樹庵のお気楽ナビ

チビデビル ルックと
天使キャラ セントの日記です。

100円ショップの無限大(∞)  1年後

2008年06月27日 | つれづれに

ちょうど1年ぐらい前に、
100円ショップで買った小さな植木(木の名前はいまだ知らず)の写真をご紹介しました。
根っこが∞みたいに曲がっているものです。

これは去年の写真。

そしてこれが現在の、あの無限大君なのです!!

まあ、立派に育ったこと!…1年ですなあ…(しみじみ)。

ちなみに無限大君の生活環境はこんなとこで…

最近、新人のくせにやけにでっかい「クルミ」君が前に突っ立っています。

クルミ!
別にクルミを食べたくて育てているわけではなくて(実はそれもあるけど)
ブログの下の方にあるように、私の守護樹がクルミだと知ったもので。
それならなんだねと思って(何だねと思って?)苗木を買ってみたわけです。

無限大君の今後も楽しみですが、クルミ君も今後がかなり期待されます。
いったい、どのくらい大きくなるってぇの、ってね。
ふふふっ。

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「わたしの旅に何をする。」

2008年06月14日 | 本と雑誌

イヴがいなくなってからの私の続き。
直後は心にぽっかり穴が開いて、前回の「めがね」に癒されました。
それからしばらくして、
今度はしばらく笑ってない自分に気がついて、思いっきり笑いたくなったのでした。

さぁ、何で笑えるっちゅうの?
テレビでお笑いを見ても、なぜそこで笑えるか!と憤慨してしまう。

…まあ私は、ひたすら地味な笑いでも求めようかねと思い、
Amazonで笑えるという評判だった
小林聡美の「ワタシは最高にツイている」を読んでみたりしたけど、
私がひねくれているせいか、ちっとも笑えなかった。
それでも、タイトルがなかなか前向きだし、
「かもめ食堂」や「めがね」のロケの時の話なんかもあったので、
読んで損したとは思わなかった。

Amazonで「ワタシは最高にツイている」を釣った時、
あちらの網こちらの網をたぐりよせていたら、
獲れたのがこの「わたしの旅に何をする。」です。
まあ偶然というか、Amazonの策略にはまったというか、
笑わせろ!という私の執念が引き寄せたというか、そんなところです。

「わたしの旅に何をする。」は、
バックパックを背負って世の果てまでも出かけて行く、
旅のためにはなんでもできちゃう著者の、
「たいした将来の見通しもなく会社を辞め、
とりあえず旅行しまくりたいと考えた浅薄なサラリーマンのその後」
を描いた、出たとこ勝負の旅エッセイ。(裏表紙より)
である。

ユーラシア大陸横断の旅の途中、パキスタンの核実験という予期せぬ邪魔が入る。
2日前に核実験のあった実験場は、バスルートから50キロ。
考え抜いたあげく、著者は飛行機で迂回するルートを選ぶ。

気持ちとしてはこのまま行きたかった。
大陸を全部陸路で横断するのが私の目的だったではないか。
だが、イランに抜けた後、体が徐々に巨大化し、
ヨーロッパに着く頃には目から光線が出たり、
ビルを踏み潰したりしていたら嫌である。
たとえ旅行中は何事もなかったとしても、
放射能の影響は後から来るので、その後何年経っても安心できない。
年老いて、ああいい人生だったなあと思う頃になって、
突然身長四十メートル、体重一万五千トン、

必殺技は強力な尻尾による攻撃、
神戸港を攻撃するが(著者は神戸の出身)、最後はスペシウム光線に倒れる、
とかいう人生もどうかと思う。(「核と私」より)

ふっふっふっと笑いがこみあげてくるのは、私が若くないから?
でも、そんなことはどうでもよいわ。
とにかくこの著者のくさいくらいの自意識が、気持ちよくなってしまう。
そして、笑うだけではなく、
読んでいる私にも、旅の醍醐味をきちんと味あわせてくれるのはなかなか…。

「火葬を深く考える」はインドの河畔での火葬を、
「鳥葬をあきらめる」ではチベットでの鳥葬を見た著者の、
可笑しくも、人の死を深く考えさせるエッセイ。

鳥葬は、死体を解体しているところから、
取り巻いていた二、三百羽のハゲワシの輪が、ジワジワと迫って来る。
そして限界に達した、大量のハゲワシが一気に肉に殺到。
鳥葬台の肉に向かって押し寄せたハゲワシによって、肉の奪い合いになる。
鳥葬台は黒山の人だかりならぬ、ハゲワシだかりで、
台に乗り切れないハゲワシがごったがえし、骨はカラコロ音を立ててころげる…。

