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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

天竜の隠れ里「百古里(スガリ)」を訪ねる 1

2015-03-28 22:03:53 | 意見・所感
 知人が主宰するNPO法人「楽舎」主催の「百古里めぐり」に参加する。
 天竜の国道から林道のような狭い道路の山奥にその集落がある。
 最初に訪問したのは桶屋の屋号があるばぁばたちが運営する地元野菜直売所だ。

     
 作業場の下に菜花やおにぎりや切干大根が並ぶ。
 商売っけがないし、談笑が絶えない。
 日本の朴訥な優しさがあふれている。

 なんどか遠くから見ても、いつもお客が絶えない。
 売ることより訪問者との交流を楽しんでいる。
 田舎というと閉鎖的なイメージもあるが、この開放的な空間にホッとする。

                       
 次に訪問したのが「将軍杉」「武速神社」。
 将軍というのが坂上田村麻呂のことだ。
 数万の軍勢で東北の蝦夷を初めて掃討する。
 歴史の勝組の痕跡がこのようにあるが、敗者の蝦夷の痕跡は抹殺されている。

    
 その隣に、吊るし雛の作品を展示している黒川澄子さん宅があった。
 元旅館だったという1階の部屋にびっしり展示されている。
 手作りのぬくもりが部屋を暖かく包んでいる。

 
 あまりに素敵なハンドメイドなので、「販売はしていないのですか」と聞いたら、「一つ一つの作品に思い入れがあるのでどうしても販売できないんです」という。

          
 なんでここに和菓子があるのかとよく見たら、これも布で作られていた。
 厳しい中山間地の暮らしの中でもこれほどの作品を産み出すアート「力」に感激する。
 うららかな陽射しを浴びながら参加者の満足な笑顔の列が続く。
 山あり、川あり、畑あり、芸術家あり、古民家あり、素朴な里ありの環境は、心豊かな人間を形成する。
コメント (2)
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夜回り先生のいのちの授業

2015-03-01 21:59:38 | 意見・所感
 深夜から雨が続く。
 きょうは夜回り先生こと水谷豊さんの講演会があることを急に思い出す。
 時間をみたらなんとか間に合いそう。
 
 期待通りの講演。
 夜の盛り場を徘徊する少年少女たちと真剣に向き合っている迫力がそのまま言葉となる。

                          
 「家から出て美しいものに浸りなさい。とくに自然への畏敬はとても大切。それとともに生きていると自分が強くなる。」
 「家に閉じこもるのではなく、外に出て汗をかこう。するとストレスや悩みはなくなっていく。」

                     
 いちいち納得する。
 「農的生活を修行しているオイラの道は間違っていないなー」と心強く思った。
 水谷さんの行動を貫いている魂は、「人間がいま生きるとはなにか」ということ。
 スマホやネットがなくたって充分生きていけることを強調する。

       
 水谷さんの精神は、今のおとなや社会に対する「怒り」「異議申し立て」にある。
 誰がこんな子どもたちにさせてしまったのか、という正義感にある。
 人間にとっていちばん大切なものとは何か、それを機関銃のように間髪いれず弾丸を打ちまくる。

 おとなが宿題をもらったんだな。
 この宿題は紙の上ではなく暮らしのなかで結果を出さなければならない。
 
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新聞元旦号をやっと読む

2015-01-05 22:31:29 | 意見・所感
 正月恒例にしている新聞各紙の「社説」「トップ記事」を読む。
 ふだん新聞を購入していないので久しぶりの活字との格闘だ。
 
 「産経新聞」は、現状の日本を的確に批判しこれからは「自立・自助」の覚悟が必要だと説く。
 いつものヒステリックさがないのがいい。
 しかし、それには「憲法改正」が必要だという結論には説得力がない。

 「毎日新聞」の社説は、序列で他国を見てきた東アジアの歴史を、「脱・序列思考」からしか信頼はないと指摘。
 総論としてはわかるが踏み込みが欲しい。
 その点では、トップ記事の「再生は国に頼らず」の事例として、長野県下條村と鳥取県智頭町を紹介。
 そのとりくみからの再生の鍵は、「住民自身が汗をかく」「活動の中心の中核層の存在」「知恵がなければ住民から借りる」の3点に絞る。
 この事例記事は、5紙のなかではいちばん説得力がある。

       
 「日本経済新聞」の社説の、日本の現状認識はさすが冷静に分析。
 「戦後70年の統治のかたちづくり」のヒントとして、明治の米エール大学の歴史学者朝河貫一を引用。
 「読者よ、日本国民はその必要の武器たるべき、健全なる国民的反省力を未だ研磨せざるなり」と、日露戦争に浮かれる現状を批判した一文を紹介。なるほど。

                             
 「朝日新聞」の社説は毎日新聞の社説に近いが、グローバル時代の歴史のあり方として「自虐や自尊を超えて」と展開しているが、結論が煮えきれない。
 むしろ、トップ記事で森英恵を例に出し、個のチカラ海外への道を拓いた彼女の歴史が素晴らしい。
 戦争体験をベースにした森英恵の願いは、ファッションこそ究極の平和産業、生きる上でのビタミン剤として結実しているという。

 「読売新聞」は5紙の中ではいちばん長い社説だったが、アベノミクスへのすりよりが甚だしい。
 ジャーナリズムというより、阿部政権の広報紙という内容で饒舌なわりには新鮮さも切れ味もない。
 「正力イズム」はいまだ健在なんだなー。
 トップ記事の「ビットコイン不正操作」は、スクープとして他紙を凌いでいるのが救いかもしれない。
  
