慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「錦の御旗」と「討薩の表」

2019年01月09日 | 歴史
幕末~明治維新6

王政復古の大号令の経過
 ☆偽勅旨が出た翌日に慶喜が大政奉還を言い出した
 *朝廷か薩長に徳川の内通者がいた
 ☆慶喜が大政奉還を上表したのは、薩長との戦いを避けるためだった
 ☆慶喜の目論見
 *新政権は、朝廷や慶喜を含めた雄藩の藩主たちによる合議制の形を採る
 *朝廷や雄藩の藩主らには国政を運営した経験はなく徳川家の力は無視できない
 *新政権での自分の発言力は大きくなるのでは
 *実際、慶喜は弁論が巧みで、雄藩の藩主とのやりとりでも周囲を圧倒していた
 ☆討幕派の公家や薩摩藩らは「王政復古の大号令」を発した
 *江戸幕府を廃絶し、三職(総裁、議定、参与)を設置する新政府樹立の宣言
 ☆三職の間で小御所会議が行なわれたこの席には慶喜は呼ばれなかった
 *会議で徳川慶喜の「辞官・納地」が決定した
 *会議の決定を聞いた会津藩と桑名藩の藩士は激怒する
 *慶喜は彼らを抑えて、新政府に恭順の意を示し大坂城に退いた
 ☆慶喜の態度に、新政府内でも慶喜擁護派が強くなる
 *慶喜の「辞官・納地」はうやむやになり、慶喜が三職の一つである議定に内定した
 ☆慶喜を廃したい西郷隆盛
 *幕府を挑発するために大勢の浪人やごろつきを雇い、江戸市中でテロ活動を行なわせた
 *商家を襲い、金を強奪し殺人、強姦、放火などを行なった
 *「薩摩御用盗」と恐れられた彼らは、薩摩藩邸を根城にしており、与力では手が出せなかった
 ☆幕府はついに討伐を決定
 *庄内藩士らが薩摩藩邸を砲撃して浪人を多数捕縛した
 *薩摩藩の狼藉を聞いた幕臣から「我々も薩摩を討つべきだ」という声が上がった
 *慶喜は、「薩摩の振る舞いは、朝廷の真意とは考えられず」として「討薩の表」を発した
 *会津藩と桑名藩の藩士が大坂城から京都の淀城に入りる
 *薩摩藩中心の新政府軍約5千人、旧幕府軍は約1万5千人という兵力差
鳥羽・伏見の戦い
 ☆薩摩側は朝議を開き、「慶喜の武装上洛を止める」という決定を取りつけた
 ☆淀城を出た旧幕府軍と、薩摩、長州の新政府軍が伏見市街で激突する
 ☆旧幕府軍は、西洋の最新式武器を装備した新政府軍を前に苦戦を強いられた
 ☆在京していた多くの藩は、旧幕府軍と薩長の私闘とし、戦いには参加せず静観していた
 ☆新政府軍が、朝敵を討つ時の旗印である「錦の御旗」(錦旗)を掲げる
 *多くの藩が「朝敵」となることを恐れ、新政府軍に加わった
 *旧幕府軍は、淀城に入ろうとしたが淀藩から締め出され大坂城まで退く
 ☆慶喜は密かに愛妾を連れて大坂城を脱出し江戸へ逃げ帰った
 *旧幕府軍は継戦意欲を失い、大坂を放棄して江戸や自国へと帰還
 *戦いは新政府軍の圧勝
 ☆旧幕府は国際的に承認された日本政府としての地位を失った
江戸無血開城
 ☆薩摩藩と長州藩を中心とする新政府は、徳川慶喜追討令を出し、東征軍を組織した
 ☆東征軍に対して、旧幕府側は恭順か徹底抗戦かで意見が割れる
 ☆慶喜は恭順を勧める軍艦奉行の勝義邦の意見を取り入れる
 *勝は江戸が戦場になって無事の民が何万人も死ぬことは避けたかった
 *東征軍の総司令官西郷隆盛は、日頃から「戦好き」を公言
 *総攻撃の日を決め「江戸中を火の海にしても、慶喜の首を取る」と息巻いていた
 ☆慶喜から全権を任された勝
 *総攻撃の二日前、薩摩藩邸に乗り込み、西郷と面談する
 *西郷を説得し、戦いを回避することに成功した
 ☆「江戸無血開城」
 *日本史に燦然と輝く奇跡のような美しい出来事
