蔵造りの中町商店街
松本市は400年に及ぶ城下町で、中町通りは松本六万石の商人の街として古くから大勢の人たちで賑わいをみせ、また、善光寺街道を旅する人たちも多く通った街です。
中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られ、その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。特に明治21年1月、極楽寺から出火した火は本町、中町周辺の町人町のほとんどを焼きつくし、約1500戸を消失したと言われています。この大火を機会に、商品を火災から守るため、多くの商家が再建にあたって、土蔵造りの建物を建てました。現在の中町は民芸・工芸などの店が集まり、松本でも一種独特の町並みをつくっています。
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松本市は400年に及ぶ城下町で、中町通りは松本六万石の商人の街として古くから大勢の人たちで賑わいをみせ、また、善光寺街道を旅する人たちも多く通った街です。
中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られ、その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。特に明治21年1月、極楽寺から出火した火は本町、中町周辺の町人町のほとんどを焼きつくし、約1500戸を消失したと言われています。この大火を機会に、商品を火災から守るため、多くの商家が再建にあたって、土蔵造りの建物を建てました。現在の中町は民芸・工芸などの店が集まり、松本でも一種独特の町並みをつくっています。
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