慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「イスラム教徒の争い」「イスラム国」「中東の火薬庫」

2023年05月21日 | 地政学
🌸ヨ一ロッパの地政学(共同体)4

イスラム教徒の内側は非常に複雑
 ☆イスラム教徒の帰属意識は国よりも部族のほうが強い
 *クルド人に代表されるように国境と部族が必ずしも一致していない
 ☆イスラム教にはスンニ派とシーア派という2大宗派がある
 *多数派のスンニ派と少数派のシーア派が対立を続けている
 *トルコ主義、アラブ民族主義、ペルシャ主義といった民族意識もある
 ☆宗派も民族意識も、イスラム共同体「ウンマ」への帰属意識は共有する
 ☆イラン・イラク戦争のように、イスラム教国同士で起こった戦争
 *スンニ派とシーア派の歴史的対立が絡んでいる場合もある
 ☆戦勝国が勝手に勢力図を決め、分け合ってしまったのが
 *第一次世界大戦の一つの結果だった
 ☆アラブ世界の人々は、宗教心や帰属意識もろとも
 *列強の手前勝手な領土欲に振り回された
 ☆中東は、かってのバルカン半島をしのぐ「火薬庫」となった

アメリカがイラク民主化のためにフセイン政権を倒した
 ☆残党がイスラム過激派組織「イスラム国」をつくった
 *フセイン政権を倒した余波の一つだ
 *イスラム国は、事実上、壊減している
 ☆現在の中東は、エネルギー価格が上がって経済的に潤っている国が多い
 *中東は、かってのイスラム国ほど大きな爆弾も抱えていない
 *だからといって、欧米と和合したわけではない

 ☆イランは核開発でアメリカヘの対抗姿勢を変えていない
 *イスラム国同士の、対立構造は依然として存在する
 ☆ヨーロッパ諸国が勝手に国境線を引いたという火種ふたたび燃え上がる
 ☆第一次世界大戦が終わり
 *世界は新しい秩序に落ち着いたかに見えたが、長くは続かなかった

第二次世界大戦
 ☆第一次世界大戦で、ヨーロッパ中が疲弊した
 *多大な犠牲を払いながら始まったベルサイユ体制
 *敗戦国のみならず戦勝国にも大なり小なりの不満を抱かせた
 ☆戦勝国であるイギリスもフランス
 *第一世界戦後はずっと経済不振が続き
 *国民の不満の高まりとともに不安定な政情が続いた
 ☆イタリアでは、ファシスト党のムッソリーニが首相に任命される
 *第一次世界大戦で戦勝国となったものの
 *満足な領土を得られず国内で不満が蓄積していた
 *ムッソリーニは、民衆の心をうまくつかみ、ファシズムを成立させる
 ☆第一次世界大戦後に誕生したバルカン半島や東欧の国々
 *独立はしたものの、国家としては未熟であり、不安定だった
 *複雑な諸民族の分布が必ずしも国境線とは一致しておらず
 *新たに生まれた国内でも民族紛争が絶えなかった
 ☆敗戦国ドイツは、多額の賠償金に苦しんでいた
 *アメリカからの資本導入で、なんとか経済を立て直す
 *ドイツは、海外への輸出を伸ばして外貨を稼ぎ
 *賠償金を支払うという復興の道筋を描いた
 ☆ベルサイユ体制におけるヨーロッパ諸国
 *どこも安泰とはいえなかった
 ☆アメリカの状況は、欧州と違った
 *アメリカ、第一次世界大戦の戦場になることもなかった
 *大戦中から戦後にかけて大きく経済発達した
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』




「イスラム教徒」「ヨーロッパ」「アメリカ」
『新地政学』記事他より画像引用)

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「ベルサイユ体制」「クルド人」「パレスチナ」

2023年05月20日 | 地政学
🌸ヨ一ロッパの地政学(共同体)3

ベルサイユ体制が生んだ禍根
 ☆第一次世界大戦後のヨーロッパ
 ☆新しい秩序べルサイユ体制が始まる.
 *オーストリア=ハンガリー帝国は解体される
 (オーストリアとハンガリーに分割)
 *バルカン戦争でセルビアと組んだルーマニアの分割
 (復活したポーランドなどにも国境付近の領土を割譲された)
 *旧帝国領内にはチェコスロバキア共和国が建国される
 (オーストリア=ハンガリー帝国から脱した)
 *ユーゴスラビアが建国された
 (クロアチア人やスロベニア人とセルビア、モンテネグロが合体)

⛳第一次世界大戦後にドイツの力が弱まる
 ☆オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が崩壊
 ☆バルカン半島から東欧の地域には小さな独立国家が乱立した
 *諸民族の独立心に応えようとした戦勝国・イギリスとフランス
 ☆英仏は、ソ連との間に小さな国をたくさん作り
 *共産革命の影響を封じ込めようとした、防御壁だったに過ぎない
 ☆ドイツは、莫大な賠償金を負わされる
 *アルザス・ロレーヌ地方はフランスヘ返還
 *海外の植民地はすべて失い、軍備も大幅に制限された
 *フランスによる「対独報復」と呼ばれるほど厳しい条件だった
 ☆オスマン帝国は、同盟国として参戦し解体
 *現代にまで続く中東問題が芽生えた
 ☆ロシアは途中で戦線離脱した結果
 *オスマン帝国はイギリスとフランスの決定で分割統治される

中東でのクルド人問題
 ☆イギリスとフランスが各々委任統治領を決めた
 ☆クルド人の地域は分断された
 *トルコ、イギリス、フランスの勢力下にある地域
 *イラク・シリア・イランに分断された
 ☆最初に結ばれたセーブル条約
 *クルド人の独立国家の建国が認められていた
 *トルコ共和国の領土回復が認められたローザンヌ条約
 *クルド人の独立国家取り消された
 (クルド人自分たちの国を持たない人種となった)
 ☆クルド人各国では少数派
 *全体を合わせれば約3千万人以上にもなる
 ☆彼らの独立問題
 *第一次世界大戦以降今も中東における最大懸念の一つである

中東でのパレスチナ問題
 ☆現在のヨルダンを含むパレスチナ
 *第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となった
 *バルフォア宣言に基づいてユダヤ人たちはパレスチナに向かった
 ☆パレスチナに住んでいたアラブ人と移植してきたユダヤ人
 *最初は、比較的穏やかに共存していた
 *ユダヤ人人植者が増えるにつれて土地争いなどが起こりはじめた
 ☆パレスチナ人とユダヤ人の対立が強くなる
 *統治国であるイギリスはコントロールしきれなかった
 *イギリスは、第二次陛界大戦後に責任放棄して国連に丸投げにした
 *パレスチナ問題はますます混迷を極め、いまだ解決されていない.
                     (敬称略)
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「3C・3B政策」「バルカン戦争」「第一次世界大戦」

2023年05月19日 | 地政学
🌸ヨ一ロッパの地政学(共同体)2

 ☆ドイツ中心の3B政策
 *ベルリン(Berlin)ビザンチウム(Byzantium)バグダッド(Baghdad)
 *3都市を結ぶ鉄道を敷設し、その沿線を勢力下に置く
 ☆ イギリスの3C政策
 *カイロ (Cairo) 、ケープタウン (Capetown) 、カルカッタ(Calcutta) 
 *3都市を鉄道で結ぶ植民地政策 
 ☆「3C・3B政策」、ロシア・フランス問題との衝突
 ☆複雑に絡み合い、第一次大戦の原因となる

