【前回からのつづき(3話目)】
では、3回目の入院になるまでのいきさつを書きたいと思う。
【入院にいたるまで】
2回目の入院は、約6年前だった。3ヶ月の入院で完治したといってもよい完璧な状態で退院した。
もちろん、この病気には完治なんてものは存在しないのだが、先生の意向で完璧な状態で退院になった。というのは、入院中にステロイド剤の副作用で1ヶ月近くも地獄をみたこともあり、少しの妥協もない状態で退院させることになった。もちろん、僕を含め家族も賛成だった。
その後も外来でステロイド剤やらペンタサやらの薬を続けていた。ステロイド剤も順調に減っていった。
それがいつしか、やめていた…。
「や~めたっ!」ってやめたわけではない。「全然悪くもならないし飲まなくても平気なんじゃ?」確かにそう感じるが、それでやめた訳でもない。
いつも膨大な薬をもらっていて、しかも3ヶ月分となると、飲み忘れ分がたまりにたまってくる。3ヶ月分がゆうに4ヶ月分になる。それが更にたまって、病院に行かなくても十分な量になって…。飲み忘れることも多くなった。そのまま、飲むこと自体がなくなってしまった。
病院の診察も受けてない。
約4年前、再燃した。出血しだした。それから1年近く放置した結果、頻繁に血混じりの下痢をするようになり、慌てて病院にいった。2度の入院前よりも明らかに悪いからだ。
もちろん怒られたし、ステロイド剤を急にやめたことの危険性を説かれた。それで薬を3ヶ月分処方してもらったのだが、その金額、約25000円。それまでは特定疾患の受給証があったから負担は少なかったのだが、病院にすらいってないので更新もしていないのだ。
大きな負担ではあったが、生活に支障をきたすほど病状が悪く、まじめに飲み続けた。時間はかかったが、症状は良くなった。
そして、完全に良くなった訳でもないのに薬を飲まなくなった。理由は前回と一緒である。
記憶は定かではないが、今から1年前の時点で下血していた。下痢はしていなかった。
去年5月、父親の大腸がんが発覚。横行結腸がんで、大腸の管を突き破る間近まで大きくなってしまっていた。
6月に手術をし、今のところ転移は確認出来ていない。
そんなこともあり、僕は内視鏡を受けることにした。予約が一杯で10月になった。もちろん25000円の薬セットも処方してもらい、病状もそれほど悪くないから安心していた。
が、内視鏡の検査を待たずして病状は著しく悪化した。薬を飲み始めて悪化したのではと疑いたくなるほど、勢いよく悪化した。
頻繁に水下痢をするようになった。下血の量も明らかに増えた。腹痛もよく襲いかかってきた。トイレに間に合わないことも多くなった。
今までで一番悪い…。
仕事中を含め、生活全体に支障をきたしていた。排便回数も1日に10回近くになる。恐らく入院レベルだ。
でも、入院したら最低でも1ヶ月は出られないし、経済的にも痛い。
そこで9月は勤務日数を減らしてもらった。基本週5日だったのを週4日にした。シフトを管理している直属の上司には、病気のこと、病状のことを話した。入院レベルだが、入院したくないのでと減らす理由を伝えた。
週4日になって体は楽になった気がする。相変わらず、水下痢を頻繁にするのだが、症状は少し軽くなった。
で9月の終わりに10月のシフトの件で面談をする。
10月後半には、内視鏡の検査があるので、検査前日から、検査後まで最低3連休が必要。前回の検査では、麻酔が効きすぎて、検査した翌日に意識を取り戻したものの、更に翌日までフラフラだったこともあり、できれば4連休が欲しいと告げる。
病状の方は少し落ち着いたが、10月も週4日ペースでお願いした。
「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」
思いも寄らない言葉が返ってきた。
「仕事を長くやっていれば、責任感も出てきて、具合悪くてもそうは休まないけどね。」
更にイヤミを突きつけてきた。
この人は、病気のことも病状のことも全然理解していないと感じた。
この言葉、屈辱は今でもハッキリと覚えている。
とりあえずもう一度、入院レベルだが入院したくないのでと理由付けてお願いした。
「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」
別の日にもこう言われ、僕はこの人を今でも軽蔑している。
確かに病状が良くなっている実感があった。内視鏡の検査結果も良くはないが、ものすごく悪くないようだった。入院したくないので先生には、病状も軽く伝えた。
引き続き薬を続けようということになった。
11月から週5日ペースに戻した。病状がいいからではない。イヤミをいわれて悔しかったからである。
それが悪かった。
あれよあれよという間に病状が悪化。今年1月には、生活に耐えうる程の腹痛と下痢、出血。排便回数はゆうに10回を越えていた。
例えば排便回数12回ならば、24時間を割れば分かるが、約2時間に1回激しい腹痛が襲いトイレに駆け込むということだ。これには昼夜関係ない。寝てても約2時間に1回襲いかかってくる。まとまった睡眠がとれないのは当たり前で、かつ、夜は判断力やら体の動きが鈍い為、間に合わないことが多い。
そうなると、片付け等に膨大な時間がかかり、なおさら睡眠時間かなくなる。やっと片づけ終わって布団に入るやいなや腹痛に襲われるという最悪なパターンもよくあることだ。
診療予約が2月末だが、我慢できずに病院に行った。ステロイド剤を増量し、1週間で改善できなければ、入院となった。
1週間後。
入院が決まった。採血の結果、栄養値が下がり、貧血にもなっていた。
正直ほっとした。生きている心地のしない現実から抜けれる。これで楽になる。
こうして僕は3度目の入院になったのである。
次回は、4週間の入院治療について書きたいと思います。