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正月飾りを作りながら

2014-12-31 21:54:02 | 意見・所感
 夕方に正月飾りを作り出した。
 裏山や畑から採ってきたフジやクズのツルで作ったリースをベースにする。
 センリョウは農協直売所から、飾り物は100円ショップから購入したもの。
 近くに実ったツルウメモドキをメインにしたかったが、実がしっかり落ちてしまっていたので断念。

                        
 飾りを作りながら、ここ1年を振り返る。
 なんといっても、昨年の冬に数十年ぶりに入院したことが一大ニュースだ。
 さいわい半年ごとの通院ですんでいるが、体力の衰えは否めない。

                     
 毎朝、足を中心に体操をしているのがいいようだ。
 そのためひざの痛さもずいぶんなくなってきた。
 やはり、そこに畑があるというのが大きい。
 都会にいたらてき面だ。

                   
 「半農半X」の「半X」のほうも少しずつ増えている。
 そのため、素敵なネットワークや出会いに手ごたえがある。
 経済成長が豊かさだという神話の崩壊を自分の生活で証明したいこともある。
 「半農半X」の実現がその答えだと思っているからだ。

              
 だから、都会ではなく山に囲まれた過疎地にいる。
 「隣のトトロ」ではないが、日本が忘れてしまったものがここにある。
 それらを見出し、それを心の糧にすることで、生きる意味を確かめるのだ。

     
 ブルーベリーが霜の攻勢にも負けずじっと春を待っている。
 そんな姿を学ぶことから、希望はつねに堅持していこうと思う。

 農地も荒地を開墾し、過去最大の広さとなった。
 そのぶん、忙しさも増えてきた。
 でも、自分のペースとスタンスは守りながら、ゆっくり歩むことにする。
 
 
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600億円の衆議院選挙が残したもの

2014-12-15 22:00:27 | 意見・所感
 600億円以上はかかるという選挙が終わった。
 大義なき選挙はまたまた政治への不信と思考停止を産み出す。
 政治のきらいなオイラでもさすがに怒りを抑えられない。

   
 投票率の52.66%は戦後最低を更新したそうだ。
 政権を執った民主党の失政は国民の期待を裏切り続けた。
 野党のジコチューと分裂は当事者能力がないことを証明している。

                 
 日本はどうも「政治タブー」というものが隠匿されている。
 学校教育では政治を論ずることを封じ込めるのに成功した。
 つまり、学校現場は文科省の上意下達に支配されているからだ。
 自由にものを言えない教育現場は、萎縮と自己規制とを内在してしまう。

                  
 その影響は陰湿ないじめを育てていく。
 草の根保守主義は、疑問という回路を失った優等生を確保していく。
 その優等生の語る言葉はもっともらしいので、相手の思考停止を誘ってしまう。
 疑問を持った人間は排除される運命にあった。

                    
 こうしてえいえいと日本の社会構造はむかしも今も本質的に変わらない。
 民主主義社会は実現しないが、民主主義とはそれを実現しようとする過程そのものだ
 と言った政治学者がいるが、その通りだと思う。
 だから、ひとりひとりがその実現過程に参画することが重要だ。

       
マスコミは若者に「投票にいけ」というが、その背景にメスを入れないで形だけの投票行動を言うだけではダメだ。
 現代的な自由民権運動があらゆる分野で必要ではないだろうか。
 「自由を取り戻す」というのが、オイラが今まで生きてきた大きな課題・壁でもあったからだ。


 その壁はあまりに厚い。
 だから、鍬でその壁を少しずつ崩している。
 おっと、壁ではなく大地だった。   
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原発隠しの衆議院選挙に思う

2014-12-11 22:02:59 | 意見・所感
 一日中、雨が降りしきる。
 これをチャンスにと、やる気に発破をかける。
 収穫していて手つかずだったキクイモの皮むきに午前も午後もかかってしまった。
 もちろん、録画しておいた番組を見ながらの作業だ。

                       
 国民のための選挙ではなくてジコチュウの野党にとどめをさす選挙。
 消費税に不安を持つ国民に対して、数の力で納得させてしまおうという選挙。
 原発再稼動を争点にしないよう国民の目をそらすよう仕組まれた選挙。
 集団的自衛権や秘密保護法も触れないよう景気だけを宣伝する選挙。
 閉塞感を景気のせいにして国民の心を世論操作する選挙。

                 
 党利党略の解散に怒りすら起きない鈍感力。
 公平を装いながら選挙の本質を報道しないマスコミ。
 いまだに原爆症や水俣病患者が苦しんでいることを忘れている健忘症。
 3.11でいまだ仮設住宅に押し込められている人の存在を削除している風化力。
 
   
 幼児化する犯罪、刹那化する犯罪、通り魔化する犯罪。
 ニュースの裏側に立つ人間解体の深淵。
 明日が見えない貧困に沈殿していく優しき群像。

                    
 そんな現実があっても、テレビはお笑い芸人にジャックされている。
 いまや、現実はバーチャルになり、バーチャルが現実化している。
エンデの『モモ』の世界が現実化している。
 「時間泥棒」を見抜く「モモ」はいったいどこにいるのだろうか。    

       
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