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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

あけましておめでとうございます  2017年元旦

2017-01-01 18:34:32 | 意見・所感
 昨年は、和宮様の入院、書架の完成、新たな出会い、森林散策会の発展、多品目の野菜栽培等々ドラマチックな年となった。
 同時に、オイラも時代もいつのまにか古希を迎えてしまった。

 世界はテロの頻発、格差社会の拡大など今までの歴史とは違う段階に入った。
 先進国日本の発展はわからなくもないが、人間性の解体過程も同時に進行している。

 花森安治の言葉。
 「美しいことについての 感覚のまるでないひとたちが、
 日本の政治や経済を 動かしているところに、
 いまの世の中の不幸がある。」


 こうした混沌のなかで何に向かって生きていくか、何をアイテムに自分を生かしていくのか、を確かめる今年が始まる。
 初詣も行かない、「紅白」もバラエティも見ない静けさがいい。
 みんなと同化しない、同質にならないのが大切な時代。
 玄関前で生け花もどきの、オンリーワンのパフォーマンスを楽しむ。


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漱石没後100年を迎えて

2016-12-09 20:41:01 | 意見・所感
 夏目漱石没後100年となるが、このところそれを記念したドラマ・映画・ドキュメンタリーが静かに「上梓」されている。
 ロンドンで見た先進国の繁栄とその裏側、さらには続く戦勝に歓喜する日本の危うさ、それを初めて覚醒した文学者でもある。

                                  
 漱石が抱えていた煩悶と隙間はいまだに問題提起のまま100年を迎えてしまった。
 つまり、同じ問題に解決策を実現できないままの現在がある。

                                  
 漱石のいくつかの小説を読んだもののうわべだけの読書だった。
 「近代の奈落」を内外で見てしまった漱石の憂いを行間から読み取れなかった。
 自虐的に見える諧謔からユーモアとか談論風の風刺しか感じなかった。

     
 経済成長神話は古事記や日本書紀のようにいまだ時代の主流だ。
 しかし経済成長は永遠に続くものではない。
 原発やカジノやTPPなどのカンフル剤を打っても体幹が弱っている。

                                    
 欲望拡大の経済成長ではなく持続可能な「幸せの経済」を具体的に模索するときだ。
 漱石の投げかけた提起に応えていく内発的な生き方を実現していくことだ。
 それがアジアから信頼されていく筋道でもある。

 「遅れてきた青年」日本は、中国・朝鮮という大国に古代からついこの間まで学びながら自己形成してきた。
 その謙虚さ・「学ぶ力」が日本の成長を支えてきた。
 観光立国の狙いは経済面で語られることが多いが、「人間力」「里山」の素晴らしさを充足すべきなのだ。
 といいながら、長い昼寝から起きられない。
 
 
  

                                     
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「世界一貧しい大統領」は世界一豊かな政治家だった

2016-04-13 20:32:35 | 意見・所感
 きょう、娘からDVDが届いた。
 先日見逃した「世界一貧しい大統領」、ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領を特集した番組のDVDだ。
 ムヒカは、ノウネクタイを貫いてきたが、その理由は「ネクタイは政治家が嘘を吐き出さないためにするもの」と指摘するところはじつに的を得ている。
 それは同時に、欧米的発想にこびた服装に対するアンチテーゼでもある。
 例えばそれはノーベル賞をもらうときや首脳会談のとき、日本人は和服で行けばいいのに、かねがね思っていたからだ。                               

                                
 このところ「パナマ文書」が暴露されているが、政治家や企業家の私的利益隠匿はすさまじいものがある。
 その意味で、ムヒカ前大統領をとりあげたのはフジTVとしては珍しく当為を得たピックイベントだ。
 彼が注目された感動スピーチは、「われわれは発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。
 幸せになるためにやってきたのです」と。
 
 「人はわずかなものしか持っていなくても幸せになれる」と経済成長・景気が幸せとする時代の風潮を揶揄する。
            
 
 日本の悩み第1位は「時間がない」だが、それに対して彼は、「何に時間を使うか」と問う。
 つまり、「生きることは死に向かっている」時間の連続でもあり、時間は有限である。
 だから幸せであるとは、生きていることに感謝することだという。
 その裏付けには大義が必要でそれに情熱・希望を持ち続けることだというところが彼らしい。

                              
 彼の言葉は仏教の教えに通じるものがある。
 欧米化した日本人は過去の自立した日本から学ぶべきことを提起してもいる。
 こうした政治家が日本でなかなか生まれない土壌は同時にわれわれの生き方の反映でもある。
 同質になることがお互いに安心感を担保する現代の保守性は、社会を自分を地域を国民を脆弱にする。
 ムヒカをほとんど取り上げてこなかったメディアの感性も然り。

 ムヒカにはとうてい及ばないが、オイラも同じようなことを考えてきた。
 そうしていま、自分ができるささやかな行動をそこそこ続けていることだけは娘に伝わっているだろうか。
 DVDを送ってくれたことがその証左だよね。
 