第一次世界大戦
 ☆帝国主義的な競争が生んだ世界戦争
 *人類で初めて世界中を巻き込んだ戦争
 *帝国主義的な野心のぶつかり合いだった
 ☆西欧列強のなかでも圧倒的な生産力と軍事力で
 *イギリスが、図抜けてリードしていた
 *植民地政策で後れをとっていたドイツが巻き返しを図り
 *イギリスとの対立構造が生じる
 ☆ドイツの台頭を表す代表的な政策が3B政策
 *イギリスは植民地政策として3C政策を進めていた.
 *ドイツの3B政策を、イギリスは3C政策への挑戦ととった
 ☆オスマン帝国の領地への野心をもつロシアなどの西欧列強
 *複雑化するバルカン半島問題が絡み
 *ヨーロッパを二分する対立が生じていく

「ヨーロッパの火薬庫」(第一次、第二次バルカン戦争)
 ☆バルカン問題とは
 *諸民族が混在するバルカン半島では
 *パン・スラブ主義を掲げるロシアと
 *パン・ゲルマン主義を掲げるオーストリア=ハンガリー帝国
 *各々勢力図の拡大を目論み拮抗していた
 *オスマン帝国で帝政打破を目指す革命が起こると混乱に乗じて
 *ドイツの後押しを受ドたオーストリア=ハンガリー帝国
 * スラブ人の住むボスニアとヘルツェゴビナを併合する
 *対抗してロシアはセルビア等を独立させバルカン同盟を結ばせた
 ☆かって広大な領土を誇ったオスマン帝国
 *イスラム教徒が主導権を握りながらも
 *キリスト教やユダヤ教など諸宗教を寛大な政策をとり
 *迫害のない共存を図っていた
 *宗教ごとにミッレトと呼ばれる共同体を作り、自治を与えていた
 ☆ロシアなどの介入で。オスマン帝国は徐々に衰退
 *領内は次第に混乱していく
 *バルカン半島を含む東方問題が持ち上がってくる
 ☆露土戦争後、バルカン半島の諸民族の独立熱や領土への野心が
 *急速に高まってくる
 ☆そこに大国の思惑が絡みはじめる
 *バン・スラブ主義を掲げるロシア
 *バン・ゲルマン主義を掲げるオーストリア=ハンガリー帝国
 *バルカン半島、「ヨーロツパの火薬庫」の紛争地帯となった
 ☆第一次バルカン戦争が勃発
 *バルカン同盟国とオスマン帝国との間での争い
 *オスマン帝国に勝利して得たマケドエアの分割をめぐり
 *今度は、バルカン同盟国同士での争い
 ☆第二次バルカン戦争
 *オスマン帝国に勝利して得たマケドエアの分割をめぐり
 *今度は、バルカン同盟国同士での争い
 ☆第一次、第二次バルカン戦争は
 *ともにオスマン帝国と戦った同盟国
 *直後には敵として戦った戦争である
 *バルカン半島の危うさを示した戦争であり
 *その危うさが結果的に第一次世界大戦につながった

真っ二つに割れたヨーロッパついに開戦
 ☆西欧では「一人勝ち」のイギリスに対抗するドイツの構図
 ☆これを基本として、二つの陣営が形成された
 ☆ドイツ陣営には、ゲルマン民族であるオーストリア=ハンガリー帝国
 *第二次バルカン戦争で敗北したブルガリアなどがつく(同盟国)
 ☆イギリス、フランス、ロシアを主とした陣営(連合国)
 *バルカン半島の民族対立と大国の帝国主義とが複雑に絡み合い
 ☆ヨーロッパは真っ二つに割れた.
 *第一次世界大戦の最終的な引き金は、サラエボ事件
 ☆サラエボ事件後、オーストリア=ハンガリー帝国
 *ドイツの支持を得てセルビアに宣戦布告をする
 ☆ドイツも矢継ぎ早に宣戦布告をする
 *バルカン半島のオーストリア戦線に参加したロシア・フランスに対し
 ☆ヨーロッパの列強国は、連合国側と同盟国側とに分かれ戦う
 *ナボレオン戦争以来、100年ぶりにヨーロッパ全体の戦争
 *世界中を巻き込む大戦争になった
 ☆日英同盟を結んでいた日本
 *清のドイツ租借地などを攻撃
 ☆孤立主義で中立を決め込んでいたアメリカ
 *自国の世論に刺激される形で連合国軍として参戦する
 ☆最初は有利に戦いを進めていた同盟国軍
 *ヨーロッパ以外の国々の参戦もあって
 *次第に疲弊し後退し、ついには降伏した
                     (敬称略)
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(『新地政学』記事他より画像引用)
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「ヨ一ロッパ地域で3度の戦争」「NATO」「EU」

2023年05月17日 | 地政学
🌸ヨ一ロッパの地政学(共同体)1

ヨーロッパから見た世界(ナポレオン戦争)1
 ☆戦いの末に団結「ヨーロッパ以外の世界」と対峙
 ☆ヨーロッパ、さんざん争った末に戦争に懲りた反省より
 *今は団結しようと試みている地域である
 ☆フランス革命に端を発するナポレオン戦争
 *ロシアを含めたヨーロッパ全域を巻き込んだ大戦争だった
 *その後、ヨーロッパ全域に及ぶ戦争は起こらなかった
 ☆その間、ヨーロッパの国々は競うようにして
 *アジアやアフリカに植民地を求めた
 *強い工業力や海軍力を背景にイギリスが圧倒的リードを見せた
 *その後、ドイツが台頭してくる
 ☆当時は「ヨーロッパの憲兵」と言われていたロシア
 *革命気運が高まり、社会状況が不安定となった
 ☆ヨーロッパはまた不安定に、第一次世界大戦前夜だった

ヨーロッパから見た世界(第一世界大戦)2
 ☆ヨーロッパでの第一次世界大戦深い禍根を残す
 ☆一つは、イギリスの「三枚舌外交」
 *ロシアとフランスは、アラブ人、ユダヤ人へ
 *イギリスは、食い違う密約を交わした
 *現在の中東問題の根本原因を作った
 ☆一つは、ドイツに対する多額の賠償金
 *第一次世界大戦は、ドイツの敗戦に終わった
 *ドイツは、賠償のために莫大な負債を負わされた
 *屈辱と苦しみのなかでファシズム政党ナチスヒトラーの誕生
 ☆第一次世界大戦の終結から20年
 *次の世界大戦の戦端が開かれる
 ☆第二次世界大戦は、またもドイツの敗戦で幕を閉じる

ヨーロッパから見た世界(第二次世界大戦)3
 ☆ナポレオン戦争に加え、三度も世界大戦の発端となったヨーロッパ
 *「もう戦争は懲り懲り」という共通認識は強かった
 ☆ロシアは社会主義国家・ソ連となり、共産革命が及ばないよう
 *ヨーロッパは対ソ防衛網を組む必要にも迫られていた
 ☆アメリカも取り込んだNATO
 *西欧諸国によるEUという枠組みが誕生する
 ☆同じ民主主義、資本主義国家同士
 *軍事と経済の両方で連合を組みソ連に対抗しようとした
 ☆冷戦終結後も社会主義国家でありつづけるロシア
 *依然としてヨーロッパで孤立している
 ☆ソ連崩壊後、ソ連の影響下にあった東欧諸国
 *西欧諸国は、NATO及びEUに取り込んだ
 *ロシアの勢力圏を大きく後退させることに成功した
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「ウクライナ侵攻」「核放棄」「日本の平和主義」

2023年05月16日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア7

ロシアのウクライナ侵攻
 ☆NATOの「東方拡大」を食い止めたい
 ☆ロシアにとりウクライナとは
 *絶対に西側には組み込まれてほしくない「緩衝地帯」
 *ウクライナ侵攻は、ロシアにとって切実な危機感から起こった
 ☆戦争を起こしてウクライナのNATO加盟を防ぎ
 *ウクライナをロシアに組み込んでしまおうという魂胆だ
 ☆ロシア側の「正義」資本主義と民主主義から国を守ること
 ☆ロシアがウクライナに攻め込んだとき
 *ウクライナはロシアに占領されてしまうだろうという見方が多かった
 *ロシアも2週間で完了できると見込んでいた
 ☆ウクライナは、すさまじいまでの士気で防衛戦を始め
 *ロシアの攻撃を持ちこたえた

