著者:モンゴメリ 出版社:角川文庫(740円税別)
訳者:谷口由美子
評者:江國香織 毎日新聞 2009年4月5日朝刊
サブタイトル:絶望的でロマンティックな独身女性の決意
※ この書評の原文は、こちらで読めます。
頭を、抱えてしまった。
書評を読めども、作品がちっとも頭に入ってこないのだ。
もっと言い方を変えれば、評者が感嘆した部分に全く共感できないのだ。
いったい、この本のどこが評者がそれほどに言うまでに面白いのか、
僕にはさっぱり分からない。
評者の表現が悪いのか?
(現役ベストセラー作家でもある氏のことなので、まずは無いだろう)
僕の読解力が無いのか?
(悲しいかな、これは可能性があるかも知れない)
まさか、元本があまりにも陳腐なのを揶揄(所謂褒め殺しね)するために、
評者が書評の対象として選んだ、とまで考えるのは、流石にうがちすぎ
だろうから、ここは素直に僕のせいだとしておこう。
それにしても…。
冒頭で、評者がまとめている元本の梗概。
余命一年のオールドミスが、自分自身の死を通して自分自身を
見つめ直すことで、真の人生に目覚めていく。というもの。
これだけを取れば、ああ、よくあるパターンね。という形である。
様々なジャンルで、創作活動が既にパターンは出尽くしてしまい、
後に残るのはバリエーションだけだ、とする論評をよく耳にするが、
こうした展開を紹介されれば、それもまたむべなるかな、と思って
しまう。
ここまでは、評者も僕も、同じ意見。
評者は、その粗筋から来る印象に反して、著者の文章の持つ奥行きの
深さが、この作品の魅力を多層的なものにしていると分析する。
これもまぁ、読んでいない以上、そうなのか、と思うだけで、まだ
作品の魅力が判らないと嘆息するほどのものではない。
だが。
そうした、本書の大きな特徴となる多層構造の例として、評者が示して
いる文章が、全く僕の心に響いてこないのだ。
そもそも、主人公が結婚という呪縛から解き放たれようと、結婚という
選択肢を選ぶという逆接。
これも、構図としてはどこかで見たような気がする、という感じがして、
評者が!(クォーテーションマーク)をつけてまで力説するような意外性に
満ちているという主張には、素直に首肯できない。
主人公の相手の男性が、主人公に対して投げた言葉もまた然りである。
主人公を好きと思ったことは無い。でも、かわいい人”だとは”
思っていた、と述懐する男性の台詞を取り上げて、評者は”だと”
ではなく”だとは”という言葉を用いた著者の言語感覚を褒め称え、
胸打たれるとする。
「かわいい人だと思っていた」
こうであれば、男性もまた主人公を憎からず思っていた証となる。
でも。
「かわいい人だとは思っていた」
これだと、精々がちょっと可愛い人がいるな、でもそれ止まりだよな、
くらいのぼやけた評価となるであろう。
勿論、前後の文脈により、随分と捉え方は異なってくるが、
読みようによってはもっと辛らつな、後ろに反語が接続されて、
でも性格は…というような話の展開にもなりかねない。
いずれにせよ、これから結婚しようとする相手に対する言葉としては、
実に不穏当な表現に思えるが、評者によれば、胸打たれるとのことなので、
それまでに積み重ねてきた何かが、その表現を持ってそう感じさせる
のだと思うより外に無い。
だが、その何かが判らない以上、評者がこの言葉が大好きだとまで
いうその気持ちに、こちらとしてはシンクロ出来無いのだ。
更に、男性の言葉に対する主人公の台詞。
「結婚しているなんて忘れて、夫婦でないようにしゃべりましょうよ」
この台詞に対する評者の手放しの絶賛振りは、その思いをそのまま
引用することでしか伝えられないだろう。
『こんなに軽くて深い、暗くて楽天的な、絶望的でロマンティックな
セリフもない。
モンゴメリはおそろしいのだ。』
この部分となると、もう絶望的に僕には分からない。
主人公は、結婚というスキームを拒否し、そこから自由になるためにこそ
結婚したのではなかったのか?
であれば、結婚生活ではなく同居生活のようなものなのだから、
上記の台詞は出るべくして出る、ということになる。
勿論、主人公が実は結婚に憧れていて、実は男性のことも大好きで、
でも余命一年と判ってしまっている現状を考えれば、相手の心に負担を
かけないためにも、そして自分も軽やかに、自由になるんだと思い込む
ためにも、結婚なんて形だけのもの!と言い切ったのであれば、そうした
思いを振り払うように語ったこの台詞が、涙なくしては読めなかったという
ことも、まぁ判らないでもない。
でも、それにしたって少女マンガなんかではよくあるような構図と思うし、
そこまで評者が肩入れする感覚が、まるでピンとこないことに、僕としては
戸惑いを禁じえない。
これは、皮肉でもなんでもなく、吐露するのだが…。
江國香織様
貴方のこの作品に対する思い入れが深いのはよく判りましたが、
出来れば後一歩引いていただいて、元本の魅力を未読の者にも
判るように書評ではお伝え下さい。
貴方が元本に膝詰めせんばかりに近寄られているがために、
読み手にとってはひび割れた皮膚は見えても象の全景が判らない
ようなことが起こってしまっているのではと思えるのです。
嘆息と共に、ペンを置く。
(この稿、了)
訳者:谷口由美子
評者:江國香織 毎日新聞 2009年4月5日朝刊
サブタイトル:絶望的でロマンティックな独身女性の決意
※ この書評の原文は、こちらで読めます。
頭を、抱えてしまった。
書評を読めども、作品がちっとも頭に入ってこないのだ。
もっと言い方を変えれば、評者が感嘆した部分に全く共感できないのだ。
いったい、この本のどこが評者がそれほどに言うまでに面白いのか、
僕にはさっぱり分からない。
評者の表現が悪いのか?
