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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

未必の故意か!?

2019-12-22 21:43:46 | できごと・事件

 最近、わが家の入口付近の道路や駐車場や畑に小さな糞が落ちていることがたびたびある。意外に目立つ所にあるので致し方なく犬のウンコのようにスコップですくって畑に肥やしとして捨てている。糞のなかには柿やギンナンの種が混ざっているのも特徴だ。

 そうすると、ハクビシンの可能性が高いがまだ本人にはお目にかかってはいない。目立つ所に糞をするのでオイラはイタチ説をとっている。でも、柿を食べるのだろうか、木に登るのだろうかと疑問の迷宮が襲う。ぐーたら当局に聞くと、秘密保護法を盾に教えてくれない。最近の当局は情報を改竄してしまう恐れもあるから始末が悪い。

       

同じ糞でも違う動物のような気がするのが畑のとなりにあった。こちらは十月上旬のことだったが植物性の細かい消化物が目立つ。そこにウラナミシジミが訪れていた。蝶が糞に集まる行為は、どうやら糞の乾いた所にあるナトリウムやアンモニアの成分を口吻先で感知し自分の体液で溶かしたうえで摂取するらしい。しかもそれはオスのみの行為だという。

 さて、この糞の犯人は誰なのだろうか。近所の人も玄関先で糞をされ、頭が黒いタヌキかアナグマを見た気がするという。いずれにしても餌が少ない寒さの中、家と畑を徘徊する魑魅魍魎(チミモウリョウ)がいるのは確かなことだ。糞をまき散らすのは故意なのか、間に合わなかったのか、縄張りのサインなのか、弁護士を含む肩書の好きな有識者で構成された第三者委員会において、犯人の行為はいやがらせなのか、「未必の故意」なのかどうかの調査をなんとなく始めた!?

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元祖=新国劇・喜劇の歌碑ひっそりと

2019-12-21 00:52:44 | 石仏・石造物

 新橋演舞場入り口の横に二つの石碑があった。読みにくい草書体のせいか、刻印が不明瞭のせいか、列をなす観劇客の喧騒のわりには訪れる人は見当たらない。ひっそりとした佇まいが気になって見に行ったものの、これはいったいだれの石碑なのかが案内板もなく解読もできずにいた。ネットで調べたら、背の高い方の石碑が役者の沢田正二郎、低いほうがお笑いの元祖・曾我廼家(ソガノヤ)五郎だった。

           

 沢田正二郎の名前だけは知ってはいたが大正から昭和初期に大活躍した役者だった。新国劇を創設しその座長として大衆演劇の世界を切り拓いた。歌舞伎と新劇との中間を拓いた。国定忠治・月形半平太・大菩薩峠などは確かに有名だ。とくにチャンバラを舞台に導入して大喝采を得たことで、その後の活動写真や映画でも採用されるなど、彼の果たした影響はいまだに息づいている。

 さて石碑だが、上段に「芸即魂」を掲げ、その下に「何処(イズク)かで 囃子の声す 耳の患」の俳句が刻まれている。彼は急性中耳炎で倒れ、化膿性脳膜炎で急逝した。36歳の若さだった。彼の死後、島田正吾・辰巳柳太郎らが継承したが、1987年劇団は解散。

          

 その隣の曾我廼家五郎(1877-1948)は、「むさし野や 三十年は 泣き笑い」の彼らしい句を残している。日本のチャップリンと言われる人情喜劇の役者・作家でもある彼は、大阪喜劇の本流として明治から昭和にかけて活躍。渋谷天外・浪花千栄子・藤山寛美・曾我廼家五郎八らが結集、「松竹新喜劇」の礎を作った。

 この石碑は、帝都に凱旋してから30年を記念して建立された。また、1975年(昭和50年)には、「曾我廼家喜劇発祥之地」の石碑が藤山寛美らによって建立され、現在大阪松竹座にある。さらに昨年、没後70年を記念して大阪岸和田市にも「生誕地記念碑」の石碑が建立される。この二人の石碑が新橋演舞場にあるということは、大衆演劇と喜劇という庶民にとって生きるエネルギー補給基地がそこにあったということに違いない。演舞場のかたわらにひっそりたたずむ石碑の意味は確かに大きい。

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上演史上に残る壮挙・ナウシカ歌舞伎

2019-12-20 11:38:57 | アート・文化

  歌舞伎と漫画版ナウシカとのコラボは歌舞伎上演の歴史の中でも特筆される地歩を拓いた。 それは独善的な私見を言えば、従来の歌舞伎の演目はストーリーを展開させていく手法の見事さに画期がみられた。それはディズニー文化のポピュリズムに似ている。

