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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

山道の杉枝を片づけながら

2017-11-19 18:47:56 | 旅行・散策

 日本の中央で近代林業の中心地だった浜松市龍山の散策会に行く。

 地元の楠さんが今ではあまり利用していない昔の通学路に焦点を当てた開発コースだ。

 そこに散策の看板を立てたり、山道をふさいでいた杉枝をどけて当日を迎えた楠さんのボランティア精神に頭が下がる。

 

     

 林内の薄暗い「通学古道」は、間伐もされず下草もない現状に日本の林業の実態を見る。したがって、土砂崩れも少なくない地域ともなっている。

 

 親子三代にわたって石垣を積み重ねながら茶園を作った場所が「瀬尻の段々茶園」だ。

 平地のない山間地は石を集めて少しでも平地を作ることから暮らしが始まるという。

 その典型の藤原さんの家が直下にあり茶工場も作動している。

 高低差が100mもあるこの石垣の端には「野猿」と呼ばれる「索道」で道具や収穫物などを稼働させているのが見える。

 

                  

 「通学古道」のてっぺん付近で、瀬尻国有林を水源とする不動沢から落差32mもある「不動の滝」に出る。巨岩を縫う姿と音とが雄々しい。

 滝を見上げる橋の背後には天竜川と天竜美林の絵となる眺望を堪能できる。

 

 滝の下付近には210段の階段もある遊歩道があり、紅葉を愛でながら歩いていく。

 あまりにもみずみずしい滝と紅葉と空気のせいか、突然詩吟を吟ずる参加者がいた。

 「通学古道」を生かした観光ツアーも企画できないものか、役所は残念ながら当てにできないから、こうした民間からの一歩が大切だと痛感する。説明のための写真パネルも用意してくれた楠さんの思い入れが光る散策会だった。

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新しい森を拓く意志の高さ

2017-06-18 20:29:03 | 旅行・散策
 天竜春野町砂川周辺の森林散策会に参加する。
 陶芸家の吉田さんが呼びかけて8000坪の針葉樹の森を広葉樹と交流の森にしていく取り組み現場を初めて見る。
 切り拓かれた森には古代に使われていたであろう葦の舟も展示されていた。

   
                                
 杉を伐った跡地に木彫作家の木下さんの作品が違和感なくあちこち置かれていた。
 夜には木製の常夜灯になるのだろうか。
 また、土壌改良の炭を作るための炭焼き窯も作られていた。
 66歳の吉田さんの夢は着々と形になってきている。

                                 
 その夢はフェイスブックでつながったネットワークで実現してきたものだという。
 針葉樹を切り開いた地面のあちこちには若い広葉樹が植えられていた。
 その根元にはここで作られた炭がまかれていた。

   
 またその近くには、木立に囲まれたコンサート会場も作られていた。
 「春野人めぐり」の主宰者でもある吉田さんが培ってきた人的つながりが新たな世界を拓いたということだ。
 それに比べてオイラの行動力の小ささが痛感されてしまった。

                        
 この森の近くにオープンしたペット複合施設「DCキャッスル」を見学する。
 Uターンした地元の方が、ペットの宿泊・慰霊碑・交流・ドッグランできる多様な場となっている。
 森の中に突然立派な施設ができているのが頼もしい。

  
                             
 食事やドリンクもできるのが嬉しい。
 ただ、ムラの中心地でも食事場所が稀なのに、こんな山奥で採算が取れるのだろうかがとても心配になる。
 
 この二つの施設をつなぐ東海自然歩道のアップダウンに汗だくになりながら、新宮池で解散となる。
 参加者は50人弱だったがその呼びかけは、塩の駅「天狗の親子」の杉山さんの尽力が大きい。


    
 
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桃源郷は創りあげるもの

2017-03-19 21:22:14 | 旅行・散策
 早春ぴったりの天竜道の駅「花桃の里」の散策会に行く。
 隣の天竜川では舟艇の競技大会もあり高校生の姿が目立つ。
 40名以上の参加者が周辺のいつものコースを歩く。

                        
 道沿いで樹木に着生していた「マメヅタ」(ウラボシ科)の胞子葉を発見。
 マメヅタは岩にも着生しているシダ植物でよく目撃するが、胞子葉を見るのは初めてだ。
 身近なものだが今までいかに観察していなかったかを感じ入る。

