある意味、時勢を作る目的で作られた、法科大学院が結局あまりうまく機能しなかったことを思い出してしまう、、、。

まあ、理系と文系を比較するのはあまり意味のないこととは思うけれど、、、。

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裸の王様 というアンデルセンの童話あったと思う。

あれって、本当は王様は裸だけれど、みんな怖くてそれを口にできない。

なので、みんな王様のお召し物は素晴らしいと口々に言っている。

ところがある少年が「王様は裸だ」と叫んだのをきっかけに、みんなが「そうだ、王様は裸だ」と口々に言い始める。そんなストーリーだったと思う。

新聞に、パラリンピックで使うある球技の球を手袋をはめて扱う大会関係者の写真が出ている。

手袋をして、道具を扱う、お金をトレーに入れて受け渡す、そんなこと意味あるのだろうか。

実は、もう大半の人が、そんなこと意味ないと思っている。
でも相手は、目に見えないウイルスだから、もし、「あんなの意味がない」と言っても、もしそれで自分が感染症になったり、あるいは同じグループから感染症が出たりしたらとても責任がとれないから、怖くて口にできない。案外、それが現実なのではないかと思うようになってきた。(個人の感想です)

なにかのきっかけで、あんなの意味ないという声がむしろ、多数を占めるという時がくることも十分にありうるのではないか。


そんな気がする。

とはいっても、こういうことは結局、時がすぎるのを待つしかない。

いい方向に時が過ぎていくようにと願っている。

そして、いちにち、いちにち、無事で過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



東海地方も緊急事態か

2021年08月23日 | 日記
今日は多分雨はふらないだろうと思って過ごす日から随分遠ざかったなと思う。

雨が一日中降り続くわけではないけれど、ちょっと降ったり、一日のどこかで雨が降るという日がずっと続いている。

こんな夏めずらしいなと思う。(もう秋だけど)

岐阜県が、愛知県 三重県とともに東海三県で緊急事態宣言を国に要請するという内容のニュースが新聞に出ている。

こういうときになると、三重県って微妙に、関西にいてもニュースになるし、東海地方にいてもニュースになるなと思う。

それはさておき、また緊急事態宣言って、コロナにうんざりしているのか、緊急事態にうんざりしているのかわからなくなってくる。(個人の感想です)

店員の方がゴムの手袋をして接客しておられるお店がたまにあるけれど、意味があるのかどうかわからなくなってきた。

コンビニのビニールシートに、「感染予防のためシートをまくらないでください」と書いてあった。

「まくらないでください」 という書き方が岐阜だなと思う。

本当にビニールのシートも意味があるのかないのか、わからなくなってくる、、、。(個人の感想です)

コロナも目に見えない、神とか愛も目に見えない。

「神は愛である」というヨハネの定義に従えば、神も愛もおなじことかもしれない。というかその定義に従えば神も愛も同じことになる。それでなければ定義に従ったことにならない。
、、、と話が理屈っぽくなってしまった。

コロナも神も目に見えないという観点でひとくくりにすれば、目に見えないものにおびえるのは簡単でも、目に見えないものを信じることは意外と困難ということに気づく。

困難な道を狭き門と捉えれば、信じることは狭き門かもしれない。

アンドレ ジイドの小説に「狭き門」ってあったっけ。

内容は忘れてしまったけれど、イエスの「狭き門より入れ」という言葉がタイトルの由来になっているらしい。

せっかくなので、その部分をもっと範囲を広く取って引用すると次のようになる。

狭き門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。
そして、そこから入って行く者が多い。
命に至る門は狭く、その道は細い。
そして、それを見い出す者は少ない」※マタイによる福音書より

天の愛を信じて、なるようになると思っていければいいなと願っている。

今日、母に、「ちょっと出かけるてくる」と言ったら
「あんたは、動けるからいいね」と言った。

靴をはいて外に出る時、そう言われれば、いくらお金があっても動けなかったらどこにもいけないんだなとしみじみと思った。

いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。




普通の子に見える

2021年08月22日 | 日記
最近コンビニに行くと〇〇坂46というような感じの文字が書いてある旗が立っていて、そこに10人くらい20歳前後と思われる女の子の写真が出ている。

〇〇46って時々雑誌の表紙で見たりする名前だからそこそこ有名な人なのではないかと思う。

ただ、僕が見るとなぜか、そのコンビニの旗に写真が出ている女の子よりも、例えば大阪のヘップナビオの前で普通に待ち合わせをしている子とか、その旗が出ているコンビニでレジをしている子の方が可愛いんじゃないかと思ってしまう。

なぜなのだろう。

顔にパワーがないというかそんなふうに見えてしまう。

ネットでいろんなサイトを調べると〇〇46ってどういうコンセプトで売り出している子だとか情報があるとは思うけれど、あえて調べないで、感想を書くと、特に可愛い子を売るというコンセプトではなくて、そのへんにいる子と変わらない子というコンセプトで売り出しているのだろうか。

ちょっとわからないけれど、、、。

もし、普通の子というか等身大の子ということで売り出しているとすれば時代も変わったものだなと思う。

59歳の僕の目から見ると何がいいのか理解に苦しんでしまう。

眼力(めじから)があまりにもない子たちのようにも見えたりするし、、、。

たとえば、僕が小中高生のころのアイドルと言えば、山口百恵さん、松田聖子さん、を始めいろんな方がいた。

百恵さんも聖子さんも絶世の美女というのとはちょっと違うかもしれないけれど、でも十分にオーラがあったような気がする。

それとも百恵さんがアイドルだったころにすでに60歳近い年齢だった人は、あんなものどこがいいのかわからん という目で百恵さんのことを見ていたのだろうか。

そうだとすれば単に時代は繰り返すという話になるけれど。

まあ、今は旗に写真が出ていても1年後には表舞台からは消えているかも知れない子と、引退して何十年も経ってもそれなりに知名度のある百恵さんを比較することがそもそもフェアではないのだろうとは思うけれど、、、。