 それは歌舞伎がスタジオジブリ・宮崎駿とつながることで、現代が直面する本質的な課題・人類の行く末などを提起する哲学的な警鐘を獲得したこととなった。それは歌舞伎界の弱点の分野でもあった。

          

  舞台上方の御簾(ミス)の中で演じられる歌舞伎浄瑠璃も見逃せない。三味線とともに語られる義太夫の語りはナウシカ物語の説明だったり、伝統的な太鼓・小太鼓・笛さらには拍子木の「柝(キ)」が加わりにぎやかなお囃子となったりで舞台を効果的に援護する。ここにも横文字が入った現代語の長唄が伝統的な浄瑠璃となって消化された。

 

 会場の「引幕」には巨大な巻物風の絵が描かれ、ナウシカ物語の歴史が表現されていた。下段左/船が空を飛ぶなど高度化された技術・産業文明が過度となる  下段右/高度化された技術は生命を作り出したり改変を人工的に実現していく  中断左/ その過度な技術は地上を破壊する「巨神兵」という兵器などを生み出した  中断右/それらの結果従来の森はなくなり、植物や生き物も絶滅する  上段左/それに耐えられる菌類や生物がはびこっていく  上段右/そうした終末世界を救うのは白い羽と青い衣を着た女性(ナウシカ)だ

 という伝説巻物となっている。こうして、昼夜通しの上演は、「仮名手本忠臣蔵」につづく長丁場であるとともに、13年もかかった大作漫画「風の谷のナウシカ」・ジブリとのコラボという前代未聞の壮挙に突進したのだった。それは明治以来の上演史に刻印した快挙であるとともに、それは以前観劇した東北の蝦夷「阿弖流為(アテルイ)」を共作した劇団「新感線」とのコラボが基礎にあるように思う。  

 

 

 

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歌舞伎の創造力に脱帽

2019-12-19 23:36:30 | アート・文化

 昨日に引き続き新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」第2部・夜の部を観る。

 漫画版の表紙の裏には「大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は、1000年後に絶頂期に達し、やがて急激な衰退をむかえ」、その自己中心の人類は戦火をつぎつぎ拡大し、都市も空気も地表も生物も危機と崩壊をもたらした、という全編の背景を語っている。

  

 

  人間が犯してしまった不毛の大地・腐海には不可思議な菌類や王蟲(オーム)などの生き物だけが生息しだして、それがまた人間を襲うことになる。しかし、そうした生き物に誠実にかかわっていくナウシカは、それらの不気味な生き物は次の新しい世界を創造していく出発点であることを発見する。また、大津波のような破壊と死の「大海嘯(カイショウ)」にも次の再生の出発点があることを発見する。つまり、絶望の先には光があるということ、自然とは再生に向かう息長い循環があることだ。

 それは現実の壁や戦火に次々直面することで、ナウシカは自らの命さえ絶とうとあきらめようとする場面もあった。しかしこのエコロジーの発見とそれを活用できる人間と仲間の可能性の発見は立ち直る契機となった。

 

  そして、その立脚点から人間を破滅に向かわせるシステムがある墓所の生命体を見つけ出し、「巨神兵」や同志らと死力を尽くした総力戦を行う。ここまでの経過がとても漫画ではわかりにくい場面だ。それを見事に納得させてくれる「大詰」には観客の平板な予想を裏切る大団円が待っていた。

           

 それを公表してしまうと感動が半減してしまうので秘密にしておく。とにかく、歌舞伎の真骨頂がこの場面に発揮された。歌舞伎とジブリの世界とが見事に融合した象徴だった。みんなで「納得の感動」を共有した瞬間となった。

 そして、最後の台詞が「生きねば!」だった。漫画の最終のひとコマがこの言葉だった。宮崎駿が言いたかったことがこれなのだ。「どんなにつらい苦しいことがあっても」という台詞の次がこれだった。

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新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を観に行く

2019-12-18 21:11:52 | アート・文化

 娘がちょいとかかわっていることで新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を観に行く。久しぶりに乗った電車はむかし経験したラッシュの悪夢を思い出した。相変わらず都会は「腐海」から脱出できずにいた。とりあえず、会場の新橋演舞場に直行する。

         

 話題作とあってチケットは完売だった。原作漫画全7巻を昼と夜の通し公演でやるという、とんでもない長丁場のチャレンジとなった。大ヒットしたアニメ映画でさえ2巻目くらいしか描かれていないうえに、テーマが文明・環境・哲学・生態史・戦争という具合に人間のありようを問う内容なので、大丈夫かなと心配にもなった。