    
 5~6年前は荒地だったところを開拓しハナモモの郷にした。
 しかも個人の庭を含め地域のいたるところに植えてある。
 これは地域の協力なくして実現できない。
 
                         
 ハナモモのトンネルを歩きながら桃源郷とは発見するものではなく、創るものなんだということをそれは提起している。
 道の駅スタッフはあまり目立つようなことは言わないがその真摯な努力はもっと評価しなければならない。
 それは過疎地に悩む地域の活性化のヒントがあるように思う。

                            
 午後はボランティアサークル「森の案内人の会」の総会に出る。
 来月から浜松市が手を引き、散策会のすべてを「森の案内人の会」が主催する。
 参加者が増えているわりにはそれを運営するスタッフは少なく、しかも浜松市の支援はなくなり資金もきわめて脆弱だ。
 それには内輪なボランティアではなく経営感覚をもった力を持たないと課題を乗り切れないように思う。

 花桃の里で学んだ夢を実現する愚直な実行力がまずは一歩。 

 
                         

 
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山城に突入する

2017-01-15 20:55:28 | 旅行・散策
 徳川軍と武田軍とが激突した山城・犬居城を訪れる。
 城下からも山城がしっかり見えるが、あそこまで本当に歩けるのか不安になる。
 昨日雪が降ったのにこのあたりの積雪はほとんど見られない。
ただし、雪のせいで寒風が刺す中での山城突入の森林散策会である。

                                
 まずは麓にある秋葉神社の下社に行く。
 そこには奉納された日本一の「十能」「火箸」があった。
 火の神である秋葉山に技術向上と作業安全を祈願した鉄工所からの寄進だ。

     
 境内には赤石で固めた「手水舎(テミズシャ)」があるのが秋葉神社らしい。
 一般的な手洗い所は石をくり貫いたりコンクリートだったりするのがふつうだ。
 静岡北遠にある南アルプス赤石山脈の赤い岩石なのに違いない。

                                     
 
 山城ルートはアップダウンが激しかったが、杉木立が寒風をふせいでくれた。
 前日の雪にもかかわらず、40人近くの参加者があった。
 みんなけっこう健脚であっというまに頂上・展望台に着く。

                                    
 頂上には宝歴2年(1752年)奉納された役行者の石像があった。
 ということは、廃墟になった犬居城のあとを修験道の修行場所に利用されたことになる。
 奉納願主は、河村新左エ門ら河村家の名前が刻字されているが剥落がありよく読み取れない。

 わが家に着く帰り道ではまた小雪が降ってきた。
 作業しようと思っていたがとてもやる気が起きない寒さだったので、すごすごと「おこた」の世話になる。                                
                             
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今年初めての忘年会

2016-12-10 16:12:13 | 旅行・散策
 森林コーディネーターが集う「森の案内人の会」と天竜「道の駅」の役員との合同忘年会を行う。
 来年度以降、天竜の「森林散策会」を共催していた浜松市が手を引くこととなり、これから市民が自前で企画・運営をすべてしていかなければならなくなった。

                            
 浜松市は「スクラップ&ビルド」というが、本音はスクラップしかない。
 というのも、市民と行政との協働の典型的な事業だったものだが、実態は市民がかなり主導的に担ってきたイベントだった。
 浜松市の森林を市民といかに守り育てていくかという行政のコンセプトがなかなか伝わってこなかった。

                              
 地元の役所の「地域センター」が「協働センター」へと名称が変更されたが、心配していた通り体質は以前のままだった。
 市長のコンセプトが現場まで浸透しないというか、それを理解する行政マンがいないという実態がある。
 散策会の実施をわれわれ市民がやっていくのは従来通りやぶさかではないけど。

       
 スクラップしたあとで何をビルドしていくのかというコンセプトが行政にないのがやはり致命的なのだ。
 むしろ行政の応援団だった市民グループを結果的に切ってしまう行為でもある、というのを当局はわかっていない。
 つまり、われわれ市民グループと行政との関係が今までとは違うレベルでの連携を強めていくステーションに着いたのではないか、と思う。

                                
 換言すれば、市民グループがそういう提案を行政に持ち寄る段階になったともいえる。
 同時に、連携する部課をわれわれも他局に広げていったり、市民どおしのNPOセンターとの連携も視野にいれなければならない。
 課題はいろいろあるが、今まで通り背伸びしないで前向きに継続していくことがすべてだ。

      
 おっと目の前のご馳走は、天竜二俣の創作料理屋「ぎふや」だった。
 期待通りの創作料理だったがすべては食べきれないほどの量質だった。
 最後に出されたうな重はどうも中国産のウナギみたいで固かったのが残念。

 今年最初の忘年会は次のステップを促す集いだった気がしてならなかった。
 ごちそうさま。幹事に感謝。
 
         
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鉱山の負の遺産が知らされていない!

