50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

バルザックの家。

2007-03-15 04:24:08 | 映画・演劇・文学
オノレ・ド・バルザック(Honore de Balzac:1799~1850)。多くの文学作品を残し、しかもそれらを『人間喜劇』の名のもとにまとめ直したフランス19世紀を代表する文豪の一人。バルザックが晩年の1840年から47年まで住んでいた住居が、「バルザックの家」(Maison de Balzac)として一般に公開されています。


場所は、パリ16区、高級住宅街として知られるパッシー地区です。豪奢なアパルトマンに囲まれた庭付きの一軒家。セーヌの流れもすぐそばで、エッフェル塔も手が届くほどの近さに見えます。ただし、エッフェル塔の完成は1889年。バルザックが見ることはありませんでした。


19世紀前半のパッシー地区はまだパリの西郊で、雨が降ればぬかるみだらけの道が多かったとか。バルザックは引越し魔で、パリで11回も引越しをしたそうです。その中の一軒がこの家で、もともとは宮廷画家の家に付属した別棟だったようで、どちらかといえば質素なつくりです。

さて、展示ですが、バルザックの書斎(執筆部屋)には、当時の机が置かれています。ここでいくつもの小説が書き上げられ、また一連の作品が『人間喜劇』としてまとめ直されたようです。

机上には手書きの校正原稿も残されています。

かなりの書き込み・修正がなされています。何しろ、いろいろな事業に手を出しては失敗し、そのうえ浪費癖も激しかったバルザック。借金をペン一本で返済すべく、執筆に没頭したそうです。かなりの乱作ですが、粗製乱造にならないところが、偉大な作家ならでは。

ほかの部屋にも多くの校正用原稿の写真が愛蔵書などとともに展示されていますし、ロダンのバルザック像(胸像)の最終試作品やフルギエールのバルザック像なども展示されています。

時代を見つめ、そこに生きる人たちを巧みに作品に登場させたバルザック。その作中人物のエッチングも一堂に展示され、当時の風俗を知るうえで面白い題材になっています。



パッシー地区は、セーヌ川に向かって下っていく坂の多い街。

バルザックの家も入り口はライヌアール通り(rue Raynouard)に面していて、そこからは1階建てに見えるのですが、裏のベルトン通り(rue Berton)にまわると3階建てに見えます。この特徴を利用して、借金取りから上手く逃げおおせた事もあったとか。夜中の12時に起きだして朝8時まで執筆、15分の食事を挟んで夕方5時まで執筆、その後食事して睡眠、そして真夜中からまた執筆。その合間に、社交界へ出入りしたり新しい事業の構想を練ったり・・・超人的な体力の持ち主ですが、浪費も多く借金取りとは縁が切れなかったようです。それだけにいろいろな逸話も多く、バルザックの人生そのものが『人間喜劇』ともいえそうな気がしてきます。しかし、無理がたたったのか、51歳の短い人生でした。


なお、ベルトン通りは、このように非常に狭い石畳の路。バルザックが住んだころの郊外の風情を残す通りになっています。

La maison de Balzac
47 rue Raynouard
月曜・祝日休館
特別展がなければ入場無料

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2 コメント

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石畳の路 (風の音)
2007-03-15 17:25:04
遠い遠いパリの街角が、身近に感じるのは
こうして、takeさんの毎日の情報発信があるおかげ!
「バルザック」・・・聞き覚えがある名前の登場にすぐに調べようと、興味を喚起してもらえました(笑)。
takeさんの写真は、どれも、時空を架ける浪漫を感じるので、ステキです。
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好奇心 (take)
2007-03-15 19:01:42
風の音さん
フランスも多面体。自分の興味の赴くまま、いろいろな分野からフランスを見ようと思っています。それが結果として、このブログを訪問してくれる方々の興味を喚起できれば、大変うれしいことです。
浪漫を感じる写真・・・ありがとうございます。多分、私が少年の心の尻尾をまだ持ち続けているせいでしょう。大人になりきれていないのですね、残念ながら。
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