慶喜

心意気
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「石原莞爾」「満州帝国」「柳条湖事件」

2024年03月15日 | 歴史
🌸満州帝国をつくった男、石原莞爾(かんじ)

石原莞爾、戦犯になるのを免れた男
 ☆関東軍の自作自演から始まった「満州事変」
 *その中心にいた石原莞爾
 *石原は関東軍参謀で、満州事変の首謀者だ

 ☆戦後の石原は戦犯にもならなかった
 *故郷の山形で静かに暮らし、60年の生涯を終えている
 ☆石原莞爾が、無罪放免になるになった理由

⛳石原莞爾は「帝国の異端児」と呼ばれる
 ☆陸軍士官学校や陸軍大学でも常にトップクラスの成績
 *変わり者だった、軍隊でのあだ名は「帝国陸軍の異端児」
 ☆石原は体こそ虚弱だったが
 *明晰な頭脳を活かして関東軍参謀として大いに力を発揮した
 ☆満州事変では「計画の石原、実行の板垣」といわれ
 *参謀の板垣征四郎と二人三脚で仕事に当たっている
 ☆南満州鉄道の路線を爆破し中国軍のしわざと称した
 *柳条湖事件も石原の完璧なシナリオによるもの

石原、柳条湖事件を演出する
 ☆満州で、関東軍と中国軍の関係はかなり緊迫していた
 *一触即発の状態で、石原はそれをたくみに利用した
 ☆石原は「一刻の猶予もすべきではありません」と
 *関東軍司令官の本庄繁中将に迫り
 *軍事行動を起こさせるよう決断させた
 *石原は、侵攻が決まるやいなや
 *満州鉄道沿線に駐屯する関東軍に次々と連絡を取り出動させた
 ☆電光石火の指示で、柳条湖で爆発があつた翌日
 *満州の主要都市のほとんどを関東軍が占領した
 *関東軍の兵力は1万、中国軍は20万~30万
 ☆柳条湖事件に端を発して満州事変は始まり
 *日中戦争、太平洋戦争へと進んでいった

石原、東條英機と衝突
 ☆石原は、上官関東軍参謀長官の東條英機とことごとく衝突
 *みずから予備役を願い出、軍人として一線を退いた
 *これが戦犯を免れた要因のきっかけになった
 ☆石原は、満州からも離れると執筆活動などをして過ごした
 *石原は、は日中戦争の拡大に反対したり、戦争放棄まで訴えた.
 ☆彼が戦犯となって満州事変の日本軍の正当性を語っていたら
 *東京裁判は成り立たなかったと囁かれたほど
 ☆満州事変のもう一人の首謀者である板垣は軍人を貫き
 *東京裁判によって死刑に処されている
 ☆石原莞爾は賢く立ち回ったといえる
 *彼が画策したこの満州事変が満州国の建国につながり
 *幻の理想郷が多くの悲劇を生み出したことは事実なのだ
                       (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『日本史の黒幕』




「石原莞爾」「満州帝国」「柳条湖事件」
(『日本史の黒幕』記事他より画像引用)

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