高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
いつも鴬は桜の開花に合わせるようにやってくる
なんてこともないのだろうけどわが家の庭木に
まだやって来てくれないのはどうしてなんだろう。
梅干しを作ったりしていた庭の梅の木も八重桜の
道連れみたいに枯れてしまった後も椿の枝などを
揺らしながら囀ったりしていた見慣れた影はどこに。
年度の変わり目に新学期向けWeb教材や授業ノートの
見直しなんてことをやったりするようになったりして
誰それにも共通する中学時代こそが人生の春めいて見える。
処世や義理人情や利害打算を知らない友情なんてものも
芽生えたりするかも知れないクラスの一人とはどういうわけか
遠いチベットの見知らぬダライラマが話題になったりした。
中卒後にそんな関わりとも疎遠になって周回遅れの果て
でもないけど行きつけの短大の図書館で手にした1冊だが
ラマ・ケツン・サンポ『知恵の遥かな頂』に一つの手応えが。
晴れた夏休みの昼下がりの釣りにひとり飽いたみたいに土手の
草むらにひっくり返った空に星が見えハッとしてから遥か隔たって
この冬に自分の全生涯をささげて意識の探求を続けた魂の記録を読んだ。
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
いつも鴬は桜の開花に合わせるようにやってくる
なんてこともないのだろうけどわが家の庭木に
まだやって来てくれないのはどうしてなんだろう。
梅干しを作ったりしていた庭の梅の木も八重桜の
道連れみたいに枯れてしまった後も椿の枝などを
揺らしながら囀ったりしていた見慣れた影はどこに。
年度の変わり目に新学期向けWeb教材や授業ノートの
見直しなんてことをやったりするようになったりして
誰それにも共通する中学時代こそが人生の春めいて見える。
処世や義理人情や利害打算を知らない友情なんてものも
芽生えたりするかも知れないクラスの一人とはどういうわけか
遠いチベットの見知らぬダライラマが話題になったりした。
中卒後にそんな関わりとも疎遠になって周回遅れの果て
でもないけど行きつけの短大の図書館で手にした1冊だが
ラマ・ケツン・サンポ『知恵の遥かな頂』に一つの手応えが。
晴れた夏休みの昼下がりの釣りにひとり飽いたみたいに土手の
草むらにひっくり返った空に星が見えハッとしてから遥か隔たって
この冬に自分の全生涯をささげて意識の探求を続けた魂の記録を読んだ。