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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

役者絵にCM登場!?

2025-07-26 10:32:35 | アート・文化

  盆栽のプロ並みの腕前だった「三代目尾上菊五郎」の役者絵を見ていた。菊五郎は、市川團十郎(7代目)・岩井半四郎(5代目)・松本幸四郎(5代目)と並んで、江戸歌舞伎の黄金時代を担った逸材の役者だった。美男で万能の役者と言われた菊五郎は、同時に、「植木屋松五郎」と名乗るほどの植物・盆栽好きだったので、江戸の向島に「松の隠居」という植木屋を買取って植木屋もしていた。そんなことなのだろうか、今回の衣装は、菊五郎の菊の花と松五郎の松葉らしき模様ではないかと推定してみた。しかし、64歳だった弘化4年(1847)に突然役者の引退宣言をして「菊屋万平」を名乗り餅屋をはじめたり、再び舞台に戻ったりの自由闊達の人生だった。

  版元(保永堂)の竹内孫八は、広重の「東海道53次」を出版したことで大手版元となった。版元の所在地は、江戸霊岸島塩町だったので、「霊鹽」が印字されている。今回注目したのは、その役者絵の隅に、「仙女香」という粉白粉のCMがあることだった。京橋で販売された「仙女香」は、三世瀬川菊之丞の俳名「仙女」にちなんで命名され、浮世絵とタイアップして宣伝を行った最初の商品だった。

  (画像は「ドクターK」webから)

 「仙女香」を販売していた坂本商店は明治以降、洋傘や杖などの販売も手掛けたが、粉白粉の宣伝は江戸の刊行物の巻末にも次のような効能を載せていた。

 △常に用ひていろを白くし きめをこまやかにす △はたけそばかすによし △できものゝあとを はやく治す △いもがほに用ひてしぜんといもを治す △にきびかほのできものに妙なり △はだ をうるほす薬ゆゑ 常に用ゆれば歳たけても かほにしはのよる事なし △惣身一切のできものに よし △ひゞあかぎれあせもに妙なり 股(もゝ)のすれには すれる所へすり付てよし     

「仙女香」は美容というより薬の扱いだった。そのうえ、十包以上買えば 当時の役者の自筆の扇子を景品として、または、贔屓の役者のサインを提供するというような画期的な販売戦略だった。

  菊五郎の背景は「白髭神社」のようで、猿田彦命[サルタヒコノミコト]を祀り、白髭のとおり長寿や縁結びの神様として信仰を集め、大社のある近江の歴史は2000年以上と伝えられる。すると、場所は琵琶湖畔かとも思うが、江戸にも隅田川沿いに白髭神社があったので、こちらのほうが有力か。神社の神殿が右上に描かれている。

 この役者絵のテーマは、「千社詣」だ。それは江戸時代に幾たびも起きた飢饉によって、庶民は盛んに寺院も含めた「千社」をまわり、五穀豊穣を祈ったわけだ。千社札の版元は浮世絵の版元と同じであることも多かったので浮世絵並みの見事な千社札も登場。現在ではシールのようなものもあるが、景観や建物を損なってしまうので、貼るのを禁止している寺社が多くなっている。

 

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