死体は解体された後、放置され、それを時々鳥がやってきてついばみつつ、
自然の中で風化して行くのだと思っていた。
ところが実際は風化どころではなく、もみくちゃである。
まるで満員電車であり、バーゲンセールである。
目玉をくわえて飛ぶハゲワシもいなかった。
いずれ死体になる身としては、もっとのびのびと食われたい。(中略)
私は死んだら、やっぱりインドやバリ島のように外で火葬してもらいたい。

鳥葬はやめである。そのかわり、
もし火葬になった暁には、
なるべくふんばって、CO2はあまり出さないで燃える所存である。 
(「鳥葬をあきらめる」より)

その他、高野山の宿坊でちょっと怖い体験をしたこと(「高野山のへっちゃら」)や、
中国で買った日本語会話集の話(「ちょっとずそずわしますが」)、
インドでの怪しげな連中との攻防戦(「リムジンバス、それはバス」)など、

その都度必死で、
でもやっぱりどこかで何も考えてない感じの旅の行方を、いっしょに楽しんでいると、
何も人生難しく考えることはないんじゃないの?
と言われているようで、嬉しくなってしまった。
…そうだね。そうかもね。

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「めがね」

2008年06月05日 | 映画

<ちょっとあらすじ>

春先、南の島の宿「ハマダ」にやってきた、タエコ(小林聡美)。
宿の主ユージ(光石研)、島の高校教師ハルナ(市川実日子)、
そして毎年この時期この島に降り立ち、
浜辺でかき氷を売る謎の人物サクラ(もたいまさこ)たちの、
「たそがれる」姿に、最初は苛立つのだが、
いつしか波の波動、自然の波動、地球の波動の中に浸かっていく自分、
まぁ簡単に言うと癒されていく自分、に気づく。
やがて、タエコの教え子(加瀬亮)もやってくる。

樹庵的評価  ★★★★★

愛犬イヴが亡くなったのとほぼ同時に、
それまで嵐のようだった仕事がすっかり片付いて、静寂の時間がやってきました。
それまで一日は犬の散歩に始まって、
家事全般を済ませるとはや昼、という日課を15年続けてきた私が、
ベランダの植木を覗き込んだり、庭の樹をぼうーっと見るだけの午前になってしまいました。
全身から力が抜けて、座るといつの間にか寝ているのです。

そんな時、1枚のDVDがテーブルにありました。
「めがね」です。
「かもめ食堂」に続く、荻上直子監督、小林聡美、もたいまさこ出演の、この映画、
観そびれちゃったんだよねと、以前話したら、クライアントさんがくださったもの。
何も考えずに観てみました。

1回目2回目は、ただただ波の音に浸り、海風に吹かれる感じで、
気がついたらまた寝ていた…って感じでした。
「かもめ食堂」より、さらに淡々と時間が流れているのです。

タラップを降りたサクラが、ちょっとその辺に買い物に行くような格好であるのに対して、
大きな荷物の、まぁこれが普通の旅行者スタイルのタエコ。
ガラガラと畑の道で引っ張る大きなスーツケースが、この島にいかにも不似合いで、
彼女のもっている心の重さを表しています。

島には観光なんてないのです。
あるのはただ、「たそがれる」ことだけ。
「たそがれる」なんて人生の終焉を前に、
沈む夕日に身を染めて、あなたは何を想いますか?って、
そんなイメージなんですよね、私には。
それを、まだ人生の終焉には遠そうなサクラやユージやハルナは当たり前にしているし、
タエコを探してやってきた教え子君までもが「得意です。たそがれるの」なんて言う。

なぁんだかよくわからないけど、そのうち私も気持ちよくなってしまった。
この世の中で、そんな場所があるのだろうか?
経済活動はどうなっとるのかね?
なんて小賢しいことは思わなくていいんです。
美味しい魚や海老を食べて、ビールを飲んで海を見ているだけ。

