毎日新聞 2009年5月15日 夕刊3面ワイドより
新幸福論 生き方再発見
サブタイトル:同じ感情を共有したい
弘法筆を選ばず、という言葉がある。
その一方で、弘法にも筆の誤り、という言葉もある。
ズオー大帝の境地には遠く及ばない僕としては、世の中が
そう単純な二元論で出来ているとは思えないので、どちらも
正解というところが落ち着きどころだろう。
ただ、そうしたレベルを遥かに凌駕した領域を、道具に求める
次元に生きている人たちもいる。
今回のインタビュー記事の主人公の千住真理子氏も、そうした
世界に生きる人である。
そうでなければ、バイオリン(に拠らず、自己実現のツールに
といってもいい)に3億円も注ぎ込める道理もない。
※ 金額は、推定。彼女が2002年にストラディバリウスの
「デュランティ」を入手したときのもの。
元は、ローマ法王に献上されたものらしい。
誤解の無いように敢えて言及するが、千住氏がそうした高額の
道具を入手したことをどうこう言っているのでは断じてない。
それだけの思い入れを持つことが出来る対象を持っている人、
というよりも、それだけの強いパッションを持っている人が
いるのだ、ということに、素直に感動してのコメントである。
人生の9割以上を、バイオリンに割いている。
そこまで言い切れる彼女だからこそ、到達出来る境地なのだろう。
少し過激な意見になるが、今読んでいる「下流社会 新たな
階層集団の出現」三浦展著 光文社新書 によれば、自らを
下流社会に属していると定義する層の方が、自分らしさを
追い求める傾向にあるのだとか。
自分らしく生きることが、自己実現を訴求することに繋がって
いればいいが、自然体=楽に生きることとなってしまっている
ケースが多い、と著者は主張する。
もちろんそれは、社会構造の変化等の要因もあっての話であり、
そのことだけをもってそうした人たちを詰るような簡単な話
でもないだろうが、少なくとも千住氏がこのバイオリンを手に
入れようと決意したときのような、人生の全てを賭けて対峙
するような、そんなひりついた感覚を、殆どの人は持ち得ない
ままに、人生を終えてしまうのではないか?
そう。「あしたのジョー2」の中で、ジョーが語ったあの台詞
のように。
「青春を謳歌するってこととはちょいと違うかも知れねえが、
俺は俺なりに、今まで燃えるような充実感を何度も味わって
きたよ。血だらけのリングの上でさ・・・。
ぶすぶすとそこいらにある見てくれだけの、不完全燃焼とは
訳が違う。ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え
上がるんだ。
そして・・・あとには真っ白な灰だけが残る。」
そして、妻も子も、生活の基盤も全て振り捨てて、放浪と俳諧の
世界へと堕ちていった山頭火のように。
「分け入っても分け入っても青い山」
そして、その境地に彼女も足を踏み入れたことで、彼女が、
引いては彼女の演奏に触れた人たちが、喜びを享受できるので
あれば、彼女の決断も報われるというものである。
後半では、そんな彼女が、自身のバイオリン人生を振り返り
ながら、サブタイトルにある境地に至ったインタビューを
読んでいきたいと思う。
(この稿、続く)
新幸福論 生き方再発見
サブタイトル:同じ感情を共有したい
弘法筆を選ばず、という言葉がある。
その一方で、弘法にも筆の誤り、という言葉もある。
ズオー大帝の境地には遠く及ばない僕としては、世の中が
そう単純な二元論で出来ているとは思えないので、どちらも
正解というところが落ち着きどころだろう。
ただ、そうしたレベルを遥かに凌駕した領域を、道具に求める
次元に生きている人たちもいる。
今回のインタビュー記事の主人公の千住真理子氏も、そうした
世界に生きる人である。
そうでなければ、バイオリン(に拠らず、自己実現のツールに
といってもいい)に3億円も注ぎ込める道理もない。
※ 金額は、推定。彼女が2002年にストラディバリウスの
「デュランティ」を入手したときのもの。
元は、ローマ法王に献上されたものらしい。
誤解の無いように敢えて言及するが、千住氏がそうした高額の
道具を入手したことをどうこう言っているのでは断じてない。
それだけの思い入れを持つことが出来る対象を持っている人、
というよりも、それだけの強いパッションを持っている人が
いるのだ、ということに、素直に感動してのコメントである。
人生の9割以上を、バイオリンに割いている。
そこまで言い切れる彼女だからこそ、到達出来る境地なのだろう。
少し過激な意見になるが、今読んでいる「下流社会 新たな
階層集団の出現」三浦展著 光文社新書 によれば、自らを
下流社会に属していると定義する層の方が、自分らしさを
追い求める傾向にあるのだとか。
自分らしく生きることが、自己実現を訴求することに繋がって
いればいいが、自然体=楽に生きることとなってしまっている
ケースが多い、と著者は主張する。
もちろんそれは、社会構造の変化等の要因もあっての話であり、
そのことだけをもってそうした人たちを詰るような簡単な話
でもないだろうが、少なくとも千住氏がこのバイオリンを手に
入れようと決意したときのような、人生の全てを賭けて対峙
するような、そんなひりついた感覚を、殆どの人は持ち得ない
ままに、人生を終えてしまうのではないか?
そう。「あしたのジョー2」の中で、ジョーが語ったあの台詞
のように。
「青春を謳歌するってこととはちょいと違うかも知れねえが、
俺は俺なりに、今まで燃えるような充実感を何度も味わって
きたよ。血だらけのリングの上でさ・・・。
ぶすぶすとそこいらにある見てくれだけの、不完全燃焼とは
訳が違う。ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え
上がるんだ。
そして・・・あとには真っ白な灰だけが残る。」
そして、妻も子も、生活の基盤も全て振り捨てて、放浪と俳諧の
世界へと堕ちていった山頭火のように。
「分け入っても分け入っても青い山」
そして、その境地に彼女も足を踏み入れたことで、彼女が、
引いては彼女の演奏に触れた人たちが、喜びを享受できるので
あれば、彼女の決断も報われるというものである。
後半では、そんな彼女が、自身のバイオリン人生を振り返り
ながら、サブタイトルにある境地に至ったインタビューを
読んでいきたいと思う。
(この稿、続く)
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