家で音楽を聴くと言ってもベートーベンの交響曲を聴くことが多い。たまには違うものと思ってショスタコーヴィチの交響曲をかけてみても今の僕にはちょっと暗くで気分が落ち込んでしまう。
冬だからチャイコフスキーはどうかなと思ってもちょっとかけてみるとなんだかメランコリックでこれも今ひとつと思ってしまう。コンサートだったらよし聴くぞという気分になるけれど家では気が進まないということが僕の場合往々にしてある。
冬だからロシアの他にも寒い地域ということでシベリウスをかけてみる。これは案外いいようだ。シベリウスの演奏はちょっと変わったことろでクルト ザンデルリンクというドイツの指揮者がベルリン交響楽団を指揮したものが案外好き。それにパーヴォ ベルグルンドさんの演奏。ヨーロッパ室内管弦楽団。飾り気のないところが好き。
7曲の交響曲の中では2番はもちろんだけれど、6番の細く流れるような感じが好き。どの曲に限らずフィンランドの森の妖精が出てきそうなイメージがある。フィンランドのイメージって僕にとってはムーミンとシベリウスだ。
ベルグルンドさんに関しては以前ショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏も好きでボーンマス交響楽団を指揮したものをかなり頻繁に聴いていた時期があった。ブラームスは今はなんか暗いように思う、、、。
ハイドンも最近いいなとおもうことがあってコリンディビスさんがロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮するロンドンセットの交響曲を朝などに聴くことがたまにある。
モーツァルトを聴きたくなってブルーノワルター ニューヨークフィルのCDをかけた。僕は小中学生の頃モーツァルトの交響曲をブルーノ ワルターのレコードで覚えたのでこの演奏がスタンダードという気がするけれどメロディーラインの歌い方があまりにも切々としていてちょっと聴いていて疲れるなと思うこともある。
逆にあの切々とした歌い方を聴いているとウィキペディアに書いてあるワルターは演奏会の楽屋でモーツァルトの魂と交信していたというエピソードは信じられる気がするけれど。
ピリオド奏法の要素を取り入れたモーツァルトもちょっととんがっていてあまり好きではない。
最近いいなとおもっているのはカラヤン ベルリン・フィルの演奏。カラヤンの演奏に対して僕が持っているイメージは音の響きは分厚い、そしてテヌートとレガートの手法。一つ一つの音をなるべく保持する。そして音と音はなるべくなめらかにつなぐ。という感じだ。
カラヤンのモーツァルトを聴いていると音の響きは厚く演奏の流れはなめらかだなと思う。それは極めつけのモーツァルトではないかもしれないけれど変に感に触らないと言うか聴いていて心地よい気がする。
カラヤンのこういう演奏の傾向はモーツァルトに限ったことではなくもっと一般的に言えるように思う。時としてそういう演奏がいやになり、時としてそういう演奏が聴きたくなる。演奏の品質がかなり一定に保たれている演奏家だから聴きたいときに聴けばいいという安心感がある。
聴きたい音楽もその時の気分次第だなと思う。昨日第九の穏やかな生演奏を聴いて穏やかな演奏の入ったCDと思ってカールベーム指揮ウィーンフィルのものを出して聴いた。改めて聴くとこれもハートウォーミングな素晴らしい演奏だなと思う。
冬だからチャイコフスキーはどうかなと思ってもちょっとかけてみるとなんだかメランコリックでこれも今ひとつと思ってしまう。コンサートだったらよし聴くぞという気分になるけれど家では気が進まないということが僕の場合往々にしてある。
冬だからロシアの他にも寒い地域ということでシベリウスをかけてみる。これは案外いいようだ。シベリウスの演奏はちょっと変わったことろでクルト ザンデルリンクというドイツの指揮者がベルリン交響楽団を指揮したものが案外好き。それにパーヴォ ベルグルンドさんの演奏。ヨーロッパ室内管弦楽団。飾り気のないところが好き。
7曲の交響曲の中では2番はもちろんだけれど、6番の細く流れるような感じが好き。どの曲に限らずフィンランドの森の妖精が出てきそうなイメージがある。フィンランドのイメージって僕にとってはムーミンとシベリウスだ。
ベルグルンドさんに関しては以前ショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏も好きでボーンマス交響楽団を指揮したものをかなり頻繁に聴いていた時期があった。ブラームスは今はなんか暗いように思う、、、。
ハイドンも最近いいなとおもうことがあってコリンディビスさんがロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮するロンドンセットの交響曲を朝などに聴くことがたまにある。
モーツァルトを聴きたくなってブルーノワルター ニューヨークフィルのCDをかけた。僕は小中学生の頃モーツァルトの交響曲をブルーノ ワルターのレコードで覚えたのでこの演奏がスタンダードという気がするけれどメロディーラインの歌い方があまりにも切々としていてちょっと聴いていて疲れるなと思うこともある。
逆にあの切々とした歌い方を聴いているとウィキペディアに書いてあるワルターは演奏会の楽屋でモーツァルトの魂と交信していたというエピソードは信じられる気がするけれど。
ピリオド奏法の要素を取り入れたモーツァルトもちょっととんがっていてあまり好きではない。
最近いいなとおもっているのはカラヤン ベルリン・フィルの演奏。カラヤンの演奏に対して僕が持っているイメージは音の響きは分厚い、そしてテヌートとレガートの手法。一つ一つの音をなるべく保持する。そして音と音はなるべくなめらかにつなぐ。という感じだ。
カラヤンのモーツァルトを聴いていると音の響きは厚く演奏の流れはなめらかだなと思う。それは極めつけのモーツァルトではないかもしれないけれど変に感に触らないと言うか聴いていて心地よい気がする。
カラヤンのこういう演奏の傾向はモーツァルトに限ったことではなくもっと一般的に言えるように思う。時としてそういう演奏がいやになり、時としてそういう演奏が聴きたくなる。演奏の品質がかなり一定に保たれている演奏家だから聴きたいときに聴けばいいという安心感がある。
聴きたい音楽もその時の気分次第だなと思う。昨日第九の穏やかな生演奏を聴いて穏やかな演奏の入ったCDと思ってカールベーム指揮ウィーンフィルのものを出して聴いた。改めて聴くとこれもハートウォーミングな素晴らしい演奏だなと思う。
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