(現役ベストセラー作家でもある氏のことなので、まずは無いだろう)
僕の読解力が無いのか?
(悲しいかな、これは可能性があるかも知れない)
まさか、元本があまりにも陳腐なのを揶揄(所謂褒め殺しね)するために、
評者が書評の対象として選んだ、とまで考えるのは、流石にうがちすぎ
だろうから、ここは素直に僕のせいだとしておこう。
それにしても…。
冒頭で、評者がまとめている元本の梗概。
余命一年のオールドミスが、自分自身の死を通して自分自身を
見つめ直すことで、真の人生に目覚めていく。というもの。
これだけを取れば、ああ、よくあるパターンね。という形である。
様々なジャンルで、創作活動が既にパターンは出尽くしてしまい、
後に残るのはバリエーションだけだ、とする論評をよく耳にするが、
こうした展開を紹介されれば、それもまたむべなるかな、と思って
しまう。
ここまでは、評者も僕も、同じ意見。
評者は、その粗筋から来る印象に反して、著者の文章の持つ奥行きの
深さが、この作品の魅力を多層的なものにしていると分析する。
これもまぁ、読んでいない以上、そうなのか、と思うだけで、まだ
作品の魅力が判らないと嘆息するほどのものではない。
だが。
そうした、本書の大きな特徴となる多層構造の例として、評者が示して
いる文章が、全く僕の心に響いてこないのだ。
そもそも、主人公が結婚という呪縛から解き放たれようと、結婚という
選択肢を選ぶという逆接。
これも、構図としてはどこかで見たような気がする、という感じがして、
評者が!(クォーテーションマーク)をつけてまで力説するような意外性に
満ちているという主張には、素直に首肯できない。
主人公の相手の男性が、主人公に対して投げた言葉もまた然りである。
主人公を好きと思ったことは無い。でも、かわいい人”だとは”
思っていた、と述懐する男性の台詞を取り上げて、評者は”だと”
ではなく”だとは”という言葉を用いた著者の言語感覚を褒め称え、
胸打たれるとする。
「かわいい人だと思っていた」
こうであれば、男性もまた主人公を憎からず思っていた証となる。
でも。
「かわいい人だとは思っていた」
これだと、精々がちょっと可愛い人がいるな、でもそれ止まりだよな、
くらいのぼやけた評価となるであろう。
勿論、前後の文脈により、随分と捉え方は異なってくるが、
読みようによってはもっと辛らつな、後ろに反語が接続されて、
でも性格は…というような話の展開にもなりかねない。
いずれにせよ、これから結婚しようとする相手に対する言葉としては、
実に不穏当な表現に思えるが、評者によれば、胸打たれるとのことなので、
それまでに積み重ねてきた何かが、その表現を持ってそう感じさせる
のだと思うより外に無い。
だが、その何かが判らない以上、評者がこの言葉が大好きだとまで
いうその気持ちに、こちらとしてはシンクロ出来無いのだ。
更に、男性の言葉に対する主人公の台詞。
「結婚しているなんて忘れて、夫婦でないようにしゃべりましょうよ」
この台詞に対する評者の手放しの絶賛振りは、その思いをそのまま
引用することでしか伝えられないだろう。
『こんなに軽くて深い、暗くて楽天的な、絶望的でロマンティックな
セリフもない。
モンゴメリはおそろしいのだ。』
この部分となると、もう絶望的に僕には分からない。
主人公は、結婚というスキームを拒否し、そこから自由になるためにこそ
結婚したのではなかったのか?
であれば、結婚生活ではなく同居生活のようなものなのだから、
上記の台詞は出るべくして出る、ということになる。
勿論、主人公が実は結婚に憧れていて、実は男性のことも大好きで、
でも余命一年と判ってしまっている現状を考えれば、相手の心に負担を
かけないためにも、そして自分も軽やかに、自由になるんだと思い込む
ためにも、結婚なんて形だけのもの!と言い切ったのであれば、そうした
思いを振り払うように語ったこの台詞が、涙なくしては読めなかったという
ことも、まぁ判らないでもない。
でも、それにしたって少女マンガなんかではよくあるような構図と思うし、
そこまで評者が肩入れする感覚が、まるでピンとこないことに、僕としては
戸惑いを禁じえない。
これは、皮肉でもなんでもなく、吐露するのだが…。
江國香織様
貴方のこの作品に対する思い入れが深いのはよく判りましたが、
出来れば後一歩引いていただいて、元本の魅力を未読の者にも
判るように書評ではお伝え下さい。
貴方が元本に膝詰めせんばかりに近寄られているがために、
読み手にとってはひび割れた皮膚は見えても象の全景が判らない
ようなことが起こってしまっているのではと思えるのです。
嘆息と共に、ペンを置く。
(この稿、了)
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一つぐらいそんなのが有ったからって、気にしない。
江國さんは、ちゃんと伝えているのよきっと(読みもせず言うのもなんですが)
PS
みればモンゴメリって赤毛のアンの作者じゃないですか、元本をよんでみればどう?
うーん。一つとは、言い難いのです。
数多ある書評や本の中から気になるものをピックアップしているのがこのブログ。
である以上、この書評にもどこか引っかかりは感じているのです。
それが、きちんと伝わってこない、そのことに対するストレスなのかな。たぶん。
ご指摘のとおり、モンゴメリは赤毛のアンの人。
なので、いつか元本も読んでみたいなぁ。