【次回につづく】
では、3回目の入院になるまでのいきさつを書きたいと思う。
【入院にいたるまで】
2回目の入院は、約6年前だった。3ヶ月の入院で完治したといってもよい完璧な状態で退院した。
もちろん、この病気には完治なんてものは存在しないのだが、先生の意向で完璧な状態で退院になった。というのは、入院中にステロイド剤の副作用で1ヶ月近くも地獄をみたこともあり、少しの妥協もない状態で退院させることになった。もちろん、僕を含め家族も賛成だった。
その後も外来でステロイド剤やらペンタサやらの薬を続けていた。ステロイド剤も順調に減っていった。
それがいつしか、やめていた…。
「や~めたっ!」ってやめたわけではない。「全然悪くもならないし飲まなくても平気なんじゃ?」確かにそう感じるが、それでやめた訳でもない。
いつも膨大な薬をもらっていて、しかも3ヶ月分となると、飲み忘れ分がたまりにたまってくる。3ヶ月分がゆうに4ヶ月分になる。それが更にたまって、病院に行かなくても十分な量になって…。飲み忘れることも多くなった。そのまま、飲むこと自体がなくなってしまった。
病院の診察も受けてない。
約4年前、再燃した。出血しだした。それから1年近く放置した結果、頻繁に血混じりの下痢をするようになり、慌てて病院にいった。2度の入院前よりも明らかに悪いからだ。
もちろん怒られたし、ステロイド剤を急にやめたことの危険性を説かれた。それで薬を3ヶ月分処方してもらったのだが、その金額、約25000円。それまでは特定疾患の受給証があったから負担は少なかったのだが、病院にすらいってないので更新もしていないのだ。
大きな負担ではあったが、生活に支障をきたすほど病状が悪く、まじめに飲み続けた。時間はかかったが、症状は良くなった。
そして、完全に良くなった訳でもないのに薬を飲まなくなった。理由は前回と一緒である。
記憶は定かではないが、今から1年前の時点で下血していた。下痢はしていなかった。
去年5月、父親の大腸がんが発覚。横行結腸がんで、大腸の管を突き破る間近まで大きくなってしまっていた。
6月に手術をし、今のところ転移は確認出来ていない。
そんなこともあり、僕は内視鏡を受けることにした。予約が一杯で10月になった。もちろん25000円の薬セットも処方してもらい、病状もそれほど悪くないから安心していた。
が、内視鏡の検査を待たずして病状は著しく悪化した。薬を飲み始めて悪化したのではと疑いたくなるほど、勢いよく悪化した。
頻繁に水下痢をするようになった。下血の量も明らかに増えた。腹痛もよく襲いかかってきた。トイレに間に合わないことも多くなった。
今までで一番悪い…。
仕事中を含め、生活全体に支障をきたしていた。排便回数も1日に10回近くになる。恐らく入院レベルだ。
でも、入院したら最低でも1ヶ月は出られないし、経済的にも痛い。
そこで9月は勤務日数を減らしてもらった。基本週5日だったのを週4日にした。シフトを管理している直属の上司には、病気のこと、病状のことを話した。入院レベルだが、入院したくないのでと減らす理由を伝えた。
週4日になって体は楽になった気がする。相変わらず、水下痢を頻繁にするのだが、症状は少し軽くなった。
で9月の終わりに10月のシフトの件で面談をする。
10月後半には、内視鏡の検査があるので、検査前日から、検査後まで最低3連休が必要。前回の検査では、麻酔が効きすぎて、検査した翌日に意識を取り戻したものの、更に翌日までフラフラだったこともあり、できれば4連休が欲しいと告げる。
病状の方は少し落ち着いたが、10月も週4日ペースでお願いした。
「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」
思いも寄らない言葉が返ってきた。
「仕事を長くやっていれば、責任感も出てきて、具合悪くてもそうは休まないけどね。」
更にイヤミを突きつけてきた。
この人は、病気のことも病状のことも全然理解していないと感じた。
この言葉、屈辱は今でもハッキリと覚えている。
とりあえずもう一度、入院レベルだが入院したくないのでと理由付けてお願いした。
「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」
別の日にもこう言われ、僕はこの人を今でも軽蔑している。
確かに病状が良くなっている実感があった。内視鏡の検査結果も良くはないが、ものすごく悪くないようだった。入院したくないので先生には、病状も軽く伝えた。
引き続き薬を続けようということになった。
11月から週5日ペースに戻した。病状がいいからではない。イヤミをいわれて悔しかったからである。
それが悪かった。
あれよあれよという間に病状が悪化。今年1月には、生活に耐えうる程の腹痛と下痢、出血。排便回数はゆうに10回を越えていた。
例えば排便回数12回ならば、24時間を割れば分かるが、約2時間に1回激しい腹痛が襲いトイレに駆け込むということだ。これには昼夜関係ない。寝てても約2時間に1回襲いかかってくる。まとまった睡眠がとれないのは当たり前で、かつ、夜は判断力やら体の動きが鈍い為、間に合わないことが多い。
そうなると、片付け等に膨大な時間がかかり、なおさら睡眠時間かなくなる。やっと片づけ終わって布団に入るやいなや腹痛に襲われるという最悪なパターンもよくあることだ。
診療予約が2月末だが、我慢できずに病院に行った。ステロイド剤を増量し、1週間で改善できなければ、入院となった。
1週間後。
入院が決まった。採血の結果、栄養値が下がり、貧血にもなっていた。
正直ほっとした。生きている心地のしない現実から抜けれる。これで楽になる。
こうして僕は3度目の入院になったのである。
次回は、4週間の入院治療について書きたいと思います。
【次回につづく】