🌸戦国の声を聞く2(江戸城の弱点他)
⛳小田原城主、大久保忠隣
☆慶応義塾大学図書館で「大久保忠隣公御覚書」の写本を見つけた
☆慶応義塾大学図書館で「大久保忠隣公御覚書」の写本を見つけた
☆大久保忠隣は、家康・秀忠に仕えた幕府老中の元祖
*覚書によると忠隣は口が堅かった
☆家康は人を見抜くのに優れていた
*律儀者の彼に行政と外交文書を取り扱わせた
*彼は徳川家の行政を仕切るに至った
☆関ケ原合戦で徳川秀忠が大失敗をした時、忠隣は活躍した
*秀忠は途中もたもたして関ヶ原に参戦出来ず大目玉をくらう
*後継の座を追われかけた時、秀忠をかばったのが忠隣だった
*忠隣のおかげで秀忠は二代将軍になれた
☆家康は関東の玄関口、小田原を忠隣に与え、箱根の関を守らせた
*忠隣は、家中の人望も絶大で、家康の側近、本多正信はそれを妬んだ
☆正信は競争相手の忠隣を讒言し老いた家康もそれにのった
*忠隣は小田原城から追放され、彦根藩井伊家に身柄を預けられた
*忠隣は無実を訴えたが家康は無視した
☆家康死に、秀忠を将軍なった時
*周囲は、忠隣無実を訴えようと周囲が勧める
☆忠隣はきっばり言った
*自分がもし許されれば家康公の過失を世間に公言することになる
*おのれを立てるために、主君の名誉を傷つけてはいけない
☆忠隣はあえて我が身を朽ち果てさせる道をえらんだ
☆家康が天下を取れたのは、自己犠牲をいとわぬ三河武士が大勢いたから
⛳家康と直江兼続
☆直江兼続について疑問に思っていたこと
☆家康が天下を取れたのは、自己犠牲をいとわぬ三河武士が大勢いたから
⛳家康と直江兼続
☆直江兼続について疑問に思っていたこと
*直江は主君の上杉景勝を動かして、関ヶ原合戦を引き起こした張本人
*徳川家康を東西で挟み撃ちにする大陰謀を計画した
*敗戦後、なぜ死罪にならなかったのか
☆『披沙棟金』という家康の伝記資料集から理解できた
☆『披沙棟金』という家康の伝記資料集から理解できた
☆家康は腹心の本多正信と二人で密談して政略をきめた
☆家康は、直江一人を成敗すれば、他のけしかけた三成側の家老連中
*自分も殺されると覚悟して、領国に楯籠もると考えた
*それは、大乱を招き、直江は助けておくのが得策だと家康は考えた
☆徳川の平和は、家康と直江の政治的腹芸でつくられた
☆家康は晩年に元謀反人の直江に本を借りる
*直江と手を結んで出版事業をやり「文治の世」をつくる姿勢を示す
☆これが家康の生涯最後の政治行為であった
⛳江戸城の弱点と攻略法(江戸城の一番の弱点はどこか)
☆田安門は、江戸城の弱点の一つ
⛳江戸城の弱点と攻略法(江戸城の一番の弱点はどこか)
☆田安門は、江戸城の弱点の一つ
*田安門は標高が高いが城か政めいれる場合
*田安門付近を占領されてしまうと城側は厳しい戦いになる
☆田安門付近の石垣は「鉢巻」構造で土塁のうえに少しの石垣
☆田安門付近の石垣は「鉢巻」構造で土塁のうえに少しの石垣
*石垣を極力節約し、千鳥ヶ淵、半蔵濠、桜田濠まで「鉢巻」構造
*水濠さえ渡れば、かなりのところまで登っていける弱い防御構造
☆半蔵門まできて、江戸城最大の欠点に気づいた
☆半蔵門まできて、江戸城最大の欠点に気づいた
*攻城側が土木工兵や金掘人足をつかって
*半蔵門付近の土手を切り崩せば、ダムが決壊し濠の水が抜けてしまう
*この付近の石垣は鉢巻構造である
☆攻め手がここを突破して、吹土地区をぬけると
☆攻め手がここを突破して、吹土地区をぬけると
*本丸天守台下の乾濠まで、真っ直ぐにいける
*乾濠から本丸御殿は、目と鼻の先
*そこから火矢、大砲を打ち込めば、将軍のいる本丸御殿は火の海になる
☆江戸城の弱点は田安門と半蔵門にあった
(敬称略)
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⛳出典、『歴史の愉しみ方』より
戦国の声を聞く2(江戸城の弱点他)
(『歴史の愉しみ方』記事、ネットより画像引用)
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