活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

創造の風景 装丁(倉本修さん)

2008-08-22 19:28:53 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 8月15日(金)夕刊 11面 文化・芸能より 記:中村 一成

本の装丁という仕事は、酷く不遇なように僕には思える。

まず、それが無くては本が本の体を成さないという重要な意味を持ちながら、
脚光を浴びることはまず無い。

著者以外で、本に関わる職業で脚光を浴びるとすれば、精々が編集者位な
ものである。

その他、校正やカメラ、印刷、流通、小売等々、並べ挙げていくと、数え
切れないほどの人の手が、一冊の本を上梓するまでに携わっていることが
分かるが、それらにスポットライトが当たることはまず無い。

数少ない例外として、書店販売員(正確には副店長)の木下氏による、
「白い犬とワルツを」伝説(@福島稔氏)がある。
これは、木下氏が発売後3年が経過した文庫本に自作POPをつけたことが
きっかけとなって、4ヶ月で1300冊を売り上げ、全国的なベストセラー
を巻き起こしたことであるが、こうした事例はかなりレアなケースと
云えよう。

#現在、週刊バンチで女性書店員によるお勧め本の紹介コラムが連載されて
 いるが、これもその稀有な例の一つといえるかもしれない(笑)。

偉そうに描いている僕にしても、以前このブログでアーロン・エロキンズの
著作の装丁について取り上げたことはあったが、普段は全く意識しない。

本、という存在にあって、装丁はその第一印象を左右するという大きな
役割を持ちながら、常に空気のような存在である装丁。

人は、書店で本を手に取ったとき、まず著者名は確認するだろう。
奇特な人がいたとしても、精々表紙の折り返し裏のカバーイラストや写真の
作者を見るまでである。
奥付き近辺にある装丁者まで見る人は、殆どいないと思われる。

今回の『創造の風景』は、そんな装丁者についてである。


まず意外だったのは、そのスピード感である。
なんと、依頼を受けてから締め切りまでが、平均して2週間程度という速さ
である。

『たった…それだけ?』

と、思わず呟きたくなる様な短期間である。

この時間の中で、倉本氏は装丁を仕上げるべく、本を読み、編集者への
取材を行い、作品イメージを構築していく。

面白いのは、本は読まない場合もある、と氏が言い切っていたことである。

『タイトルや内容が限定するイメージを打ち破るのが装丁。』

というのがその理由であるが、このことからも、装丁が著作物の単なる添え物
では無く、それと対を成す一つの作品として、本来看做されるべきであると、
氏の中で位置付けられていることが、よく分かる。

作品のイメージを打ち破るといっても、無定見と天衣無縫とは似て非なるもの
である。

よい装丁は、著作品世界をいい意味で裏切り、更に高みへと読者を導くための
インターフェースとして、作品世界をがっしりと支える力を持つ。

氏は、自ら装丁した本が完成後、刷り上った本を初めて熟読する、という。

そこで、自らの創造物たる装丁が、作品世界としっかりと噛み合っていれば由。
もし空回りだったと認めざるを得ないときは…。

氏曰く、『違ってた』と思ったときは、自棄酒を呷るそうである。

ちなみに、氏がこれまで生み出した装丁は、3000作品以上。時間にして
30年以上とか。

それほどの時間と労力の傾注を重ねても、『逆転満塁ホームランのような
会心作はまだない』という氏のコメントを読んだ時、僕は種田山頭火のあの
有名な俳句を思い出していた。

 「分け入つても 分け入つても 青い山」

敬意とは、こういう人に対して持つべきなのであろう。


(この稿、了)

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