 *江戸無血開城は勝の力量で、勝でなければできなかったこと
徳川慶喜という男
 ☆江戸幕府最後の将軍となった慶喜は、その聡明さで知られていた
 ☆慶喜の行動からすると、保身を第一とし、勇気と決断力に欠けた人格だった
 *家茂が急死した後、将軍職を固辞したのも、火中の栗を拾いたくなかったから
 *大政奉還をあっさり受け入れ、家臣たちに押されて「討薩の表」を出す
 *鳥羽・伏見の戦いで不利な戦況になると江戸に逃げたる
 *行動にまるで一貫性がない
 ☆東征軍に対し、徹底抗戦を主張する多くの幕臣の意見を退ける
 *勝の意見を採用して新政府に恭順の意を示した
 *勝の非戦論は日本の将来を見据えたもの
 *慶喜の場合は単なる恐れ
 ☆慶喜が徹底抗戦しなかった他の理由
 *朝敵となることを恐れていたからともいわれる
 *慶喜は水戸家で尊王の精神を叩きこまれた男だった
 *父の水戸斉昭に言葉(光圀公以来の水戸家の家訓)
 「水戸家は、徳川本家と朝廷が争うことになれば、朝廷に味方しろ
 *徳川幕府の最後の将軍が尊王思想の強い水戸家から出た
小栗忠順の死
 ☆東征軍に対して徹底抗戦を唱えた小栗忠順
 *その意見は退けられ、彼は罷免された、群馬県高崎市に蟄居する
 *旧幕府軍は、小栗の近代化政策で強大な軍事力を持っており、旧幕府軍が勝利した可能性は高い
 ☆三井家の番頭は、小栗にアメリカ亡命を勧めるが、小栗はこれを丁重に断わった
 ☆新政府軍は無抵抗の小栗を捕縛し、裁判もせずに処刑した。
 *新政府軍は旧幕臣には寛容だった
 *小栗だけを赦免も行なわずに処刑した
 *新政府は小栗が旧幕府軍の軍師となることを恐れたのかもしれない
幕末から明治、日本を訪れたヨーロッパ人の日本の評価
 ☆感銘を受けていることは、日本の民衆の正直さと誠実さ
 ☆誠実で、嘘をつかず、優しい心を持っていた日本人の姿がある
 ☆幕末の動乱の中で、多くの武士が日本の未来をかけて戦っていた
 ☆庶民は日本の美徳を失うことなく毎日を懸命に生きていた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』












「錦の御旗」と「討薩の表」の戦い(ネットより画像引用)

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3 コメント

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グローバルサムライ (リベラルアーツ関係)
2024-02-18 18:22:05
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃あるいは黒船といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。
ビジネス・インサイド (歴史哲学者)
2024-03-19 10:05:00
京都学派の現代的展開でもいいんじゃないのかなマルテンサイト千年ということもあるし。とにかくオールジャパンの精神が今必要だろう。あと競争と協調の軽やかなスイッチングができるような。戦闘集団サムライの美風というか。ノーサイド。なぜサムライなのか。
御礼 (慶喜)
2024-03-20 07:58:05
リベラルアーツ関係様
歴史哲学者様

コメントありがとうございました
百田尚樹さん著篠「日本国紀」興味深く読みました
百田さん政党立ち上げましたが、体調大丈夫
ですかね?
今後とも、ご指導宜しくお願いします
              慶喜

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