ウクライナのゼレンスキー大統領
 ☆ロシアによる軍事侵攻が始まったとたんに豹変した
 *「私は逃げない」というメッセージを発信し
 *国民に祖国防衛を訴えかけた、ロシア軍を大いに手こずらせた
 ☆NATO加盟国をはじめとした国々がウクライナ支援を始めた
 *ウクライナが多くの民主主義国を味方につけた
 ☆ゼレンスキー大統領が国内に留まり
 *強いリーダーシップを発揮したこと.
 *戦うウクライナ軍が、意外にも戦争に長けていた
 *これらはロシアにとって大きな誤算だった
 ☆アメリカが本気でウクライナを軍事支援したら
 *ロシアなどあっという間に退けることができるはずだ
 ☆バイデン大統領「アメリカはウクライナに軍隊を送らない」と明言
 *アメリカは、あくまでも支援は限定的
 *アメリカが本気でウクライナを支援したら
 *ロシアが何をしでかすかわからないからだ

日本にとり対岸の火事でないウクライナ情勢
 ☆ロシアによるウクライナ侵攻
 *民主主義国家からすれば看過できない
 ☆「侵略を許せない」というのが一般的心情かもしれないが
 ☆日本にもウクライナと同様な危険が及ぶ可能性がある
 *「ウクライナ人がかわいそう」といった同情感
 *考えが浅すぎて、まったくお話にならない
 ☆国際政治学の常識
 *「民主主義国同士では戦争は起こりづらい」が定説だが
 *日本は、中国、ロシア、北朝鮮という非民主主義国を近隣国にもつ
 (3国とも核保有国)
 *近隣国との防衛費の差が大きいほど、戦争確率が高まる
 ☆ロシアによるウクライナ侵攻が成功しロシアに併合されでもしたら
 *世界は侵攻した者の勝ちなのだ
 *中国、北朝鮮が勢いづいても不思議はない
 ☆日本にとり懸念されるのは、大国・中国だ
 *ウクライナ戦争がロシアに利する形で終結すれば、
 *中国が、台湾、尖閣諸島から沖縄へと食指を伸ばす可能性が高まる
 *海に隔てられているので、台湾が難攻不落とは言えない
 *制空権を握ってしまえば、空から上陸できるからだ
 ☆ウクライナは世界中の民主主義国を味方につけた
 *軍事大国であるはずのロシアが大苦戦している
 ☆ウクライナの踏ん張り
 *下手に隣国に手を出して、 一気に押し切ることができなかったら
 *多くの民主主義国を敵に回して反撃されたら
 *まずい状況になるというメッセージになっている

日本の平和主義
 ☆ウクライナはかつて核保有国だった
 ☆ウクライナは、日本の非核三原則のように核を廃棄した
 *結果、ロシアから侵攻を受けたのも事実だ
 ☆ウクライナが核を保有していれば
 *ロシアもそう簡単に侵攻できなかっただろう
 ☆日本の非核三原則や憲法9条さえあれば
 *国の安全が保たれるという日本の平和主義
 *リアルな国際社会ではまったく無力である
 ☆ウクライナの状況をみると
 *中国も多少は慎重になって当然だろう.
 *しかし、中国は台湾や尖閣諸島を諦めはしない
 *しかし、海洋進出の野望を中国がそう簡単に諦めるはずない
 ☆中国は、ロシアのウクライナ侵攻を教材として研究している
 ☆ウクライナ侵攻の本質的な位置づけ
 *日本の安全保障にも関連してくる
 *第二次世界大戦以降築かれてきた国際秩序の行く末左右しかねない
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「ドイツでの冷戦」「ウクライナ」「クリミア半島」

2023年05月15日 | 地政学
🌸 「南」に向かいたいロシア6

 ☆小さな半島にかけたロシアの「切実な思惑」

冷戦と冷戦の終結(ソ連の崩壊)
 ☆第二次世界大戦後、敗戦国ドイツ
 *アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四カ国の分割占領下に置かれた
 ☆次第に東西のイデオロギー対立が色濃くなる
 ☆ドイツの東西分裂は避けようがなくなっていく
 *ドイツ東部はドイツ民主共和国(東ドイツ)となる
 *ドイツ西部はドイツ連邦共和国(西ドイツ)となる
 *東ドイツは東西を遮断する「ベルリンの壁」を築いた
 *ドイツは実弾の飛び交わない冷戦の「最前線」の一つとなる
 *東ドイツ、チェコスロバキア等の国境は「鉄のカーテン」となる
 ☆冷戦終結の引き金を引いたのもドイツだった
 ☆ソ連では、ゴルバチョフによって、ペレストロイカ政策が行われた
 (ペレストロイカとは「再構築」「改革」の意味)
 *ソ連では、情報公開も進み、報道の自由度が格段に増した
 *ソ連国内の政治状況の変化の影響で
 *東ドイツでは民主化運動が勃興しベルリンの壁が壊された
 ☆ソ連が崩壊し、冷戦は終結した
 *ソ連を構成していた15の共和国は分裂し独立した
 *ロシアを除くすべての共和国(ソ連の旧衛星国)
 *多くが、NATOとEUに加盟する

クリミア危機
 ☆ソ連NATOに対抗する軍事同盟で、ワルシャワ条約機構を形成した
 ☆ソ連崩壊後、東ドイツは西ドイツに統合された
 ☆チェコスロバキアはチエコとスロバキアに分裂した
 ☆加盟国すべてが、NATOに加盟した
 ☆アルバニア以外はEUにも加盟
 ☆東欧諸国は西欧諸国の一員となった
 ☆ソ連の崩壊で終結したこと
 *社会主義イデオロギーの敗北を意味した
 *ソ連の傘下にあった東ヨーロツハの国々
 *軍事的にも経済的にも、西ヨーロッパに仲間入りしていった
 ☆ロシアは「仲間」すべて西側に奪われた
 *「鉄のカーテン」は取り払われ、ロシアの影響力は大きく後退した

 *西欧の勢いがロシアにまで及びかねない
 *クリミア危機の根本には、こうしたロシアの危機感があった

⛳ロシアにとってのウクライナ
 ☆西欧の影響を食い止めるための重要な緩衝国である
 ☆ロシアは、ウクライナの動向につねに目を光らせてきた
 *ウクライナの政権が西欧寄りと見れば野党を応援
 *ロシア寄りの政権と見れば支援した
 ☆ウクライナにとって、ロシアからの独立は悲願達成だった
 *国内には少数派とはいえロシア語を話す人々がいる
 *産業はロシアに大きく依存等、複雑で酷な事情がある
 ☆ウクライナは、ウクライナを勢力下に置きたいロシアの力
 *取り払うことができなかった
 ☆ウクライナでは、ロシア寄り政権が倒された
 *ロシアとしては黙って見ているわけにはいかない
 *ウクライナが「西側」を向いていること自体
 *ロシアにとっては、とうてい受け入れがたい事態だった
 *ロシアにとり、ウクライナは、西欧諸国の影響を食い止めるために
 *絶対に「ロシア寄り」でなくてはいけない緩衝地帯なのだ
 ☆ウクライナに西欧寄りの暫定政権が誕生して変えようがない
 *ギリギリの選択として、ロシアはクリミアを併合した
 ☆ロシアのクリミア併合
 *住民投票という民主的な手法で決定されたが
 *実態は真っ赤なウソで、欧米からは激しく非難された
 ☆ロシアには、クリミアを併合したい事情があった
 *クリミアについては、ロシア系住民が多い
 *半島内にロシアが租借しているロシア軍港がある
 *1954年まではロシアに帰属していたという歴史経緯もあった
 ☆それが拡大したのがロシアによるウクライナ侵攻だった
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「第二次大戦」「独ソ戦争」「ソ連日本に侵攻」

