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ケンのブログ

日々の雑感

ダフ屋のおじさん 君がくれた夏

2022年08月21日 | 日記歌入り
8月20日付の読売新聞にネットのチケット販売が増えたり また 警察などの取り締まりが強化されることで ダフ屋がすたれている という話題が出ている。

ダフ屋がすたれるので ダフ屋でしのいできた 暴力団は 解散を余儀なくされるとも書いてある。

まあ それは それとして。

僕も ダフ屋の思い出はいろいろある。

今はなき 西宮スタジアム。

西宮北口の駅をおりると おばちゃんに 声をかけられた。

「お兄ちゃん 内野特別席 安くしとくよ」と。

内野特別席 という言葉に 気持ちが反応してしまい 買ってしまった。

確かに それは 内野席だったけれど 甲子園で言うところの アルプススタンドの位置にあたる席だった。

アルプスにあたる席は 内野席とはいうものの 実質的には 外野だ。

バッターボックスを斜めに見なければならないので とても 試合が見にくい。

だから 高校野球では そこに応援団が陣取ることになるのだと思う。

アルプスで見るくらいなら 外野席の方がはるかに試合がみやすい。

センターのバックスクリーンに近い席になれば テレビカメラとほぼ同じ目線で試合が見られる。

ただし バッターは豆粒のように小さく見えるけれど。

しかし、試合が俯瞰できるという意味では 外野席というのはとてもいい選択だ。

値段も安いし、、、。

おばちゃんの 内野特別席 という言葉で アルプスの位置の席を買ってしまってからは もう ダフ屋でチケットは買わないと決めて それは守っている。

でも 甲子園球場で いつも立っていた ダフ屋のおじさんの口上は今も耳に残っている。

「余れば買うよ なければ売るよ」と。

いやに 耳にのこっているなと思って指を折って数えると。

あまればかうよ で 七文字
なければうるよ で 七文字

ようするに 七七の 語調になっている。

それは 耳に残るはずだと思った。

最近は こういう 七七の 語調で耳に残る言い回しって減ってしまったように思う。

ダフ屋のおじさんのこんな言葉も 耳に残っている。

「そのチケット アルプスやで 俺が売ってるのは ホンマに外野の席や」と。

僕も 西宮で 内野特別席の言葉に いわば騙されて アルプスの席を買ってしまったことがあるので その ダフ屋のおじさんの言葉に 心の中でエールを送ってしまった。

けれども 外野の席を ちゃんと 窓口で買った。

やっぱり ダフ屋は あの おばちゃんでこりごりと思っていたから。

しかし そういうこととは 別に ダフ屋のおじさんの 声はなつかしいなと思う。

最近 行ってないけれど 今でも 甲子園にダフ屋のおじさんはいるのだろうか。

それとも 世の流れで もういないのか。
時々 甲子園まで 飛んでいきたいような気持になることがある、、、。

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同日付の読売新聞に 大学の非常勤講師が雇止めになる可能性を示唆する記事が出ている。

要するに 大学の 研究者 教師は 非常勤が多く 雇用が不安定である という問題を扱った記事だ。

その 記事に 日本科学振興会福代表理事の方のこんな言葉が載っている。

「研究者間の競争や、他の機関に移っていく流動性は研究力を高めるために必要」
だが
「優秀な研究者でも10年の勤務期間が終われば雇止めされうることが最大の問題点だ。安定的に供給される研究費や期限付きでないポストを増やすことが必要だ」と。

この 発言で 他の機関に移っていく流動性 とは 非正規雇用の形態に言及した言葉だ。

この 発言を読んで気になったことがある。

気になることとは

一般論としては 非正規雇用者が 競争にさらされ 他の研究機関に移っていく流動性は研究力を高めるために必要 としたうえで 優秀な研究者が 非正規雇用であることは問題 としている点だ。

一般論として 非正規雇用を 肯定したうえで 優秀な人が非正規雇用であることはまずい と言っているのに等しい発言。

優秀な人と そうでない人 というように 場合分けをして 優秀な人には 正規のポストを そうでない人は 非正規で というダブルスタンダードの発言になっている。

優秀である人と そうでない人を 決める 基準は何か 

必ずしも 明確ではないように思う。

そして 優秀な人には 正規のポスト そうでないひとは 非正規で というのは ある意味公平性をかく 発言 そして 意識だと思う。

大学という限られた世界の話だから まだ 問題にならないけれど 労働市場一般という文脈で 優秀な人は 正規雇用で そうでない人は 非正規で競争しろ と言ったら たぶん その発言は 炎上してしまうだろう。

それが 炎上しないところが 大学教員という世界の閉鎖性をしめしているかもしれないと思った。

大学の先生の セクハラ パワハラの ニュースって 結構多いような気がするけれど こういう 雇用の構造が そういう事態を生んでいる可能性はあると思った。

あまり 好ましいことではないような気がする。

それはともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

■君がくれた夏
家入レオさんの「君がくれた夏」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

歌詞の中に
「愛情の罠だって 気づいた時は遅すぎて ねじれた感情は 光求めてさまよう」というフレーズがあります。

こういう抽象的な表現って 昭和の時代には あまりなかったと思います。

今の歌の特色が出ているように思います。

↓家入レオさんの「君がくれた夏」をカラオケDAMの音源で歌いました。