慶喜

心意気
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敗者の日本史(田代栄助、河野壽)

2016年08月18日 | 新聞記事
近代の敗者たち(武装蜂起の指導者たち)

近代の芸術・学術・経済にまで広げた日本史の敗者像
近代の敗者として、秩父事件や二・二六事件で武装蜂起事件の指導者
両事件とも、体制への不満から決起する姿は、江戸時代の一揆に通じる
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください












近代の敗者(ネットより画像引用)

秩父事件の指導者
自由民権運動が暴動にまで発展した「激化事件」です
政争に敗れ下野した土佐・肥後士族中心に、薩長政権に不満を抱く士族たち敗者復活戦
最高指導者の田代栄助は子分二百人余を抱える侠客でした
田代は、裁判の仲裁などを好む親分肌の人物で蚕の飼育を生業としており、政治性は希薄

秩父困民党に就任した田代
田代は、武装蜂起には必要な軍資金作りのため強盗に手を染める
蜂起の総理に推され就任し、6,300名率いる
租税軽減や借金の返済延期などを訴え、無血を誓っで役所や高利貸しを襲い書類を破棄する
政府は鎮圧を開始すると、田代から積極性が失われ本陣を離脱
山中潜伏の後、密告され逮捕され翌年刑死した
秩父事件では約1万人が蜂起し、400人以上が有罪となっている

困民党
明治中期の不況により養蚕・生糸、製茶などに打撃を受けた関東や中部地方の農民が組織した集団
元金の年賦償却や負債の利子の減免などを要求して騒動を起こした

二・二六事件
陸軍の、皇道派と呼ばれる青年将校たちによるクーデター事件
斎藤内大臣や高橋是清蔵相、渡辺教育総監らが殺害された
娘を売るほどまで疲弊した東北の農村を、世直しで救いたいという思いがあったといわれる
将校たちは、反乱軍として鎮圧され、将校二名が自決、十六名と民間人一名が刑死した

二・二六事件、決起将校(河野壽氏中心)
陸軍航空兵大尉
熱海の老舗旅館に滞在していた、前内大臣で国政の中枢にあった牧野伯爵を急襲
事件で自身も重傷し入院していたが、差入れの果物ナイフで自決した


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