         

 しかし、さすがに歌舞伎のチャレンジ精神は健在だった。歌舞伎の伝統と空想の終末物語とは共存していて不思議ではなかった、というのがまずまずの感想だ。漫画の全7巻を読んでいたが人物の相関関係がまったくわかりにくかったので、あらすじをコピーしてなんども読み返えしてみた。 

それでなんとかおおまかな関係がわかってきた。宮崎駿の絶望感が痛いほど伝わってきた。それを尾上菊之助がどれだけ表現できるかが見ものだ。その絶望が深ければ深いほど希望の地平が拓けてくるのだ。しかも、菊之助は先日花道から転落して左腕を骨折してしまったばかりだったので、やはりメリハリが不足しているようにも思えた。

 

                

  トルメキア王国皇女クシャナ役の中村七之助の張りのある声は予想通り圧巻だった。そして、キャストの中核である風の谷の剣士・ユパ役の尾上松也、ペジテ市の王子・アスベル役の尾上右近らの所作・台詞は迫力があり安心感がある。また、舞台美術の絵画、実験漕の大量の水の扱いも圧巻だった。さらに舞台裏の大道具の多量の転回も見ごたえがあった。伝統芸である歌舞伎がいまだになぜ人気があるのかといえば、そうしたチャレンジ精神と進取の役者魂が健在であることの証左でもある。

  さて、舞台後半は明日の夜に観に行くこととなる。

    

 

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湯上りに寒桜を愛でる

2019-12-17 09:21:23 | 風景

 役所の近くに社会福祉協議会が管理する「スミレの湯」という共同浴場がある。温泉ではないが気軽に行ける施設としてときどき利用する。平日だとひとりで独占できるほど利用者が少ないのが残念だが、土日にはキャンプ場利用者もやってきてにぎやかになる。喫茶店とか軽食を利用できる店があると利用者も増えるのではないかと素人考えがめぐる。

 そんなのぼせた湯上りでふと駐車場の上を見ると、カンザクラが咲いていた。

      

 花が小さく色も薄いので目立たないところがいい。冬の枯れた風景のなかに強烈な色合いではないところが日本的だ。春の桜吹雪の舞う華やかさもいいが、こういうなにげない偶然性にハッとできる存在感がいい。桜も人間と同じく多様性があることを再認識する。

 そういえば、某宗教新聞に「多様性」という言葉を多用するのに気がついた。異教徒に攻撃的だったこの宗派も少しは大人になったのかなと思うが、まだまだ感情的体質なのは払拭できていない。情報は偏っちゃぁいけないよ。そんなことを思いめぐらすカンザクラだった。

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ムカゴの餡のどら焼き!!

2019-12-16 20:16:26 | 特産品・モノ

 掛川へ行ったとき、売店で「丁子屋焼き」を購入した。なにしろ、創業が慶長元年(1596)というから、秀吉が全国を統一し明や朝鮮への侵略もしようと独裁体制に狂奔していたころだ。そのころから東海道丸子(マリコ)宿で茶屋を創業して400年、今は14代目を迎えたとろろ汁で有名な老舗・丁子屋。静岡県立大学の学生らとのコラボで新商品を開発。それがどら焼きの餡をムカゴ100%で作ったという画期的名物だ。

            

  さっそく食べてみると確かにムカゴのねっとり感がだんだんと伝わってくる。説明書がなければ気がつかないほどの餡の甘さだ。甘さ控えめはおじさん・おばさんにはちょうどいい。廃棄の運命にあったムカゴもこれで救われた。さらに、生地には静岡在来種の自然薯パウダーが10%使われているという。 1個260円はちょいと手が出にくいがその趣旨と心意気が素晴らしいので、また買いに行くよ。 

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集落あげて日陰を解消!?