そういえば樹庵も経験ありますね。
樹庵は若き頃登山をやっていまして、冬山もロッククライミングも一通りこなしました。
その樹庵が、あるとき海の見える喫茶店で人を待つことになったんです。
ぼーっと海を見ていたら、いつまでも飽きないんですな。
あれ、なんか山と違う?と思いました。
そう、山は向こうが動かないからこっちが動きたくなるんですけど、
海は向こうが動くから私は動かなくてもぜんぜん飽きないのだと、その時思いました。

こういう生き方もいいなぁ~。
いやいや、生まれて死ぬまでこういう生き方というのも、
そりゃ問題あります…と思いますけど、
人生にたまにはこういう時があっても、罰はあたらないんじゃないでしょうか。
人間は自然の一部である、とつくづく思う映画です。

映画の中で何回も登場するメルシー体操。
朝、砂浜に集まってみんなで、サクラさんオリジナルという変わった体操をいたします。
(実際は珍しいキノコ舞踏団の伊藤千枝さんの振り付けのようです)
これがね、妙に心に残るんですよ。
DVDのカバーの写真、これがそうです。
是非機会があったら全部知りたい。(3枚セットを買うとついてくるそうですよ)
しかしね、この体操が似合うのは、やはりこの砂浜ではないでしょうかね。

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イヴたん 永遠に

2008年06月04日 | ペット

半年ぶりにブログを書きます。

このブログで、たった1回だけご紹介した
樹庵の愛犬イヴが2008年4月23日に天国に旅立ちました。
イヴは1ヵ月に渡る闘病生活でした。
下痢と吐きを繰り返し、食べることもできず、点滴だけで生きたイヴに、
最後はこれ以上頑張れとは言えませんでした。

このブログは、基本的にはペットのブログではなく、
ペットも出て来るブログにしようと思っていたので、
ついつい控えめなイヴを置き去りにしてしまったようで、
今となっては後悔の念でいっぱいです。

3年前までは、イヴの先代のゴールデンレトリバー親子のホームページがありました。
彼女と彼が次々にがんで亡くなった時に、
ゴールデン親子が私に託したとしか思えないようなタイミングで
イヴがやってきたのでした。
だからホームページもそのまま続きました。
でも、引越しでプロバイダを変えた時に、誤って文字データを全部消してしまい、
今では写真しか残っていません。
がんで死んだゴールデン達も、それぞれにつらい思いが残りましたが、
イヴは、私がこんな時期で気持ちも落ち込んでいる時が多かったから、
よけいにかわいそうだったと思ってしまいます。

イヴは、おとなしくただじっと、私が振り向いてくれるのを待っているけなげな子でした。
イヴが亡くなってから、思い出すのは私がしんどかった時のことばかりで、
机に向かっている私の後ろで、
手足をなめたり眠ったりしてじっとそばにいるイヴのことしか浮かびませんでした。
でも、友達は、書類手渡しのためクルマで我が家を訪れると
いつでもイヴを抱いてマンションの外に出てきた私のことや、
遊びに来てくれた友達の前で、
ひたすら私の後ろを追いかけているイヴのことを思い出すようでした。
考えてみれば、イヴともそれなりに楽しい散歩のひと時や、
田舎へのドライブ帰省がありました。
助手席でシートベルトをしておとなしく乗っていたイヴ、
田舎で私の父や弟に可愛がられたイヴ…。

でもね、それは考えてみればであって、
やっぱり私にはもっともつらい時期を共にさせてしまった後悔ばかりが残ります。
お通夜で、点滴による薬漬けになっていたせいか、
死後硬直のないイヴを2時間ほど抱っこして、私は謝りました。
これから楽しくやろうねって思っていたのに…。

あ~あ…、でも、来週は四十九日が来るのです。
我が家にも新しいわんが来るのです。

イヴちゃん、
あちらでゴールデン親子と仲良くやっているようで、お母さんは嬉しいです。
40キロのクリス<くり君>(息子)、30キロのテオ<ておりん>(母親)、
そして10キロのイヴ<イヴたん>が、
光の中を並んで歩いているような気がします。
みんな私の子供です。

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「偶然のチカラ」

2008年06月01日 | 本と雑誌

偶然…実は、河合隼雄氏の著書には、この言葉が頻繁に出て来る。

(箱庭療法で作られた絵は)僕が撮ります。
一番大事な絵の時に、写ってないとか。本当に不思議なことがよく起こる。
それからひじょうに不可解な光がパーッと入ったり。
まあ、要するに僕らの仕事は偶然がすごく大事なんです。   ブッダの夢

