ケンのブログ

日々の雑感や日記

家族仲良く

2022年08月08日 | 日記
8月7日付の読売新聞の人生案内 というコラムにこんな相談が寄せられている。

「70代の無職男性です。妻と長女、長女の子供の4人で暮らしています。
新型コロナウイルスのワクチン接種をしない長女に、接種を促したところ、『接種したくないのに押し付けないでほしい』と言われ、その後、孫に会わせてもらえなくなりました。

同居している親であれば、子供に対して接種を勧めるのが当たり前だと思うのですが、長女は『余計なお世話だ』というばかりで聞き耳をもってくれません。そればかりか孫を遠ざけるなんて、、、。 (以下略)」

本当に 世話焼きというものが 人間関係を悪くしてしまう 格好の例が 新聞に出ているなと思う。

新聞社の人も 格好の例だと判断したから 選んで コラムに掲載したと思う。

「同居している親であれば接種を勧めるのが当たり前と思う」と書いてあるけれど、本当に世話焼きがクセになっている人は 自分の考え方を 当たり前の考え方と思っているところが 世話を焼かれる側にとってはもっともつらいところなのだと思う。

回答者の文章の中に

「接種は任意で強制ではありません」と書いてあるけれど コロナのワクチンの場合にはこのことが もっとも大切な原則なのだと思う。

もっと 一般的に 患者の自己決定権 ということを考えるときには 僕は 一般に リスボン宣言 と言われる 文章を参照することにしている。

リスボン宣言をもとに書かれたと思われる 患者の 自己決定権を あらわした 文章は次のようになっている。

「患者は、自分自身に関わる自由な決定を行うための自己決定の権利を有する。医師は、患者に対してその決定のもたらす結果を知らせるものとする。


精神的に判断能力のある成人患者は、いかなる診断上の手続きないし治療に対しても、同意を与えるかまたは差し控える権利を有する。

患者は自分自身の決定を行ううえで必要とされる情報を得る権利を有する。

患者は、検査ないし治療の目的、その結果が意味すること、そして同意を差し控えることの意味について明確に理解するべきである」と。
(日本医師会のサイトより引用)

僕は 医療をうけるかどうか 迷ったときには このリスボン宣言を参照するように心がけている。

コロナのワクチンの場合 本当に 接種を受ける側が 受けるかどうかを自己決定するのに必要な情報を得ているかどうかわからないというのが現実であるように思う。

接種を勧めるのが 当たり前 と考えるのは本当に どうなのだろうと思ってしまう。

一緒に住んでいるのだから 感染したら 大変 という気持ちなのだとは思うけれど。

さて、今回の 人生案内は お父さんが 娘に世話を焼いて 関係が悪化した例が書かれている。

僕の祖父も 母と 同居というか 同じ 敷地内に住んでいた。

僕の 家族が 祖父の家の 離れに 住んでいたというのが事実だけれど。

僕が母に 叱られて 家(つまり 祖父の家の離れ)から 締め出されてしまうと 祖父は 母に

「みっちゃん ケンちゃんのことを 許してあげてください。 家に 入れてあげてください」と言っていた。
※母の名は 道子 なので 祖父は 母のことを みっちゃん と呼んでいた。

祖父が母に 「子供を叱って 締め出すようなことをしてはいけない」という言い方をするのを聞いた記憶がない。

「みっちゃん ケンちゃんのことを 許してあげてください」というのが祖父の お決まりの言い回しだった。

そういう言い回しを するのが 家族円満のための祖父の一つの 知恵だったのだと思う。

懐かしいな と思う。

昨日は 道路で へびが 自動車にひかれて死んでいた。

夏で 暑かったから 道路に出てきて自動車にひかれたのだと思う。

僕の家は あんこの 製造工場を経営していて 小豆の倉庫があったから 青大将がいて 夏の暑い時期になると あつさに 耐えられず 外に出てきて 靴箱の下でとぐろを巻いてしまって 家族で大騒ぎしたり。

今となっては懐かしいなと思う。

何日か前に 新聞に 「青大将をふりまわす ガキ大将」 という語句を織り込んだ川柳がのっていた。

それを 読んで 青大将って 大きいので ガキ大将といえども 子供が振り回すことなどできない、 ひょっとしたら 青大将をあまり見たことのない人が書いた川柳かもしれないと思った。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように 
それを第一に願っていきたい。