2023年05月14日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア5

⛳第二次世界大戦
 ☆ロシア革命で巨大な連邦国となったソ連
 *第二次世界大戦では連合国の一員として戦う
 *戦勝国となったことで国際的な地位を確かなものとした
 ☆第二次世界大戦以降
 *社会主義国として東欧諸国への影響力を強めたため
 *ソ連、西欧とアメリカから警戒される
 *米ソが互いに巨大な軍事力をちらつかせながら牽制し合う
 *「冷たい戦争」冷戦へとつながる
 ☆第二次世界大戦でのソ連の戦い
 *当初、ソ連はヒトラーのドイツと手を組んだ
 *ドイツの間で、独ソ不可侵条約が締結される
 ☆ソ連、ノモンハン事件で日本との対立が明確なものとなった
 *そちらに戦力を割かねばならないという事情もあった
 *独ソ不可侵条約により
 *ソ連ドイツ対策には軍を投入せず、対日本に集中できる
 ☆ドイツは、ソ連との戦争に「フタ」をした直後
 *ポーランドに侵攻し英仏はドイツに宣戦布告した
 *第二次世界大戦が始まる
 *ドイツはポーランド西部を占領しフランスを降伏させる
 ☆ソ連は、ドイツがポーランド西部を占領すると
 *みずからも出兵してポーランド東部を占領し、バルト三国を併合した
 ☆独ソ不可侵条約を背景に順調に攻め進んだドイツ
 *イギリスに上陸したかったがイギリス軍に阻まれ、東欧に目を戻す
 *バルカン半島への侵攻であり、ソ連と対立する
 ☆ドイツはバルカン半島に乗り出す
 *ソ連との緊張関係が現実のものとなり
 *独ソ不可侵条約は有名無実化していく
 *ドイツは独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻する

独ソ戦争
 ☆ソ連は、日ソ中立条約を結んでいた
 *ソ連は戦力を対ドイツ戦に集中させることができた
 *モスクワ付近にまで迫ったドイツの侵攻を食い止めた
 ☆ソ連は、アメリカ、イギリスの支援を得て反撃に出た
 ☆第二次世界大戦の戦後処理の名目でテヘランで会談が行われた
 *参加国はイギリス、アメリカ、ソ連の3カ国
 *連合軍は、ドイツが占領しているフランスに上陸して反撃を始める
 ☆ドイツが降伏したあかつきには
 *ソ連は対日戦争に参戦することなどが話し合われた
 ☆イタリアは降伏し、ドイツの降伏も時間の問題
 *残すは日本のみだった

⛳ソ連、日本に侵攻
 ☆三カ国でのヤルタ会談
 ☆ソ連は、日露戦争で日本に割譲された
 *南樺太と千島列島獲得することを条件に
 *日本に侵攻することを英米に約束した
 ☆ソ連は、日ソ中立条約を延長するつもりがないことを日本に通告する
 ☆ドイツが降伏すると、ソ連はロソ中立条約を破り日本に侵攻する
 *原爆をも落とされた日本
 *これ以上戦い続けることは不可能だった
 ☆日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏となった
 ☆英米との約束どおり対日参戦したソ連
 *「戦勝国」となり、国際連合の安全保障国理事会の常任理事国になる
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「第一次世界大戦」「二月革命」「ソビエト連邦成立」

2023年05月13日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア4

 ☆連敗を重ねるなかでのロシア革命とソビエト連邦成立

第一次世界大戦
 ☆日露戦争で日本に敗戦したあとのロシア

 *東アジア方面への南下政策が頓挫したと見るや
 *ふたたびバルカン半島へと手を伸ばす
 *そこからロシアは第一次世界大戦へと突入していく
 ☆ロシアは、第一次ロシア革命の余波を
 *何とか封じ込めた矢先で、帝国主義的な拡張主義を推し進め
 *政府への不満を解消したい国内事情もあった
 ☆結果的には、第一次世界大戦の最中にロシア革命が成立
 *ロシアの帝政は崩壊、社会主義国家・ソ連の成立につながる
 ☆バルカン半島では、オスマン帝国の弱体化で
 *独立運動が巻き起こり、バルカン戦争も起こっていた
 *バルカン半島の混乱は国際紛争の様相を呈しはじめていた
 ☆ロシアはオスマン帝国の分割とバルカン半島で
 *勢力拡大にふたたび熱意を燃やしていた
 ☆ボスニアのサラエボでセルビア青年によリ
 *オーストリア帝位継承者夫妻が暗殺されるという事件が起こり
 *第一次世界大戦の戦端が開らかれた

二月革命(各地でソビエトの成立)
 ☆第一次大戦東部戦線において、当初の予想はロシア優勢だったが
 *ロシア軍はドイツ軍に撃破され、多大な犠牲を払い撤退した
 ☆二月革命で、民衆が蜂起し帝政は倒された(第二次ロシア革命)
 ☆各地ではいくつもの「ソビエト」が結成された
 *ソビエトとは、労働者や農民、兵士たちから成る評議会
 *各地の民衆によって自然発生的に各地のソビエトは勢力を増す
 *政府は臨時政府を樹立する
 ☆各地のソビエトと戦争継続の方針の臨時政府と激しく対立する
 *ロシアは、第一次世界大戦を戦っている最中に
 *二重政府状態になるという内政の危機に直面した
 ☆レーニンが亡命先のスイスから帰国
 *「平和とパンと土地」を要求する「四月テーゼ」を発表する
 *レーニンが起こした武装蜂起を臨時政府が鎮圧できず
 *社会革命党の左派によってソビエト政権が樹立される
 ☆レーニンの11月革命で臨時政府は倒された
 *第一次、第二次と段階を経て進んできたロシア革命が成立した
 *国内で反戦志向のソビエトが実権を握った

ソビエト連邦成立(レーニンの登場)
 ☆レーニン、第一次世界大戦を戦っていた国に
 *即時講和するよう勧告する
 *連合国はいっさい応じる気配を見せなかった

 ☆ソビエト政権は単独で第一次世界大戦から離脱した
 *ロシアは、フィンランド、ウクライナ他
 *オスマン帝国との国境地域の権利も放棄した
 ☆ロシアにとって第一次世界大戦は
 *ロシア帝政がバルカン半島における勢力を拡大を意図したが
 *黒海方面への南下政策にふたたび力を集中させるためのものだった
 *革命成立を避けられなかったことで
 *ヨーロツパ史上、類を見ないほど広大な領土を失う
 ☆ドイツの敗戦で、この条約は破棄される
 ☆ロシア国内では、農民の支持を受けた社会革命党が第一党に選出される
 *社会革命党は、議会を解散し、プロレタリア政党の一党独裁を形成した
 *ロシアの周辺地域でもソビエト政権が次々と誕生する
 *ロシアの革命政権が反革命勢力に対抗して力をつけていた
 ☆ソビエト連邦が成立した
 *ウクライナ、ベロルシア、ザカフカースの三共和国が加わる
 *ソビエト連邦最終的には、14の共和国を取り込んでいく
 *共産党の一党独裁による巨大連邦が完成した
 ☆ロシア革命をきっかけに
 *第一次世界大戦から離脱し広大な領土を失ったロシア
 *ロシア革命によって体制が変わったことを機に
 *いまだかつてないほどの勢力圏を獲得した
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』




「第一次世界大戦」「二月革命」「ソビエト連邦成立」
(『新地政学』記事他より画像引用)
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「露土戦争」「日露戦争(勃発・終焉)」