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中村文昭さんの「しゃべくり」が止まらない

2016-02-20 21:22:56 | 意見・所感
 年間300回以上の講演が殺到するという、中村文昭さんの講演を聞きに行く。
 三重の山間部で過ごした少年時代から物語が始まる。
 自分が育った山や川で食べ物を家に持ち帰ると、母が必ず褒めてくれる。
 それが、仕事とは人を喜ばすことにある、という覚醒の原点であったという。

                           
 誰もが経験する身近な例をあげて、これでもかと「人を喜ばす」意味を語る。
 わかりやすい。
 これだと相手が子どもであれ高齢者であれ経営者であれ教師であれ納得せざるをえない。
 落語の人情話のように感動を惹きつける。

                            
 「頼まれごとは試されごと」を強調する。
 人から頼まれたら自分が試されていると思って引き受けろ、という。
 できない理由を言うやつはいつまでもできないときっぱり。

        
 何のためにという自問自答をもって行動していくと、道が開けていくということだ。
 会場にはスクールバスで野球部の高校生がいっぱい来ていた。
 それを促した教師が素晴らしい。
 聴衆も若い夫婦が目立ったのも心強い。
 講演と連動して、過疎のこの町も捨てたもんじゃないことを示唆していた。
 
 
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元旦の新聞社説を読む

2016-01-01 23:00:38 | 意見・所感
 正月は各新聞社の「社説」を読むことにしている。
 というのも、ふだんの社説はまったく読まないからでもある。
 同時に、日本の針路について各新聞社はどういう展望をもっているかを探りたいからでもある。

       
 「日本経済新聞社」は、日本経済の生き残る条件としてEUで成功しているスイス・オランダを例にして、「優秀な人材を世界から引き寄せる国の魅力」が必要だとしている。
 かつての日本のように「追いつき追い越せの時代」に再び突入したというが、同じ繰り返しの対応では新鮮さがない。

                           
 「読売新聞」は、紙面の半分を使った饒舌な社説を載せているが、安倍内閣の成長戦略の実現に期待を寄せる。
 以前のようなヒステリックな論調はなくなったが、原発の再稼働・新増設推進などを謳っているところは読売らしい。

    
 「毎日新聞」は、「自立した個人の多様な声が反映される社会」の実現が社会の分断から融和への鍵とする。
 総論としては納得がいくが抽象的過ぎて説得力がない。

                        
 「朝日新聞」は、冒頭に「地球が、傷だらけで新年を迎えた」と危機感が漂う社説が始まる。
 「理念より実際的な解決への理解を広める」ことで、「連帯や共感の再生への取り込み」を構築していく重要性を指摘する。
    
                       

      
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2016年 あけましておめでとうございます

2016-01-01 00:29:21 | 意見・所感
 縄文人が一万年以上をかけて育くんできた「黒土」のおかげで、食べきれないほどの野菜をいただいております。
 縄文人に学び、今年も平和で循環型の暮らしが持続できるよう祈念いたします。
                2016年 元旦

                        
最近の地質学の成果から衝撃の事実が注目された。
 それは日本にフツーにある「黒土」は縄文人による焼畑農業による人為的な遺産だというのだ。

 それを1万年以上も継続してきた例は世界的にも珍しいという。
 焼畑によって地力をつけ、さらに森を再生するという循環型の暮らし、自然との共生を続けてきたわけだ。

    
 今の経済成長は自然破壊・地球犠牲の上に成立する。
 地球や人間を犠牲にしない「幸せの経済成長」の原点は縄文文化にあると思う。
 それを現代的に実現するにはかなり慎ましい暮らしになる。

                     
 ひるがえって、わが地域の集落の暮らしはそれに近い日々がある。
 このことを糧に今年も生きていこうと思う。
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越冬準備しているのかな

2015-11-27 20:15:53 | 意見・所感
 きょうはさすがに寒すぎる。
 ときおり烈風が飛び、不気味な唸り声も聞こえる。
 ついつい、炬燵から出られない。

                         
 そのため午前中は戦意喪失だったが、午後は重い腰をあげてブルーベリーに追肥をする。
 イチゴの葉に、「セスジツユムシ」がじっとしているのを発見。
 背筋の色は、黄白色がメス、茶褐色がオスなので、これはメス。

        
 ジャノメチョウの親戚の「クロコノマチョウ」が枯葉のようにやってきた。
 幼虫の食草はススキなどのイネ科なのでわが荒れ地のススキ地区に生息くしているのだろう。
 静止の時は翅を開かないので表の目玉模様が見られないのが残念。

                         
 寒さのせいか近づいても逃げない「シロツバメエダシャク」を近所で発見。
 真っ白のキャンバスにひかえめな横帯の線という単純なデザインの蛾が抒情を誘う。
 よく見ると、後翅の先端には目玉模様がほくろ状にアクセントしている。

