🌸上野戦争
☆無血開城に納得しない彰義隊が上野に籠もる
⛳明治時代の上野戦争
☆新政府軍は江戸総攻撃を計画していた
*勝海舟と西郷隆盛の間で行われた会談で、江戸無血開城が決定した
*江戸の町が火の海になることは避けられた
☆旧幕臣らは不満を抱き、江戸市中の警護を行っていた彰義隊
*上野の寛永寺に立て籠もり徹底抗戦することを決めた
*彰義隊、鎮圧すべく新政府軍は大村益次郎が指揮を執った
☆新政府軍は最新式のアームストロング砲を使い彰義隊を圧倒
*1日で彰義隊の制圧に成功した
⛳慶喜を守るために彰義隊を結成
☆鳥羽・伏見での敗戦のあと恭順の姿勢を示す慶喜
*寛永寺で謹慎生活を送っていた
☆恭順に不満を持つ旧幕臣らの強硬派
*慶喜を守ると称して彰義隊を結成
*慶喜が水戸に移ったあとも、寛永寺に留まり続けた
*各地の脱藩兵なども彰義隊に加わり3千人位となった
⛳逃げ道を与えて3方から攻撃
☆新政府軍は寛永寺に立て籠もる彰義隊を包囲して攻撃を加えた
*主力は上野広小路から黒門を攻める薩摩軍ら
*寛永寺北の上野台地からは長州・大村藩ら
*本郷台地から佐賀・尾張藩が援護砲撃
☆上野から脱出する部隊の備えとして別働隊を配置する
☆上野から脱出する部隊の備えとして別働隊を配置する
*包囲殲滅作戦
⛳勝軍の将・大村益次郎
☆長州が生んだ天才軍略家
☆緒方洪庵の適塾に入塾し、蘭学・医学を修めた
☆緒方洪庵の適塾に入塾し、蘭学・医学を修めた
☆軍学者として功績を残した
*幕府の講武所教授を務めたのち
*長州藩に招聘され、兵制改革に携わる
☆第2次長州戦争では、幕府軍に勝利した
☆上野戦争では彰義隊を1日で鎮圧.した
☆近代軍制の準備を進めたが、反対派に襲われ死亡した
☆近代軍制の準備を進めたが、反対派に襲われ死亡した
🌸北越戦争
☆新兵器を導入し新政府軍に抵抗した小藩の意地
⛳明治時代の北越戦争
☆旧幕府軍追討で、北陸道を進軍する新政府軍
⛳明治時代の北越戦争
☆旧幕府軍追討で、北陸道を進軍する新政府軍
*長岡藩に新政府軍への協力を要請
*長岡藩の家老河井は中立を主張し
*新政府軍は請け合わなかった
☆長岡藩は、東北諸藩と手を組み、新政府軍に抗戦する
*長岡藩は、ガトリング砲など最新の武器を備えていた
*長岡藩は、ガトリング砲など最新の武器を備えていた
*長岡藩は、フランス式の軍制を取り入れて軍備を強化していた
☆長岡藩家老河井が被弾し指揮官不在になった隙に
*新政府軍は、総攻撃を仕掛け勝利した
⛳長岡城奪還作戦
☆小千谷会談の決裂から北越戦争に突入
☆小千谷会談の決裂から北越戦争に突入
*緒戦を優位に進めた奥羽列藩同盟
*長岡城が落とされるとその後は長岡周辺での戦いが続く
☆長岡城を奪還するが、指揮官の河井が被弾して戦線を離脱
*再び新政府軍に城を落とされ、同盟軍は敗北する
⛳近代的な軍制改革を進めた河井継之助
☆赤字だった藩財政を回復させた河井継之助
⛳近代的な軍制改革を進めた河井継之助
☆赤字だった藩財政を回復させた河井継之助
*大砲30門を購入し小銃も導入、フランス式の軍制に改めた
☆日本に3門しかなかったガトリング砲を2門購入している
⛳敗軍の将・河井継之助
☆中立国家を目指した北越の天才
☆家老として、藩政・財政の立て直しを図った
⛳敗軍の将・河井継之助
☆中立国家を目指した北越の天才
☆家老として、藩政・財政の立て直しを図った
☆大政奉還後は、中立の立場をとることを決めていた
☆最新の武器を仕入れ、軍備を強化していた
☆北越戦争ではみずからガトリング砲の射手となる
☆北越戦争ではみずからガトリング砲の射手となる
*戦線に立つも被弾した傷が原因で命を落とした
(敬称略)
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⛳出典、『日本の合戦』
明治時代1(上野・北越戦争)
(『日本の合戦』記事より画像引用)
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