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ケンのブログ

日々の雑感

原爆忌 I believe

2022年08月07日 | 日記歌入り
8月6日は 広島に原爆が投下された日だった。

僕の親世代は みんな 戦争を体験しているので 子供のころは 8月6日は原爆の日 というのは かなり意識していたように思う。

僕は日付などに関する記憶力がいいので 8月6日は広島に 8月9日には長崎に原爆が投下され そして8月15日に敗戦 というのは ずっと覚えている。

テレビを持たない生活をしているので よく わからないけれど 今年は 原爆投下の日というのが どのくらい 報道されたり テレビの話題になったのだろう。

いずれにしても 昔に比べると 記憶が薄れた という印象はあるけれど。

数年前に インドから日本に来た カレーショップのマスターに 8月15日は 日本が戦争に負けた日だと 話したら マスターは8月15日は インドの独立記念日であると 教えてくれた。

そうなのか と思った。

その時 マスターが 日本は戦争に負けたけど 随分 発展しました といううようなことを言った。

それで、僕は 戦争に負けて もう一度 やり直すんだ とみんなが頑張ったのがよかったと思う と答えた。

マスターは 興味深そうに うなずいていた。

母の姉の 旦那さんは つまり 僕の伯父は大正14年の生まれで 「僕の年齢は昭和の年数と同じなんですよ」というのが口癖の一つだった。

昭和45年にはおじは 45歳 という具合に、、、。

その 伯父に母が「お兄さんは若いころは何を考えて生きてましたか」と尋ねたら 伯父は「戦争が拡大していく時代に 青年期を過ごしましたから 死ぬということを考えていました」という答えが返ってきた。

その場に 僕も同席して伯父の話を聞いていたから そのことを覚えている。

作家の芹沢光治良さんは 伯父よりももっと年齢が上の世代だけれど 「人間の運命」という小説には みんなが死ぬということを考えている時代なのに 自分は生きるということを考えている ということで悩む場面も描かれている。

いずれにしても 戦争の時代というのは そういう時代なのだなと思う。

ひるがえって 現在のことを 考えてみると 少なくとも日本は 少なくとも戦争ということには 直面はしていないけれど 人間が 世の中のシステムに組み込まれていくような そして 経済発展が 見えてこないような 時代に遭遇している。

そんな 時代を 若い人は 何を考えて生きているのだろうと思うことがある。

もう そんな 時代に育ってきたから達観してしまっているのか それとも 大変な時代に生まれてしまったと 思っているのか。

まあ、こういうことには 個人差があるから 一概には言えないと思うけれど。

昭和の時代の プロ野球の映像を動画サイトで見ていたら、ホームランを打った打者を グラウンドに乱入してきたおじさんが ホームプレートのところで 出迎える場面などが出てくる。

その おじさんは はらまきに はちまき という感じで 天才バカボンのパパ みたいな風貌だったりする。

本当に 昭和の時代には それほど珍しい 光景ではなかったような気がする。

そのような動画のコメント欄に 「今の時代に こんな おじさんの乱入を許したら 警備員は クビだよな」という書き込みがあって けっこう そうだ そうだ という反響があった。

僕も その通りだと思った。

他方で 安倍元首相の 警護は 民間の警備会社より 優れた人がしているはずなのに あまりにも すきだらけだったという話もあるわけで、、、。
しかし 今の時代だったら プロ野球の グラウンドに おじさんが乱入というのは やはり あまり 考えられないわけで 安全と言えば安全だけれど 管理が行き届きすぎで きゅうくつともいえるわけで 本当にそんな時代を若い人たちは どのようにとらえているのだろうかと思う。

比較的 最近の 夏歌 ということで 考えていたら 心に浮かんだのは米津玄師さんの「打ち上げ花火」と家入レオさんの「君がくれた夏」だった。

いずれも 昭和の時代の ビーチを意識したような歌とは 違う 物憂さが漂っていてそれも時代なのかと思う。

最近 映画館で 「逆光」 という 昭和の時代の尾道の夏 を描いたと思われる 作品を見たのだけれど 音楽で使われる アコースティックギターの音の響きが 「君がくれた夏」のアコースティックギターの響きに 物憂さという点で 似ている気がして やはり それも 時代かな と思った。

まあ そういう物憂さというのも悪いものではないとは思うけれど。

最近 思うことは 物憂さから逃れようとか 悲しみから逃れよう と思うよりも 物憂さとか 悲しみというのは 悪いものではないと考える方が いいのではないかということ。

聖書にも 悲しみは笑いに勝る ということが書かれている箇所があるし 仏教でも例えば慈悲 という概念には 悲しい という文字が入っている。

怒りや 憎しみは 仏教でも キリスト教でもいましめられているけれど 悲しみは特にいましめられているわけではなく むしろ 悲しみに目を向けるべき と考えられているように思う。

そういうことに 注目していくべきだと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。



■I believe
絢香さんのI believe をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

自分を信じる ということを歌った歌です。

例えば 神仏を信じるにしても その前提として 神仏を信じる 自分を信じなければならないということは言えると思います。

↓絢香さんのI believe をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音しました。