                            
 草刈りをしていたらヨモギの茎や葉に白い綿毛上のものがいくつか見られた。
 これはきっと虫えいに違いないと調べてみる。
 すると、「ヨモギハシロタケマフシ」という虫えいだった。

          
 この宿主はタマバエという蚊に似ているハエの仲間。
 虫えいのネーミングの最後は、「フシ」がつくということだ。
(タマバエの画像は平塚市博物館HPから)

 寒さのせいか、昆虫たちもじっとしていることが多い。
 つまりは人間と同じく、冬が過ぎるのをじっと待っているということなんだな。

    
 
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難民は欧米が生み出したもの

2015-09-08 21:37:16 | 意見・所感
 ここ数日、シリア難民がドイツを目指してヨーロッパに越境している画像がメディアに溢れている。
 ドイツが年間50万人の難民を受け入れられると表明している。
 ナチスドイツが他民族を殺戮してきた教訓からの措置でもある。
 原発を止めるという決断もさることながら、哲学のドイツらしい本源的な判断だ。

                             
 それに比してわが日本は、難民を受け入れることに消極的だ。
 それ以上に日本は、戦争の加害者としての責任をいまだあいまいにしたままだ。

 ドイツが近隣国から戦争責任を問われないのは、そうした反省と教育と方針とがある。
 日本の統治者の目は、アメリカのご機嫌うかがいをしながら西洋の一員になりたいのだ。
 
          
 だから、アジア諸国にはいつも心が向かない。
 沖縄問題も本質的には同じ発想なのだ。
 ドイツの英断から学んでほしいぜよ、日本よ。


 今回の難民問題の本質は、欧米に根源的な責任がある。
 アフリカに対するかつての欧米の植民地主義によるものだ。
 他国の資源を収奪しつくして放置してきた結果であることを忘れてはならない。
 そこをマスコミも目をつぶって目先の大変さばかりを放映してしまうから、他人事となる。
 
 

       

 
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ついにカボチャを初収穫、パプリカ順調

2015-08-25 21:51:02 | 意見・所感
 いよいよカボチャを収穫した。
 駒形の同じ大きさのカボチャだ。
 食べごろは9月末ころだ。
 ヘチマ型のヒダカボチャは来月上旬ごろになりそうだ。

                          
 何者かに食べられていた「パプリカ」も今は順調な大きさと色合いとなっていた。
 原産地はなんとハンガリーとのこと。
 トウガラシの辛みを抜いて品種改良することで、生活習慣病の予防対策として推奨していったという。
 
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川遊びできるしあわせと首相談話

2015-08-14 20:17:04 | 意見・所感
 お盆休みの静けさはさすが中山間地ならではだ。
 どこへいっても混むとか待つとかいうことがない。
 国民の多くは作為されたレールに乗せられて銭をまきあげられていくだけだ。
 過疎地のわが地域では猛暑の中でもほぼ近所の川を独占的に利用できる。

               
 澄んだ川でハヤ・メダカ・オタマジャクシ・サワガニを捕まえることができた。
 虫嫌いだった子どもたちもツマグロヒョウモンを自分の力で捕まえられるほどに成長した。
 「田舎力」は子どもの人間的成長を飛躍させることを確認できる。

                     
食事のほとんどは七輪を中心にした薪・炭の自然エネルギーでまかなう。
 これでパン・ソーセージ・肉・魚・焼き芋・落花生・パプリカなどを焼いていく。
 これに畑のキュウリ・トマト・ルッコラなどが加わる。

      
 至福の時間は子どもたちのおかげで自然の中に生きる昆虫などの生き物の存在を確認することができる。
 そして紺碧の空を見上げて刻々と変わる雲の流れを追う。


戦後70年安倍首相の談話が発表された。
 全体としては誠実な反省のトーンで語られているが、現実の政治との乖離があまりにありすぎる。
 「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。」と言うが、そんなことより「経済・景気」でしょ、というのが本音。
 「繁栄こそ、平和の礎です。」といいきり、繁栄の陰の格差にめをつぶる。
 
        
  「<積極的平和主義>の旗を高く掲げ」とナルシシズムに酔っているが、実際はアメリカの核の傘によりそい、平和運動をサボタージュしてきたのが実情だ。 本来なら反核運動の先頭に日本は立たなければならないのに、まったく広島・長崎任せだ。
 しかも、沖縄復帰では非核三原則を破り核の持ち込みを黙認してきたくらいだ。

                            
 中山間地など田舎の過疎に拍車をかけ、東京中心主義による経済成長の「パイ」を拡大させることに狂奔してきた。
 原発を地方にアメとムチで押しつけ、基地を沖縄に封じ込め、高慢な政治を担ってきた。
 そんなとき、田舎の持つ「自然力」はなんとか保持しつつある。
 首相談話の自己陶酔の作文にうんざりしながら、捨てられた過疎の集落で川遊びをゆったりできる至福を感じる一日でもあった。
          
 
                   
 
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