2023年05月12日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア4

露土戦争
 ☆ロシア圧倒的勝利を収めるも西欧の介入を招き後退した
 *クリミア戦争で黒海方面への南下政策を中断していたロシア
 *ふたたびオスマン帝国に侵攻する
 ☆オスマン帝国もうロシアに対抗しきる力はなかった
 *領内の各地で民族意識が高まっていた
 *全力をロシアとの戦いに向けられる状況ではなかった
 *200年続いたロシア・トルコ戦争
 *この戦いで、オスマン帝国は大きく弱体化した
 ☆ロシアはオスマン帝国を破り
 *領土を大幅に拡大できるはずだったが
 *西欧の干渉を招き上手く行かなかった
 ☆オスマン帝国支配のバルカン半島の諸民族オスマン帝国に反旗する
 *ロシアは、バルカン半島へ進出するチャンスと見た
 *ロシアは、スラブ系民族保護の名目のもと、オスマン帝国に宣戦布告する
 *バルカン半島やコーカサス地域で、ロシアはオスマン帝国を撃破した
 *サン・ステファノ条約の締結をもって露土戦争は終結する
 *サン・ステファノ条約で、ロシアがバルカン半島に勢力を伸ばすことに
 *イギリスとオーストリア=ハンガリー帝国が抗議を申し立てた
 ☆イギリスとオーストリアが、サン・ステファノ条約に異議を唱えた
 *ドイツが調停役に立ってベルリン会議が開かれた
 *ベルリン条約で、サン・ステファノ条約は大幅に修正された
 *ロシアは、他国の干渉によつて、またも南下政策は頓挫した


日露戦争勃発
 ☆露土戦争でロシア勝利したが、思うような戦果は得られなかった
 *ロシア日本海への南下を目論む
 *ロシアの目は、ふたたび東アジアに向けられる
 *これが新興国、日本の利害とぶつかり、日露戦争が起こる
 ☆ロシア帝国内では、内政の混乱が徐々に深刻化していた
 ☆満州、朝鮮へと進出する姿勢が明らかとなったロシアに対し
 *満州、朝鮮の権益獲得を目指していた日本、懸念を募らせる
 *朝鮮半島は日本の目と鼻の先であり
 *ロシアの勢力が及べば、本土まで危うくなりかねない
 *日本は、つねにロシアの南下政策を危惧していた
 ☆日本は、イギリスと日英同盟を結び、アメリカも日英同盟に賛同した
 *ロシア側には露仏同盟を結んでいるフランス、ドイツがついていた
 ☆国際対立を背景に日露戦争が勃発した

日露戦争の終焉
 ☆圧倒的軍事差でロシア優勢と見られていた
 ☆しかし、日本が主要な戦いで勝利する
 *それは、日英同盟、アメリカの経済援助も大きく関わっていた
 *ロシア国内では革命に向けた動きが進んでいた
 ☆ロシアにとっての日露戦争
 *国内で革命の火が燃え盛ろうとしているなかでの戦争だったのだ
 ☆日本も、優位に戦ってはいたが、長期戦に耐えられる力はなかった 
 *軍事費も戦傷者も影れ上がるなか、国民の生活も窮乏していた
 ☆アメリカの力の仲介によって講和会議が開かれる
 *ポーツマス講和条約、南樺太の領有、朝鮮・遼東半島の組み入れ等
 *日本に認められた
 ☆ロシアは先のベルリン条約ではバルカン半島進出を阻まれた
 *今度は沿海州を南下の足がかりにしようとしたが
 *ロシア国内では革命の動きが盛んだったこともあり
 ☆ロシアは日本に敗戦し、東アジアヘの進出を諦めざるをえなくなった
                     (敬称略)
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「露土戦争」「日露戦争(勃発・終焉)」
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「エジプト・トルコ戦争」「クリミア戦争」「アロー戦争」

2023年05月10日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア3

エジプト・トルコ戦争(英仏に敗れて黒海方面を断念したロシア)
 ☆エジプト・トルコ戦争
 *エジプト人総督が、ギリシャ独立戦争で
 *オスマン帝国を支援した見返りに
 *シリアの領有権を求めた要求をオスマン帝国が拒否し起こった戦争
 *総督はシリアに出兵
 *二次にわたるエジプト・トルコ戦争が勃発した
 ☆エジプト・トルコ戦争でオスマン帝国は、ロシアを頼った
 *黒海から地中海へと進出したいロシア
 *オスマン帝国に貸しを作って損はない
 *ロシアはオスマン帝国支援という名目で
 *黒海と地中海を結ぶダーダネルス海峡に出兵する
 ☆第1次エジプト・トルコ戦争
 *ロシアを牽制したいイギリス・フランスも介入した
 *介入した両国はオスマン帝国と交渉
 *シリアや北アフリカをエジブトに割譲することを認めさせた
 *イギリス・フランスに要求を飲まされたオスマン帝国
 *ロシアと密約を結ぶ
 *ボスポラス・ダーダネルス海峡に関して、ロシアと密約を結ぶ
 *ロシアの独占的な航海権を認める代わりに
 *ロシアの支援を受けるというものだった.
 ☆第1次エジプト・トルコ戦争が勃発する
 *イギリス、 ロシア、オーストリア、プロイセンがオスマン帝国を支援
 *孤立したエジプト総督はあえなく敗戦
 *以後、エジプトは列強の干渉を受け続ける
 ☆2次エジプト・トルコ戦争
 *イギリス他4国は、ロシアとオスマン帝国の密約も破棄させた
 *ロシアは、イギリスの外交戦術により
 *地中海への足がかりを失ったも同然となる
 *ロシアはオスマン帝国に戦いをしかける
 ☆オスマン帝国
 *イギリスとフランスの支援を受けてロシアに対抗する
 *インドヘと通ずる道を確保したいイギリス
 *ナポレオン戦争の失墜を回復したいフランス
 *オスマン帝国の利害が一致した
 ☆断続的に続いているロシア・トルコ戦争の一環だった

⛳クリミア戦争(ロシア対英・仏・オスマン帝国)
 ☆イギリスとフランスがオスマン帝国を支持した
 *ロシア対イギリス、フランスの戦いとなった
 *イギリス、フランス、オスマン帝国同盟軍
 *黒海沿岸のロシアの軍事拠点クリミア半島に上陸する
 *以降、クリミア半島が主戦場となった
 ☆ナイチングールが看護婦として従軍したことでも有名な戦争
 ☆ロシア帝国対フランス、イギリス、オスマン帝国の同盟軍の戦争
 *近代史上稀にみる大規模な戦争だった
 ☆不凍港を求めたロシアの南下政策がもたらした戦争が定説
 *戦いは双方譲らず長期化した
 *オーストリア軍が、英仏に加勢しロシアは劣勢に転じた
 *ロシアは講和に応じぎるをえなくなる
 ☆ロシアはベッサラビア南部をモルダビア公国に割譲
 *ロシア・トルコ戦争で手にしたドナウ川河口自由航行となる
 *ロシア、黒海に艦隊を持つことまで禁じられてしまった

 ☆ロシアは、ロンドン条約とパリ条約得たエリア
 *ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の独占的航海権
 *ドナウ川河口を失う
 *黒海沿岸に築いたはずの拠点を一気に失ってしまった
 ☆オスマン帝国と戦い
 *黒海から地中海方面の進出しようと努めてきたロシア
 *ロシアの南下政策は、大きく挫折した