2016-11-21 19:47:18 | 旅行・散策
 昨日の森林散策会は、仲間の楠さんの事前準備の見事さと共に、道の駅もどきの「ドラゴンママ」さんの地域おこしの情熱が伝わった。
 「ドラゴンママ」に並ぶ商品はすべて地元産にこだわった開発商品だ。
 お昼に食べた500円のお弁当は、味の旨さはもちろん地元産の豊富な食材で作られているうえに、見た目にも豪華だった。
 食べるのに夢中で画像が撮れなかったのが悔やまれる。

     
                                  
 山奥で見た神社の杉の木は上から下まで溝があった。
 案内役の相佐さんによれば、雷が落ちたときの印しだという。
 また、見上げた杉・ヒノキの皮が一部剥がれているのは、ムササビが来た痕跡だという。
 
                           
 廃校跡地だった公園では、地元自治会長が鉱山物のかけらを用意してくれた。
 近くに「峰の沢鉱山」があり、1956年(昭和31年)往年は1000人を越える鉱山関係者が住んでいたという。
 戦前は中国人や朝鮮人を強制連行・強制労働で銅を産出していた。
 しかしそれを語る人はなかなかいない。

        
 中国人労働者の三分の一が栄養失調で死亡したり、朝鮮人が半分近く逃亡したり、サボタージュをしたり、争議もあったという。
 日本の中枢産業を支えた鉱山の栄枯盛衰の歴史を懐かしむのは良いとしても、日本の植民地支配の負の遺産に目をつぶってはならない。
 黄銅鉱石の輝きを見ながら、鶴見俊輔の「忘れないこと」の意味を思いだす。       
          
 
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戦国の要衝「天竜二俣」を往く

2016-10-30 21:19:40 | 旅行・散策
 いつもの森林散策会は今回、天竜の要衝「二俣城・鳥羽山城」を中心の史跡散策となった。
 最初に足を運んだのは信長の諫言で自刃した家康の長男「信康」の清瀧寺の墓だった。
 扉には徳川の紋がむなしく刻まれている。

                        
 寺の境内の中には、「ナギ」の立派な大木があった。
 熊野系の神社ではご神木にしていることが多いという。
 その名から「凪」にちなんで船乗りに信仰されたり、葉をお守り袋に入れたりしていた。
 また、葉の葉脈が竹のように真っすぐなので夫婦円満・縁結びのお守りに使われているという。

            
 隣には鬱蒼とした孟宗竹が乱雑に生えている径がある。
 これでは竹を伐っても竹が倒れるスペースがないくらいだ。
 街中にあるからなんとかボランティアの力で管理できないものかと直線的に思う。

 その後、武田と徳川が争奪しあった「二俣城」と「鳥羽山城」を見たが、以前来たこともあったせいか、上っ面を見ただけに終わる。
 城巡りは一人で歩くか、山城にかなり詳しい人と歩くのがいい。

           
 次に、この界隈の名主で筏問屋の旧家「田代家」に行く。
 天竜川に下ってくる木材の受け継ぎ問屋、天竜川を上下する船・筏の貨物への課税請負、なども兼務していた名家である。
 ちなみに、『ビルマの竪琴』の作者・竹山道雄の母の実家でもあるという。

                            
 主屋(シュオク)は1859年(安政6)の再建。
 室内で目立つのはいくつかの欄間や大黒柱の見事さ。
 建築の知識があればもっと発見があったと思える。

 コースの景観が次々変わっていくのが楽しい散策となった。    

           
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散策会で「ミヤマカラスアゲハ」を発見

2016-08-21 20:32:01 | 旅行・散策
 あすは台風9号の上陸だそうだが、きょうはなんとか蒸し暑い晴れの森林散策会が天竜・横川「道の駅」周辺で開催された。
 コースは20年ほど前工事が始まったがそのまま開削されないままの幻の県道だった。
 そこでなんと、ミヤマカラスアゲハ♂を発見。