2019-12-15 18:53:11 | 出会い・近隣

 わが家は背後に小さな山を抱えているため、冬はとくに一日中陽が当たらないこと、突風がひどいことで集落の中でも有名な場所だそうだ。そういえば、ここを購入した時は夏だった。そのうえ、裏山は不在地主のため生い茂った樹木も背がぐんぐん高くなってしまったまま放置されている。そのためますます日陰も進行している。

 

 それを集落の人が心配してくれて、集落として裏山の樹木・竹林を皆伐してくれることになった。むかしのここいらは茶木の草刈り場として樹木はなくススキの山だったそうだ。つまり今ある樹木は自然に育ったものだそうだ。

 さっそく午前8時に集まり裏山に散る。麓のほうから伐採が始まる。伐採にはプロもいるし、山林地主もいるのでてきぱきした大声の指示が飛ぶ。オイラには頼もしい外国語に聞こえる。

 

 さすがに山の男はかっこいい。7人の侍は次々と杉・松・コナラ・樅などの太い樹を倒していき、足場を安全に確保していったりしている。下にいるオイラには「危ないぞー、下がれ」の声が飛んでくる。隣の集落からも助っ人が参加して総勢9人が作業に参加することとなった。病人を抱えた家以外の集落の殆んどが参加したことになる。

 集落の共同作業といったら、水道・道路・消防などに関するものが普通だ。それが個人の困っていることを集落あげて命がけの作業をしてくれることは異例ですらある。まさに住民自治のモデルになるようなつながりだ。

       

 そろそろお昼のチャイムが鳴るころ、伐採する樹はあと2本となった。一日かかってしまうと思っていた重労働作業も、午前中には終了となる。地元の思いやりが痛いほど伝わってくる。都会ではなかなかこうはいかない。事前にオイラも手作業で竹を伐っておいたり、草刈機で入り口を整備しておいたのでスタートからスムーズに進行もできた。

  

 こんもりしていた樹木はすべてなくなった。これで太陽が見えるようになった。冬も暖かく過ごせる可能性が拡大した。合掌。作業後には、台風の被害にありながらも生き残った秘蔵の「獺祭」で乾杯し、和宮様直々の心のこもった手料理が用意された。畑の野菜を中心とした豚汁をメインに、赤大根の甘酢漬け・ヤーコンのきんぴら・大根の葉のシラス和えが並んだ。いずれも畑からの恵みなので次々お代りが続いた。 これからも地元のために力になることを大切にしていきたい、とあらためて思い入るシーンだった。

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冷え性に生姜エキスの贈り物

2019-12-14 18:05:16 | 特産品・モノ

 きょうは冷たい風がビュンビュンの一日だった。さすがに午後は戦闘意欲を失いかけて炬燵で丸くなる。そのうえ、和宮様は冷え性で苦戦しておりオイラも膝が冷たくなってしまう。そんなおり、「若様」から「トリイソース」(鳥居食品・浜松)の限定発売でもある「ジンジャーシロップ」を届けてくださった。さっそく、生姜湯にしていただくと旨みが広がり寒い朝にはタイムリーな飲み物となった。ただし、部屋が寒いと固まってしまうのが難点だが長坂養蜂場の本格的蜂蜜が使用されているということでもある。大正13年創業だけに地産地消や添加物不使用などにもこだわり、野菜や果物を使った創造的なソースなどを開発している。

         

 さらに申し合わせたように、和宮様の侍女kiku様から「黒糖しょうがぱうだー」が届いた。製造は沖縄の「シュガーソルト柿乃花」、販売は「黒糖本舗垣乃花」というわけで、沖縄のサトウキビの搾り汁から作った黒糖だ。鳥居のシロップは年内で、こちらは新年を迎えるころいただくことにする。やはり粉末なのでコーヒーや紅茶に入れて飲んでみるのがよさそうだ。ありがたい。これで朝や夜の寒さをしのぐひと時を味わえそうだ。

 

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シイタケの「ほだ起こし」をやっと行う

2019-12-13 19:17:03 | 食彩・山菜・きのこ

 だいぶ疲れてきたシイタケのほだ木を並び替えて「ほだ起こし」を行う。地面に寒冷紗を敷いて雑草や雑菌の防御をする。それから裏山から太い竹を伐り出して低めの「本伏せ」を行っていく。

          

 ほだ木を「天地返し」して菌の活性化を図る。最後の「ほだ起こし」なのでどれだけ収穫できるかは期待はできないが、原木はなにしろ亡くなった真ちゃんからの贈り物なので最後まで付き合うことにする。以前酷使していた腰が不満を言い出す。

 わが家が日陰になっている裏山の木を「集落として」伐ってくれるというので、今のうちにと竹を少しづつ伐り出しておいた。寒冷紗で覆いをすると強風で舞い上がったり音も凄く、へたすると飛んで行ってしまうほどの突風が度々あったので、ここ数年はほだ木を竹で覆う「竹マルチ」をしている。裏山の斜面で竹を伐ったり運搬したりするのは危険もあり重労働でもあるが、爺のかっこうのリハビリと思ってのんびりやっている。

 年内にもう一つほだ起こしをやれば今年のきのこ作業は終了となる。

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