⛳アロー戦争(英仏勝利に乗じて、ロシア不凍港を築く)
 ☆アロー戦争は、ロシアが直接関わった戦争ではない
 ☆南下政策を諦めきれないロシア
 *ロシアが、東アジア方面へと目を向けるきっかけとなった戦争
 ☆アヘン戦争でイギリスに敗れ、清は急激に弱体化した
 *ロシアはそこに付け込み、黒龍江流域に進出していた
 ☆イギリスはアヘン戦争後の南京条約で
 *清との自由貿易は、限られた港でしか取引を行えない
 *不満を抱いていた時アロー号事件が起こる
 ☆アロー号事件(アロー戦争)
 *イギリスにとり、清にさらなる不平等条約を迫る格好の口実となった
 ☆イギリス領事、アロー号事件はイギリスを侮辱する行為であると抗議
 *その直後にフランスと手を組み、軍事行動を起こした
 ☆英仏連合軍は広州から北上し天津付近にまで迫った
 ☆清国内では、太平天国の乱が起こった
 *南京に独立国家が成立していた
 *内憂外患となった清はまったく対抗できず
 *英仏に属することになった
 ☆天津条約で、清は南京条約で開いた5港に加え10港を開港他
 *アヘン戦争後に結ばれた不平等条約をますます拡大した
 ☆清国内で、この条約に反発する声が上がり、清は条約批准を拒んだ
 *英仏軍はふたたび進軍し北京を占領した
 *結局、英仏に敗れた清は、天津条約の批准に加えて
 *賠償金を増額することなどを定めた、北京条約まで結ばされる

アロー戦争の流れに乗じたロシア
 ☆英仏とは別にアイグン条約を北京条約を締結する
 *黒龍江左岸、および沿海州の領有権を清に認めさせ
 *沿海州にはウラジオストク港を開港する
 ☆黒海方面では挫折したロシア
 *英仏と清が戦ったアロー戦争にうまく便乗したことで
 *ようやく不凍港を築いた
 ☆これが、ロシアが東アジア方面に南下する道筋となる
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『新地政学』記事より画像引用)
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「ナポレオン戦争」「イラン・ロシア(アフガン)戦争」

2023年05月09日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア

 ☆ロシア、ナポレオン戦争でフランスを撃退し領土広げる

⛳ナポレオン戦争
 ☆フランス革命が起る
 ☆革命の影響を恐れたオーストリアやプロイセンの干渉が始まった
 *フランスは、国内の反革命勢力や国外からの内政干渉を武力で
 *一挙解決するためにオーストリアに宣戦布告する
 *オーストリア=プロイセン連合国と戦ったフランス軍
 *ヨーロッパ諸国が対仏大同盟を組んで参戦した
 *フランスは列強を相手取った戦争に突入する
 ☆ナポレオンがフランスに登場した(ナポレオン戦争)
 *革命派の軍人としてみるみる頭角を現したナポレオン
 *ナポレオンは、イタリアでオーストリア軍に大勝
 *列強が団結した対仏大同盟を解体する
 *イギリスも、対仏大同盟を結成する
 *ナポレオンは、ヨーロッパの経済を牛耳ることで
 *イギリスをヨーロッパの市場から締め出し、自滅政策を実施した
 *ナポレオンの目論見とは裏腹に
 *大陸封鎖令は、ヨーロッパ大陸の経済を混乱させ
 *反仏感情が高まった周辺国では反抗する国も出てきた
 ☆ナポレオンは更に戦争を拡大する
 *周囲の西欧列強のみならずロシアにも手を伸ばすモスクワ遠征
 *想像を絶するロシアの寒さに行く手を阻まれ
 *ナポレオン軍は甚大な被害を出しながら敗走する
 *反仏感情をみなぎらせていたヨーロツパの諸国民
 *一気に解放戦争に立ち上がる
 *ナポレオン戦争はナポレオン軍の敗北によって幕を閉じた

ロシア、ナポレオンを撃退し領土を広げる
 ☆ロシアは、侵略戦争を始めたナポレオン軍の侵攻を受ける
 *ロシアは万策を講じてナポレオン軍を撃退する
 *講和会議で、ロシアはフィンランドなどの領地も手に入れる
 ☆ウィーン会議で「ナポレオン後」のウィーン議定書
 *ロシアは、ロシア皇帝を君主としてたフィンランド大公国の承認
 *オスマン帝国領だったベッサラビア、プロイセン
 *オーストリア領となっていた旧ポーランド領の大部分を手に入れた
 ☆ポーランド立憲王国とは名ばかりで、実質的にはロシア領になった
 ☆ロシアは、ナポレオン戦争を通じて、またも領土拡大に成功した
 *南へと進みたいロシアの目は、次第に中東にも向けられていく
 ロシアと、アフガニスタンを巡るイギリスとの対立

イラン・ロシア戦争
 ☆中東方面への南下政策の一環で、ロシアはイランに侵攻する
 ☆第一次イラン・ロシア戦争
 *ロシアはコーカサス地方のグルジアと北アゼルバイジャンを獲得する
 ☆第二次イラン・ロシア戦争
 *イランに不平等条約を受け入れさせ
 *ザカフカース全域をロシアは手に入れた
 ☆オスマン帝国の領内では各民族の民族主義、独立志向が高まる
 *オスマン帝国の求心力はかなり低下していた
 *オスマン帝国の衰退に乗じる形で
 *ロシア、イギリス、フランスなどの西欧列強がオスマン帝国に介入
 *オスマン帝国の支配下にあったギリシャで独立気運が高まる
 *ロシアは他国と伴にギリシャを支援し、ギリシャは独立を勝ち取った
 ☆ロシアは単独でオスマン帝国との戦争を始めた
 *ロシアは黒海西岸へ流れ込むドナウ川の河口を割譲させた
 *グルジア、アルメニアの主権がロシアにあることを認めさせた
 *南へ、南へと、順調に勢力圏を広げようとしていたロシア
 *南下政策の勢いに危機感を抱いたのが、イギリス
 ☆ロシアの支援を受けたイランのアフガニスタン侵攻
 *ロシアの南下政策を危険視したイギリスがスも介入した戦争
 *イギリスは、軍事介入によつてアフガニスタンを占領
 *ロシアの南下を食い止めようとする
 ☆第三次イラン・ロシア戦争(アフガン戦争)
 *イギリスは、第二次アフガン戦争に敗れた
 *イギリスはアフガニスタンの保護国化には成功し
 *イラン南部はイギリスの、イラン北部はロシアの勢力内に収まる
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「ロシア革命」「ロシア・トルコ戦争」「ポーランド分割」

2023年05月08日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア1

ロシアから見た世界
 ☆ロシアは、肥沃な土地と不凍港が欲しい
 ☆ロシア国の起源は、東スラブ人が9世紀末
 *現在のウクライナ首都の周辺に築いたキエフ公国である
 *キエフ公国は着々と国力を高め、10世紀末に最盛期となる
 *キエフ公国、13世紀前半、モンゴル人の侵攻を受けて征服される
 ☆モンゴル帝国の国家の一つ、キプチャク・ハン国が築かれた
 *モスクワ大公国が独立するまでの約2世紀半
 *東スラブ人はキプチャク・ハン国の支配を受けている
 ☆独立後、モスクワ大公国は、周辺地域を次々と統合する
 *その後、ロシア帝国が成立し支配領域ユーラシア大陸の北半分
 *覆い尽くすほどにまで広がった
 ☆巨大な領域を占めながらも、ロシアの拡張路線が止まらなかった
 *北極海に面した領土では豊かな農耕などかなわない
 *冬ともなれば港も凍りついて使いものにならない
 ☆ロシアは、肥沃な大地と凍らない港を求めて
 *南方への野心をたぎらせていた
 ☆ロシアにとって「南方」とは
 *黒海・中東の方向か、朝鮮半島の方向かのどちらかである
 *インド洋へは、ヒマラヤ山脈があり進出できなかった

ロシア革命
 ☆ロシアは世界初の社会主義国家・ソ連になった
 *革命が、第二次世界大戦後の東西冷戦の元となる
 *ソ連はアメリカや西欧とはイデオロギーを異にする大国
 *世界大戦後の二極時代の一極を形成していく
 ☆南下政策に加え、イデオロギー対立という意味でも
 *ソ連・ロシアは、主に東欧を舞台に
 *西欧諸国と大規模な「押し合い」を繰り広げる
 ☆クリミア危機、ロシアのウクライナ侵攻
 *ソ連が崩壊しロシアとなった今でも
 *西欧諸国との押し合いは続いている
 ☆ベルリンの壁が壊され、ソ連が崩壊し冷戦は一応終了した
 *西側の資本主義イデオロギーの勝利に終わったとされてる
 *しかしその種火は、いまだに消えていない

