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目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

死刑制度について ~某大学准教授との対話から(上編)

2008-08-24 01:49:15 | Weblog
今週、高野山で行われた人権セミナー。
このセミナーは、今年で第39回を迎える歴史あるものであり、参加者も
今年は2000人に及ぶ、と言う。
(スタッフを入れると、更に数百人が+される)

このセミナーの特徴として、三日間の中でセミナープログラムが1~4本
同時進行で実施され、参加者は自由に自分が聴講したいセミナーを選んで
参加できる、という大学の授業形式を採用していることが挙げられる。

どのセミナーも、興味深い内容を含んでおり、選択には正直結構迷ったが、
そんな中で受講した人権教育に関するセミナー。

そのセミナーを受講している中で、裁判員制度の話から端を発して講師の
方が言われた「私は死刑制度には反対です。」の一言が、僕の心には
しっかりと残ってしまった。

まあ今色々と、この問題については文献を読み漁りつつあるところだから、
タイムリーに僕の知的好奇心のスイートスポットにヒットした、という
ことである。

本筋とは異なるため、セミナー内では特にそれ以上触れられることも無く、
本来の内容に立ち返られてしまわれたが、僕としては是非どういった理由で
反対なのかを伺いたく、質疑応答の時間を利用して尋ねてみることにした。

#セミナー本来の趣旨に関する質問なので、悪いかなとは思ったが、一応は
 セミナー内で語られた内容に関することだし、ね。

なぜ、死刑制度に反対なのか?という僕の問いに対して、講師の方の答えは
明確だった。

曰く、
「日本の死刑の密室性に問題があると、私は考えている。死刑を実際に
 執行するのは刑務官であり、一般市民は立会いはおろか、何時誰が処刑された
 のかについてさえ、近来になって漸く政府発表があるようになったところで
 ある。

 そうした日本の死刑制度の密室性は、死刑の残酷さを市民に知らしめない
 というマイナス要素が大きい。

 一方、過剰なまでに為される被害者報道による、一種のポピュリズムにも
 似た懲罰感情は、高まりこそすれ、冷静な判断を市民にさせるには程遠い
 のが実情である。

 こうした状況下においては、死刑の残虐さや人が人を殺すことへの問題点
 もオープンになることはない。

 アメリカの一部州のように、死刑をオープンにするとか、処刑の執行を 
 裁判員のように市民が実施するようにすれば、もっとこの問題について
 きちんと議論も出来るようになるはずであるが、そうした環境に無い
 今の日本においては、私は死刑には反対せざるを得ない。」


大分と僕なりの補足も入れ込んだが、講師の先生が仰りたかった趣旨は、
概ねこのようなものだと理解した。


この意見について、どう考えるか。


(悩みつつ、後編へ続く)

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