そんなことを考えていたら思い出したことがある。

3年くらい前に京都の地下鉄に乗ったら、途中駅からお父さんと一緒に乗車してきた中学生くらいの女の子が、南こうせつさんのLPをもっていた。

きっとお父さんと一緒に中古レコード店に行って買ってきたんだろうなと思った。

LPの帯には「夢一夜」と書かれていた。

僕は見ず知らずの女の子に話しかけることなどほとんどないのだけれど、「夢一夜」という文字を見ていたらなんかこらえきれなくなって、その女の子に話しかけてしまった。

隣にお父さんがいたのに、、、。

逆に隣にお父さんがいたから話しかける勇気が湧いたのかも知れない。

「その帯に書いてある『夢一夜』っていう歌ね、阿木燿子さんの作詞だよ。阿木燿子さんって山口百恵さんの歌もいっぱい作詞してるよ」と僕は言った。

すると女の子は
「山口百恵知ってます。今度は山口百恵のレコード買います」と言った。

なんか女の子もちょっと興奮している感じだったし、僕も女の子がそんなふうに反応したので緊張してしまってそこから、話が続かなくなってしまった。

僕は「ああ、そう、いいね」と言っただけだった。

もうちょっと、会話が続くように言葉が出るといいんだけれど、それがなかなか、、、。

でも、中学生や高校生の子が百恵さんの歌に興味をもってくれることは、僕の世代の人間にとっては嬉しいことだなと心のなかで思っていた。
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高校野球、場合によっては8月末まで伸びる可能性があるようなこと新聞に書いてあった。

その話を知り合いの人にしたら
「やるほうもかわいそうだね」と言っていた。

確かに、天気を気にしたり、グラウンドの状態を気にしたりしながらのプレーは大変と思う。

暑くても、晴天の下でやる高校野球が僕も心象風景に焼きつているので、できればそれを望むのだけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。







笑福亭仁鶴さんなくなる

2021年08月22日 | 日記
笑福亭仁鶴さんが亡くなられたと新聞に出ている。

ボンカレーのコマーシャルの「3分間まつのだぞ」「じっと我慢の子であった」という子連れ狼をもじったセリフが流行したと新聞に出ている。

僕もあのころはボンカレーのコマーシャルよく見ていた。

仁鶴さんがコマーシャルで喋っていたもっと長いセリフも僕、暗記している。

こんなセリフだ

「ボンカレー湯の中チャポーン
どこ行くのやー
ちょっとそこまで」

このセリフ仁鶴さんが透明のお鍋の中にボンカレーを本当にチャポンと入れながら話していた。

だから、「ちょっとそこまで」というのはお鍋の底とちょっとそこまでの そこ の掛詞であることはテレビの映像を見ていれば子供でもわかった。

この仁鶴さんのセリフがとても僕の印象に残っていた。

小学校の休み時間に、その「ボンカレー湯の中チャポーン どこ行くのや? ちょっとそこまで」を実際に僕がしゃべってみたら、周りにいたみんなに意外なほど受けて自分でもびっくりしたことを覚えている。

そして、関西に来て、漫才などを心斎橋と難波の中間くらいのところにあった角座などで見るようになって、このセリフを使ったギャグがよく出てくることも知った。

典型的なのはこんな感じ

「関西人の会話

どこ行くのや
ちょっとそこまで
へえ、そないでっか、、、

何言うとるか、結局わかれへん

そこではどこかわかれへんのに
そないでっかと返事しとる」と。

こんな漫才でのやりとりを聞くたびに子供の頃に覚えた仁鶴さんのセリフを思い出していた。

寅さんのセリフ
例えば
「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水臭い」なども僕は暗記している。

仁鶴さんのセリフや寅さんのセリフを僕が暗記してしまうのは、僕の記憶力もまあ、平均よりはいいほうだと思うのだけれど、それよりも、セリフを語るときの仁鶴さんや渥美清さんの節回しが巧みだから、記憶に残るというよりは耳に残るのだと思う。


同じことを語っても、あの人の節回しだからこそ面白い、そんな役者さん少なくなったなと思う。

そして節回しが印象深く聞こえる前提として
四角四面は豆腐屋の娘 にしても ボンカレー湯の中チャポーン にしても多少の字余りはあるものの基本は五七調あるいは七五調であることも忘れてはいけないと思う。

五七調や 七五調の言葉も最近減ったなと思う。

「土曜の夜は立ち稽古 桑田佳祐のやさしい夜遊び」みたいなちょっと微妙に字余りの七五調は最近聞いたような気がするけれど、、、。

そういえば桑田佳祐さんも寅さん好きだと言ってたっけ。

仁鶴さんの「3分間待つのだぞ」「じっと我慢の子であった」ももちろん僕の記憶に定着していた。

そして、それが僕の潜在意識にあったのだと思う
会社のお昼休みにボンカレーではなくカップヌードルを買ってきて、お湯を入れてタイマーを三分間かけて、カップヌードルのカップの前でじっと背筋を伸ばして無言で座っていたら、それを見ていたM係長が思わず吹き出してしまったことがある。「フヒョヒョヒョヒョ」という感じで。

きっとM係長の心のどこかにも3分間じっと我慢というのがあって、文字通り僕がそれを実践したからあのときM係長はおもわず吹き出したのだと思う。

なつかしいな。

本当に仁鶴さんのおかげで僕も人生の中で何回かひとに受けたことがあって、感謝したい。

心よりご冥福をお祈りいたします。

いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それも願っていきたい。