第一次ロシア・トルコ戦争
 ☆不凍港や肥沃な土地を求めて南下したいロシア
 *食い止めたいオスマン帝国との戦いは、繰り返されてきた
 ☆ロシア帝国成立後も、200年間、断続的に繰り返された
 ☆西欧を手本に急激に近代化を推し進めたロシア
 *東方ではシベリア経営を進める一方、オスマン帝国の勢力圏
 *黒海へとつながるアゾフ海の制海権を獲得する
 ☆北方戦争(スウェーデンに加勢したオスマン帝国との戦い)で
 *ロシアは敗れ、アゾフをオスマン帝国に返却する
 *その後、ロシアはスウェーデンに勝利し、バルト海を制する
 *スウェーデンに代わり、ロシアが新たな北方の覇者となった
 ☆第一次ロシア・トルコ戦争
 *エカチェリーナ2世の時代となったロシア
 *ふたたび南下政策が活性化し
 *オスマン帝国への侵攻が始まった
 *勝利したロシアはオスマン帝国領クリム・ハン国の保護権等を得た

 *ロシア、両海峡を自由に行き来できる権利を得たことで
 *ロシアは大幅な勢力拡大に成功した

第二次ロシア・トルコ戦争
 ☆ロシアが併合したクリム・ハン国をめぐる争いが発端
 *クリム・ハン国はロシア領となったが
 *クリム・ハン国のクリミア・タタール人はイスラム教徒
 *帰属意識はオスマン帝国にあった
 ☆オスマン帝国
 *ロシアに、クリム・ハン国の返還黒海北岸からの撤退を要求する
 *これをロシアは拒否
 ☆第二次ロシア・トルコ戦争
 *オーストリアがロシアを支持
 *イギリスとスウェーデンがオスマン帝国を支持した
 *ロシア優勢で、イギリスとスウェーデンは手を引く
 *孤立無援となったオスマン帝国はロシアに屈した
 ☆オスマン帝国
 *ロシアのクリミア半島領有権などを認めた上
 *さらに領土を削り取られることになった
 ☆ロシア中心の「ポーランド分割」
 *ロシア、プロイセン、オーストリアが領土拡大を図ったのだ
 *最後の分割後にはポーランドに残された領土はゼロ
 *ポーランドという国そのものが消滅した
 ☆第一次、第二次ロシア・トルコ戦争の勝利、ポーランド分割
 *ロシアは、大幅な領土拡大を実現した
 ☆南下政策の中心人物であったエカチェリーナ2世の死
 *ロシアの南下政策はいったん収まる
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「東南アジア」「台湾」「中国の防衛ライン」

2023年05月07日 | 地政学
🌸「広い海」が欲しい中国の地政学6

東アジアの安全保障
 ☆中国が押しまくっているなかでの東アジアの安全保障
 ☆アメリカ・イギリスは巻き返しを図りたい
 *「民主主義の頭領」を自負しているアメリカ
 *「50年の約束」を一方的に破られたイギリス
 ☆英米にとり、民主主義指数8以上の台湾
 *絶対に中国の手に落とすわけにはいかない「民主主義の牙城」だ
 ☆中国が、ウイグルを完全に落とした後
 *南シナ海、香港を中国の好きなようにされている現況
 *今まで台湾に対しては曖味政策をとってきたアメリカの姿勢
 *微妙に変わってきているように見える
 ☆ベロシ米下院議長の訪台も、その一つの表れと見ていい

中国、日本にとっては潜在的脅威
 ☆ベロシ米下院議長の訪台
 *ペロシ氏は米軍機で飛び立ち、フィリピンの東上空を通過する際
 *空母ロナルド・レーガンが張り付いてガードしていた
 *アメリカ政府の意向が及ばない議会の長の行動では通用しない
 *中国が台湾に侵攻しようものなら、我々が黙っていないという姿勢
 *アメリカが行動で表したのだ
 ☆日本は、中国に図に乗られては領海、領土が危険にさらされる.
 ☆今後、中国が、南シナ海に築いた人工島と軍事拠点の周囲へ
 *中国が、原子力潜水艦を配備するようなことになったら
 *日本のシーレーンの一つ、大きく阻害されてしまう
 ☆「今、とにかく広い海が欲しい」中国
  *「防衛線」の第二列島線の範囲の領有権まで主張しはじめかねない
 *まず尖閣諸島から沖縄へというわけだ
 ☆南シナ海と同様のことが、東シナ海でも起こる可能性がある
 ☆沖縄の米軍基地に対する反発は根強いが
 *フィリピン、かって米軍を撤退させたとたんに中国に進出された
 *沖縄から米軍がいなくなれば
 *フィリビンの二の舞いを、日本が演ずる可能性もある
 ☆中国は、太平洋をアメリカと二分するために
 *日本列島をすっぼり収める太平洋沿岸のラインまで手中にしたい
 ☆尖閣諸島は日米安保の対象とアメリカが正式に表明しているため
 *とりあえず一服の状態ではあるが
 *中国が独裁国家である限り、日本にとっり潜在的脅威である

一国の民主度と経済成長には相関性がある
 ☆ 一定以上の民主化でないと
 * 一人あたりのGDP1万ドルを長期にわたって超えるのは
 *産油国以外はなかなか困難だ
 ☆ 一党独裁の中国の経済は、向こう10年間
 *そう大きくは成長できないだろうと予測できる
 ☆民主主義国家の間で政策的に「中国離れ」が進められている
 *中国をあまり成長させないような環境になりつつある

 *典型例はIPEF(インド太平洋経済枠組み=
QUADの経済版)
 *「中国抜きの経済圏」を作ろうという構想である
 ☆一党独裁の社会主義国
 *「資本取引の自由」が確保されていない
 *中国は、TPP加盟の要件を満たしていない.
 *最初から、中国外しが念頭にある枠組みなのだ
 ☆中国は「政治と経済は別」というスタンスで
 *資本主義・民主主義国ともうまく付き合い、経済成長を遂げてきた
 *それが、いよいよ早晩、崩れようとしている
 ☆経済力と軍事力はコインの裏表だ
 *「経済的に弱くなれば、軍事的にも弱くなる」のが自然である.
 ☆習近平にとって一番望ましいのは「台湾統一」だ
 *習近平が台湾侵攻に踏み切る可能性は高い
 *中国が勝手に定義している論理(習近平の変わらぬ考え)
 *「中国の一部である台湾」「台湾の一部である尖閣諸島」
 *沖縄とコマを進め「太平洋二分論」を実現だ
                      (敬称略)
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「東南アジア」「台湾」「中国の防衛ライン」
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「原子力潜水艦」「南シナ海」「国際裁判所」「香港」

2023年05月06日 | 地政学
🌸「広い海」が欲しい中国の地政学5

中国とロシアの仲たがい
 ☆共産主義の実現を目指す社会主義国家として、思想的には近いが
 ☆両国、両国が支援する国々が、対立する理由
 *ソ連でスターリンの死後
 *社会主義圏のなかでは大きな変化が起きた
 *ソ連内ではスターリン批判が盛んに行われた
 *革命のあり方や社会主義の国家運営等で、中国とソ連は対立した
 ☆中ソの関係は悪化の一途を辿り
 *国境付近では武力衝突も起こるようになった
 ☆中国とソ連は、思想的には近いが、
対立が明確になった
 *思想的に近い国家同士は争いにくいと思われているが
 *それは民主主義国家においてのみだ
 ☆ソ連・ベトナム・中国も共産党の一党独裁国家の中越戦争
 *その戦争は民主的平和論を証明するもの