                             
 青緑色のメタルカラーの美しさは言うまでもない。
 水を飲んでいるアゲハは人が近づいても逃げないのが不思議。
 しばらくみんなでその魅惑を味わった。

 カラスアゲハはわが家にも来たことがあり見たことがあったが、ミヤマカラスアゲハにはなかなか会えないでいた。
 20年ほど前、長野の里山でミヤマカラスアゲハの群舞に出会って衝撃だったが、それ以来の再会だ。

                             
 林縁ではヌスビトハギ・キンミズヒキ・ガンクビソウ・センニンソウ・ヒヨドリバナ・マツカゼソウなどの花を確認。
 夏の花から秋の花への移行期のようで、秋の植物図鑑が必要だった。
 参加者も天候不順な蒸し暑いなかでも40人近くの参加があった。

  
                               
 道の駅周辺では、コニシキソウ・オオニシキソウ・センニンソウ・コマツナギ・アカバナユウゲショウなどの群生が見られた。
 また、フユイチゴの未熟の実も多数みられたので、このコースはイチゴジャムのための収穫には最適の場所だと思った。
 ただし、フユイチゴの実は小さいので大量に採らないといけない。
 

                           
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天空の銅山町を訪ねる

2016-07-17 19:30:01 | 旅行・散策
浜松市龍山町の中山間地に明治から昭和にかけて突如隆盛を極めた「峰の沢鉱山」への森を歩く。
 林業家金原明善が活躍した瀬尻地区から下平山への登山道の石段が続く。
 
                            
  
 道の両側には「アリドオシ」の群落が次々迎えてくれるのも珍しい。
 しばらくすると、桐の群落に出会う。
 桐の群落に出会うのも初めてだ。
 さらには、廃屋があったそばに「コンテリクラマゴケ」の大群落も見られた。
 名前の通り強烈な紺緑色をしているが苔ではなくシダの仲間だ。

     
 そのうちに、鉱山近くの旧小学校跡地で、元従業員のFさんに当時の話をしてもらう。
 最盛期の昭和30年ごろは、700人ほどの従業員がいたという。
 家族を入れると1000人は越え、村の半数近くを占めたらしい。
 当時はパチンコも映画館もあったという。

                
 しかしながら、この天空の鉱山も戦争と共に銅生産が要請され今までにない興隆を果たすが、今はひっそりとした山々が迫る。
 負の遺産として、中国人約200人が強制連行され、そのうち81人が栄養失調などで亡くなったということも忘れてはならない。
 その意味で、日本の近代化そのものの光と影の歴史がこの鄙びた寒村にも刻印されている。

                         
 そうした人間の悲哀と驕りを癒すかのように、ヤマユリやイワタバコの花が林縁で迎えてくれた。
 自然が織りなす美の魅力に目をつぶり、われわれ人間はまたもや「景気」に浮かれた欲望を繰り返すのだろうか。
 経済成長で一時的に収入が増え失業もなくなるとはいえ、結果的には失うものがあまりに大きいことを肝に銘じるべきではないだろうか。 
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あじさい寺を楽しむ 

2016-06-18 20:46:37 | 旅行・散策
 むかし鎌倉のあじさい寺に行ったことがあるが、人が多くて閉口したことがあった。
 今はもっと人が殺到している。
 そんなことを思うと、地方のこじんまりした寺でじっくりあじさいとつきあうほうがいい。

                          
 ガクアジサイ系のあじさいは多様だ。
 もともと日本原産のあじさいはガクアジサイで、それが西洋で改良され逆輸入されている。
 その意味では、ガクアジサイは基本種となる。

   
                          
 中央の小さな花とまわりの装飾花とのバリエーションが見どころだ。
 同時に、葉の大きさや照り具合や色を観るとさらにそれぞれの違いが見えてくる。
 品種の同定も好奇心をそそるが、多様であることがわかればそれでよしとしよう。

 
                          
 わが家にも挿し木で育てたあじさいが次々花を咲かすようになってきた。
 数年後にはあじさいの花々が畑や荒れ地に回廊のように出現するという皮算用なのだ。
 ススキの根をしこしこ掘り上げて、そこにあじさいとカエデを植え付けているのもそのためだ。
             
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