樹庵のお気楽ナビ

チビデビル ルックと
天使キャラ セントの日記です。

「こころの声を聴く」

2007年11月29日 | 本と雑誌

1ヶ月半ぶりのブログです。

前回の次に見たレンタルDVDが、自分で選んでおきながらとてつもなくつまらなくて、
ザーッと早送りで見て終わってしまったので、感想が書けませんでした。
また借りようと思いながら、今度は仕事がちょいと忙しくて、借りそびれました。
そして先週、新しいDVDが来たのですが…なんでしょうか、見る意欲がございません。
15分ほど見て、止めたらそのままになってしまいました。
もう1枚は、なぜこれを借りようとしたのかもわからないほどです。
どうも、今、自分が映像を見るのが面白くない時期にあるようです。

でも、本は読みました。

読み終えた本:
ブッダの夢(河合隼雄・中沢新一)
こころの声を聴く-河合隼雄対話集(河合隼雄)
カンガルー・ノート(安部公房)
村上春樹、河合隼雄に会いに行く(河合隼雄・村上春樹)
大人のしくみ(ビル・バーナード)  

読みかけの本:
影の現象学(河合隼雄)
免疫の意味論(多田富雄) 

次に控えている本:
生きていくのに大切な言葉-吉本隆明74語(勢古浩爾)
精霊の王(中沢新一)
梅原猛の授業-仏教(梅原猛)
梅原猛の授業-道徳(梅原猛)

読み終えた本に印象的な言葉がありました。
 「こころの声を聴く」で河合隼雄氏は山田太一、安部公房、谷川俊太郎、
白洲正子、沢村貞子、遠藤周作、多田富雄、
富岡妙子、村上春樹、毛利子来の各氏と対話していますが、
その中の、村上春樹氏とプリンストン大学のホールで行った対談です。

その話題は、意識ということについて。
意識というものにはどうも層がある。一番浅い層は日常生活に直結している。
もっと深いところの意識の層を体験するのは夢で、
夢の中ではよくあることだが、日常レベルでは区別がつけられていたことが曖昧になる。
もっと深く行くともっと曖昧になる。
こういうことを組織的に、意図的に洗練して行ったひとつが仏教だと河合氏はいう。
そして、仏教的に言うと、意識の下の層をどんどん進めば、
最後は存在としか言いようがないと。

存在が存在しているんだけれども、名前は何もない。
ところが、この存在が日常レベルの世界へ姿を現してくると、
例えばこの時計を時計であると僕らは言っているわけですが、
時計も、私も村上さんもずーっと下へ行けば行くほど
ものすごくつながってくるんですね。(中略)
井筒俊彦という先生が面白いことを言っておられる。
われわれは、例えばコップが存在するというふうに言っているけれども、
ほんとうはそうじゃなくて
存在がコップしているというのが一番ぴったり来ると言われるんですね。
そういうふうに考える。……ここで存在が河合やってる、
ここで存在が村上やってるというと、
非常に近寄るものがある。

私は、途方もない宇宙空間に漂っている自分の意識を、よくイメージします。
それはこのブログの最初の方で書いた
光瀬龍著「百億の昼と千億の夜」 の影響もあります。
その空間は、無数の星が生まれ、輝き、死んでいく音もない空間です。
私は確かにそこに漂っているのですが、もちろん姿はありません。
あるのは意識だけです。
そしてそこでは、死んでしまった私の愛するものを感じ取ることができます。
ああ、いるなと思う。
でも、その意識すらも、だんだん消えてしまうのだろうなと感じている。
ただ、それが存在というなら存在は確かにあるなと。
今は存在は私をしてる。存在が愛犬を、家族を、友人を、庭の木をしている。

もし、興味のある方は、読んでみてください。

コメント
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