中国(原子力潜水艦の配備)
 ☆中越国境紛争を経て、中国は盛んに海へと進出を図る

 ☆中国が海へ進出理由
 *中国は、度重なる戦争の末に陸の領有がある程度固まったから
 *又、アメリカの軍事衛星の映像非常に鮮明で
 *中国の内陸部の軍事施設は、ほぼ「丸裸」である
 ☆優れた軍事施設をもっていても
 *鮮明な衛星技術で、空から攻撃されたらひとたまりもない
 *海中の原子力潜水艦であれば、空からはとらえられない
 ☆原子力潜水艦は、長期間の連続航行が可能である
 *有り余る電力によって海水から酸素も作れる
 *数ヶ月以上の連続潜行が可能になっている
 ☆原子力潜水艦が現時点で最強の兵器だろう

中国の野心的動向(南シナ海の制圧)
 ☆アメリカは、自国の安全保障から
 *中国の原子力潜水艦を南シナ海に押さえ込みたい
 ☆南シナ海の南沙諸島では、米駆逐艦が哨戒活動を行い
 *中国がそれに抗議する
 *両国のせめぎ合いが、行われている
 ☆中国は、「今、とにかく広い海が欲しい」のだ
 ☆ソ連崩壊後、中国は
 *第一列島線、第二列島線の二本の軍事進出の目標ラインを定め
 *「対米防衛線」とした
 ☆防衛線以外にも、中国は南シナ海の領有権も積極的である
 *南シナ海の諸島の領有権を主張してきた
 *スプラトリー諸島に人工島を作り
 *軍事拠点と思しき施設を建設している(九段線に基づく)
 ☆国際法上は、満潮時に水に潜ってしまう岩礁は「島」ではない
 *埋め立てて「島」のようにしたとしても国際法上は「領土」でない
 *中国はそれを無視して、領有権を主張している

中国の野心的動向(国際裁判所判決)
 ☆ハーグ常設仲裁裁判所で、中国の連法性が確定された
 *訴えた側のフィリピンと訴えられた側の中国
 *「協力関係を築く約束」を交わしたことで
 *事実上、この判決が破棄されてしまった
 ☆国際裁判所の力なんて、そんなものなのだ
 *海域では、米中のせめぎ合い、牽制合戦が続いている
 ☆アメリカとフィリピンの間では
 *米比相互防衛条約が結ばれている
 *米国は、中国軍がフィリピン軍を攻撃した場合
 *この条約が適用されるとの警告を発した
 ☆アメリカは、中国に釘を刺したかったのだろう

最近の中国の野心的動向(香港政策)
 ☆香港の「一国二制度」の崩壊
 *日本の統治下から再びイギリス植民地となった香港
 *今後50年間は社会主義政策を行わないという中国の約束のもと
 *「特別行政区」として中国に主権移譲された
 *一国二制度の始まりである
 *2020年中国は「香港国家安全維持法」を施行した
 *大規模な反対デモが香港中で巻き起こった
 *その後の香港国家安全維持法施行
 ☆法律に基づき、中国は400人あまりを香港で逮捕している
 ☆「50年は社会主義政策を行わない」という約束
 *勝手に反故にし中国の政策を香港に押しつけはじめた
                      (敬称略)
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『新地政学』








「原子力潜水艦」「南シナ海」「国際裁判所」「香港」
『新地政学』ネットより画像引用)
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「朝鮮戦争」「中越戦争」「中越国境紛争」

2023年05月05日 | 地政学
🌸「広い海」が欲しい中国の地政学4

朝鮮戦争
 ☆第二次世界大戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境に
 *南側はアメリカ、北側はソ連に占領された
 *大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国として独立する
 ☆独立直後から両国は激しく対立し、朝鮮戦争が勃発した
 *アメリカと中国の代理戦争へと様相を変えていく
 ☆中国の目的は、何はなくとも国境線の防衛
 *南進し、朝鮮半島南端、対馬まで踏み入ることができれば
 *中国は太平洋への足がかりをつかめる
 ☆朝鮮戦争は、中国の参戦により
 *朝鮮半島を舞台にした、米中戦争という様相になった
 ☆押しつ押されつのシーソーゲーム化した朝鮮戦争
 *休戦協定が成立する
 *あくまでも「休戦」で、朝鮮戦争は定義上は終結していない

日本の朝鮮戦争参戦
 ☆朝鮮戦争に、日本も参戦している
 *自衛隊はなかったが、海上保安庁が機雷除去に取り組んだ
 *戦闘地域で後方支援を行ったことは間違いない
 ☆安保法制反対派がよく言う
 *「日本は70年間戦争に加担してない」は正確ではない
 ☆機雷除去で、国連軍は制海権を確保することができた
 *日本の「参戦」が戦局を大きく左右した
 *ひいては日本の国士を守ったと見ることもできる
 ☆当時「派遣は違憲ではないか」という議論は起こった
 ☆国会承認を得ずに派遣したことが問題視された.
 ☆釜山から対馬、九州にまで脅威が迫る可能性もあるなかで
 *結果として、日本が本格的な戦争に巻き込まれないようにと
 *派遣の判断が下されたことは、十分うなずける
 ☆崇高な理想があっても
 *理想を共有できない相手が存在する以上
 *現実的には仕方のないことでもある
 ☆日本はある意味、現実的な判断から「集団的自衛権」を行使し
 *同盟国と自国を守ったともいえる

朝鮮半島の悲劇
 ☆朝鮮戦争を中国から見れば、領土拡大の機会を逃した戦争
 ☆国を分断された上に苛烈な戦場となった朝鮮半島は悲惨である
 ☆朝鮮半島の人々は、古くから中国の属国として扱われ
 *北からはつねにロシアにつけ狙われつづけてきた
 *太平洋戦争前には日本によって併合された
 ☆戦争が終わったと思ったら
 *アメリカとソ連によって南北に分断された
 ☆小さな半島であるために、大国や強国の都合に振り回されてきた
 *地政学的に微妙な位置にある国の悲哀を物語るという点では
 *筆頭に挙がる国といっていい
 ☆北朝鮮は、2011年の代替わり以降、ますます危険度が増した
 *日本としては、韓国による南北統一がもっとも望ましいシナリオだ

中越戦争(
親ソのベトナムに侵攻する中国)
 ☆中越戦争
 *冷戦構造のなかでカンボジアに侵攻したベトナム
 *「報復措置」として、中国がベトナムに攻め入った戦争である
 ☆発端は、ベトナムとカンボジアの関係悪化だった
 *両国の対立は、各々の後ろ盾、中国とソ連の対立となった
 ☆ベトナムはカンボジアに侵攻し
 *ポル・ポト派政権を退けて親べトナム政権を樹立させる
 *中国は、これに黙っていなかった
 ☆中国は、ベトナムを攻撃し、中越戦争が勃発する
 *中国軍はみるみる窮地に陥り
 *1ヵ月程度でベトナムから撤退する
 *中越戦争で直接対決となった中国とベトナム

中越国境紛争
 ☆中国とベトナム、中越国境紛争へと発展
 *中国とベトナムの国境付近の地域をめぐり
 *中国軍とベトナム軍およびソ連軍事顧間団が衝突した
 ☆中越国境紛争は中国の先制攻撃に始まり中国が勝利した
 *紛争地帯を10年にわたって中国軍占領する
 ☆スプラトリー諸島をめぐり
 *中国は再度ベトナムに紛争をしかける
 *海上での戦いでも、中国はベトナムに勝利する
 *スプラトリー諸島に散らばった岩礁を実効支配した

 ☆ベトナムと中国の対立
 *ソ連崩壊、冷戦終結の後も続き
 *今なお、領土、領海をめぐる緊張状態は続いている
                      (敬称略)
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「朝鮮戦争」「中越戦争」「中越国境紛争」
『新地政学』記事より画像引用)
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