活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

新幸福論  バイオリニスト千住真理子さん(前編)

2009-05-18 00:28:33 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 2009年5月15日 夕刊3面ワイドより
新幸福論 生き方再発見
サブタイトル:同じ感情を共有したい


弘法筆を選ばず、という言葉がある。
その一方で、弘法にも筆の誤り、という言葉もある。

ズオー大帝の境地には遠く及ばない僕としては、世の中が
そう単純な二元論で出来ているとは思えないので、どちらも
正解というところが落ち着きどころだろう。

ただ、そうしたレベルを遥かに凌駕した領域を、道具に求める
次元に生きている人たちもいる。

今回のインタビュー記事の主人公の千住真理子氏も、そうした
世界に生きる人である。

そうでなければ、バイオリン(に拠らず、自己実現のツールに
といってもいい)に3億円も注ぎ込める道理もない。
※ 金額は、推定。彼女が2002年にストラディバリウスの
 「デュランティ」を入手したときのもの。
  元は、ローマ法王に献上されたものらしい。

誤解の無いように敢えて言及するが、千住氏がそうした高額の
道具を入手したことをどうこう言っているのでは断じてない。

それだけの思い入れを持つことが出来る対象を持っている人、
というよりも、それだけの強いパッションを持っている人が
いるのだ、ということに、素直に感動してのコメントである。


人生の9割以上を、バイオリンに割いている。
そこまで言い切れる彼女だからこそ、到達出来る境地なのだろう。

少し過激な意見になるが、今読んでいる「下流社会 新たな
階層集団の出現」三浦展著 光文社新書 によれば、自らを
下流社会に属していると定義する層の方が、自分らしさを
追い求める傾向にあるのだとか。

自分らしく生きることが、自己実現を訴求することに繋がって
いればいいが、自然体=楽に生きることとなってしまっている
ケースが多い、と著者は主張する。

もちろんそれは、社会構造の変化等の要因もあっての話であり、
そのことだけをもってそうした人たちを詰るような簡単な話
でもないだろうが、少なくとも千住氏がこのバイオリンを手に
入れようと決意したときのような、人生の全てを賭けて対峙
するような、そんなひりついた感覚を、殆どの人は持ち得ない
ままに、人生を終えてしまうのではないか?

そう。「あしたのジョー2」の中で、ジョーが語ったあの台詞
のように。

「青春を謳歌するってこととはちょいと違うかも知れねえが、
 俺は俺なりに、今まで燃えるような充実感を何度も味わって
 きたよ。血だらけのリングの上でさ・・・。

 ぶすぶすとそこいらにある見てくれだけの、不完全燃焼とは
 訳が違う。ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え
 上がるんだ。

 そして・・・あとには真っ白な灰だけが残る。」

そして、妻も子も、生活の基盤も全て振り捨てて、放浪と俳諧の
世界へと堕ちていった山頭火のように。

「分け入っても分け入っても青い山」



そして、その境地に彼女も足を踏み入れたことで、彼女が、
引いては彼女の演奏に触れた人たちが、喜びを享受できるので
あれば、彼女の決断も報われるというものである。


後半では、そんな彼女が、自身のバイオリン人生を振り返り
ながら、サブタイトルにある境地に至ったインタビューを
読んでいきたいと思う。

(この稿、続く)



千住家にストラディヴァリウスが来た日 (新潮文庫)
千住 文子
新潮社

このアイテムの詳細を見る


バイオリンレパートリー 千住真理子/ドルチェ

ヤマハミュージックメディア

このアイテムの詳細を見る


バイオリンレパートリー 千住真理子/G線上のアリア 監修:千住真理子 (バイオリンレパートリー)

ヤマハミュージックメディア

このアイテムの詳細を見る

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アサヒビール吹田工場見学ツアー | トップ | 新幸福論 バイオリニスト千... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(新聞記事編)」カテゴリの最新記事