私は、生きている人がいろいろ悩んでおられるのに会っているわけです。
もうほんとうに八方塞がりの状態になって困ったという時に、
ものすごく面白い偶然なことが起こって解決することが多いんです。
その偶然は、別に僕が注文したわけでもないし、その人が考えたわけじゃない。
でも、それによって変わっていく。みんながだめだと思った時に反転するときがあるんです。

(中略) ある一人の貧しい人が、非常に困って自殺しようとしました。
そして橋から飛び降りて、
水の中で溺れる者は藁をもつかむでパッと手をのばしたら一千万の札束がありました。(笑)
みんな、そんなの読む気なくなる。それは意識の浅いところで考えている偶然なんです。
もっと深いところに降りて行った偶然とは違うんです。
ここで摑んだ偶然は内的必然性を感じさせる。それが勝負だと思います。    
こころの声を聴く(村上春樹との対談)

僕は時々冗談半分で、「あなたは絶対に治らないだろう」と患者さんに言う。
しかし、「偶然ということがあるから、僕はそれにかけているからやりましょう」という。
そして実際にそうなるんです。
僕は何をしているかというと偶然待ちの商売をしているのです。
みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。
僕は治そうとなんかせずに、ただずっと偶然を待っているんです。

村上 でも、偶然を待つというのはつらいですよね。
河合 そりゃつらいですよ、なにもしないんだから。
待っていて、うまいこと偶然が起こったら、
その時にはやはりパッパッとがんばらなくてはいけないんですけれどもね。    
村上春樹、河合隼雄に会いにいく

すべては必然です~
ということは、スピリチュアルに興味があれば、誰でもよく聞くと思うし、
まあ、そうかなと思えばそうかなとも思えたりするし、
第一そう思うことって、ある意味とっても楽。
自分の歩いて来た道を思い起こし(特にこの約3年間の低迷期を考えながら)、
ああ、それも必然ね、などと納得するのは
どこかでAha!と思えたりしてけっこう楽しく、その一言で片付けられる。

だから、必然という言葉に魅力を感じ、
偶然などというものはまるっきり軽く扱ってきたような気もする私にとって、
河合先生のおっしゃる偶然が、とても新鮮だった。

そこで、また例によって非常に短絡的に、こう考えてみた。
(河合先生ごめんなさい。先生のおっしゃる偶然とはだいぶ意味が違うような気がします。)

じゃ、なにかえ?この世に必然はないとしよう。
この大宇宙が出来たのも偶然なら、地球という星が生まれ、そこに生物が生まれ、
人間が出現し、文明が発展し…そういうのがすべて偶然の産物だったとしたら…。
今ここでパソコンを打っている私という人間も、
偶然この世に生まれ、まあこうして偶然ここにいるとしたら…。

それでも偶然は、重なり合うとある意味を持つもので、
それは必然と呼ばずにはいられないものになるわけですが、
…けれども、ひとつひとつを取れば、やはりそれは偶然でしかないとしたら…。

あ~、すべては必然です~と同じくらいAha!だし、
あるいはそれ以上に楽になる~~~。

低迷の3年間?なぁによ、そんなの。たまたま調子悪かっただけじゃないのぉ?
それを、妙に、誰かに何かに気づけっていわれているような気がする
とかなんとか勿体つけて、ばかだね。
何をそんなに重たく考えんのさ?仕事が少なかったら、
たまたま少ないんですけどーって営業すりゃいいんじゃん。
……ああ、身体が軽くなる~~。

きっと極端なんですよ。モノの考え方が、私はね。しかし、「逆も真なり」かもしれない。

そうそう、そこでこの「偶然のチカラ」を読んでみたというわけです。

読後の感想は、
うーん、またわからなくなりそう……。
(いやぁ~人生、いつまでたっても悟ることはできないですなぁ)

インデックスをご紹介しておきますわ。

1 自分で選択するべからず 
2 世の中にはどうにもならないこともある 
3 自分の身に起こったことはすべて必然と考える 
4 たかが確率、されど確率  
5 思いは全部どこかでつながっている 
6 いい流れには黙って従う 
7 すべてはなるようになる

この本の紹介になっているとは思えないブログでした。

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