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震災から7か月たった石巻市 ①

   


10月も半ばを過ぎました。

秋の日はつるべ落とし・・・

4時過ぎるとあっという間に夕ぐれになってしまいます。

コスモスが夕日に照らされて、

少し、もの悲しい・・・



 



10月11日
震災から丁度7か月経った日、
仕事に行く夫とスタッフの車に乗せてもらい
第二の故郷、石巻に行ってきました。

車で約2時間、仙台から石巻に向かう三陸高速道は綺麗に整備され
震災の傷跡は全くと言っていいほど、感じられません。

高速から下りたら、そこは
大型店が立ち並ぶ震災前と変わらぬ街並みでした。

でも・・・

旧市内の方に車が進むうち
その様子はガラリと変わりました。

大きな船や車が重なりあっていたあの光景は全くありませんが
ほとんどの商店街は閉じられたままです。

其の日、私は日和山に住む叔母の家に寄せてもらい、夫は仕事の準備に
出かけました。

3時すぎ、仕事が終えた従兄弟が、被害の大きかった濱地区を案内してくれました。

叔母の家から2,3分歩いた所から撮った
今の浜地区の様子です。



従妹のemikoさんの家は、右手のアパートのような建物付近にあって、
地震のあと、何も持たずにすぐに逃げて、家族全員無事でしたが、
家も貸家も全部流されてしまいました。

今はemikoさんのお母様が住む古い実家に身を寄せています。
私にとっても、その日和山の家は、よく泊まらせてもらった懐かしい家なのですが、
今回の地震で壊れることもなく無事でした。



ガレキの山が見えます。そしてその隣には車が山積になっています。



遠くに見える大きな建物が、石巻市立病院、そしてその奥が
石巻文化センター、


もう一人の従妹、yosieさんは、実の母親である叔母と一緒に日和山に住んでいます。
いつもは、仕事で町中を車で走ってるのに、あの日はたまたま娘さんとお孫さんが遊びに来ていて、
運よく皆な、日和山の家にいて無事だったのです。


震災の日、私が写真を撮った位置から、津波が襲ってくるのを見ていたそうですが、

空が暗くなり、真黒な波が押し寄せてきた時は、まるで夢を見てるようで、
現実のものとして受け止められなかったそうです。

そして、そのあと、
あちこちから火が上がり、
左に見える小学校の建物にも火が移ったそうで、
叔母の家も危ないからと
叔母とyosieさん一家は避難場所に移り、雪がちらつく寒い日、
避難場所で一夜を過ごしてきたそうです。

87歳になる叔母は、元気そうにしてましたが
かなり痩せて、未だに食欲がないと言ってました。

火災から運よく逃れた、叔母とyosieさん一家が住む家です。
かなり大きく揺れたそうですが
外壁にひび一つ入ってなく、
日和山の地盤の強さを感じます。




それから、山を降りて、石巻漁港に向かいました。







無残な姿の建物が残っているだけで、
人一人、見かけませんでした。

賑わってた石巻港が・・・と、切ない思いになりました。


そこから、被害の大きかった濱町の方に移動しました。

そして、その日見た夕暮の空は茜色・・・



山際に少し残った家に灯りがともり始めました。



この場所には、沢山の家が建っていて、
仕事の帰りにいつも立ち寄ったラーメン屋さんがありました。

そこの海老ラーメンがとっても美味しかったのです。

ラーメン屋さんのご夫妻は、津波が襲って来た時、日和山に向かって二人で逃げたそうですが、
山際まできた時、津波に襲われ、手を差し伸べたご主人の手につかまれず、
奥様は、津波にさらわれたそうです。



地盤沈下した所にできた水たまりに
綺麗な茜色の夕焼けが映し出されていました。

いろんな辛い話を聞いた後に見たこの美しい夕焼け、

言葉もなく、従兄弟とただ立ち尽くすだけでした。


石巻は、これからどういう街づくりをしていくのでしょう。


それにしても、行政の対応が遅過ぎる…という声を
あちこちで聞きました。





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