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こだわりを捨て自分を笑う 土屋賢二さん 新幸福論

2009-12-03 04:44:23 | 活字の海(新聞記事編)
2009年11月13日(金) 毎日新聞夕刊 3面夕刊ワイドより
インタビュイー:土屋賢二(哲学者) 
インタビュアー:遠藤拓(毎日新聞記者)
サブタイトル :こだわりを捨て自分を笑う



こうした境地を、”達観”と言うのだろうか。

冒頭で紹介される一文を、引用しよう。

<何もしないとまず幸福はやってこない。
 しかし、何かすると幸福は絶対にやってこない。
 ・・・
 幸福については、このような深遠そうな格言を簡単につくる
 ことができる>


土屋氏の近著「純粋ツチヤ批判」からの一説である。


幸せになりたい。

凡そ、世にある人々にとって、普遍的な願望であると言ってよい
だろう。

だが。
そうした想いこそが、実は不幸せの元凶だ、と氏は指摘する。


すなわち。
幸せになろうとする行為は、常に自分を幸せか、そうでないかを
見極めることでもある。

そうした思いに囚われている状態そのものが、実は十分不幸せだと
言える訳である。


従って。
幸せになりたいと思うことは、そうした我執に囚われることと
同義語となる。


では、どうすればよいのか?

その答えが、サブタイトルにもある

 「こだわりを捨て自分を笑う」

ということである。


頑張る、と言う言葉は、我を張るに通じる。

我が、我がという意識を皆が持ち続ける限り、この世は生き辛いもの
となるだろう。

それよりも。

そうした我執を捨てること。

そして。
常に、物事を相対化する視線を持つこと。

これについて、氏はとても分かりやすい比喩を挙げている。

「丸い地球を平らにすることは自分の意思ではどうにもなりませんが、
 何を重大と考えるかは、自分でコントロールできるのですから。」


すべてを相対化する視線を持つこと。
それは、執着心を捨てることで可能となる視線である。

己の立脚点に拘らず、自由に立場を替える自由を得ることで、人は
拘りから解放されることとなる。


かのダスティ・アッテンボロー曰く、宇宙で最強の台詞である、

 「それがどうした!」

に通底する見識でもある。

※ アッテンボロー:「銀河英雄伝説」に登場する自由惑星同盟群提督。



「それがどうした!」の効用については、全くもって同意するが。

前段の我執に纏(まつ)わる話については、正直素直に首肯するとは
言えないのが正直な想いである。


確かに。
仏教においても。

戒、定、慧の3学の教えは、即ち我執を捨て去り、万物をあるがまま
受け入れることを諭すものとして理解している。


※ この境地については、第125回芥川賞作家である玄侑宗久氏の
  エッセイ「がんばるのではなく」によくまとめられている。

他者を蹴落としてまで、自分の我を押し通す。
その姿を浅ましいと見ることは、まだ理解できる。

また。
己の欲望のままに生を貪ることで、他者を害する。
これがいけないことも又、理解できる。


だけど。
例えば画家が、自分の欲するただ1本の描線を求めて、何枚も
下書きを重ねていく行為を。

例えば小説家が、今表現したい思いを載せる言葉を捜して、
只管に身悶えするような煩悩の末に文章を紡いでいく行為を。

我執に満ちた、邪な行為と断罪することが出来るのだろうか?


そうした思いもまた、拘りと執着の末に行き着くものであればこそ。

必要な。
あるいは、許容されるべき我執というものも又、存在するのでは無いか。


結局は。
”こだわりを捨てる”ことにこだわることを止めることも又、認めて
然るべきなのだ、と思う。


何にこだわり、何にこだわらないのか。

そこを見極めることは、それこ視線の相対化に繋がるものでもあり、
人が一生をかけて培っていかなければならない見識なのだろう。


それが、生きるということなのだ。と思う。


(この稿、了)




純粋ツチヤ批判
土屋 賢二
講談社

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2 コメント

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Unknown (シャドー81)
2009-12-03 22:47:13
今日の報道ステーションで、非電化冷蔵庫の話をしていた。

作った人が、電化がある、非電化がある。もし非電化が気に入れば、非電化冷蔵庫を少し使えばいいじゃない。
そうすれば少し幸せになれる、環境負荷にもならない。
私?電化冷蔵庫も持ってますよ。だって、アイスクリームが食べられないじゃない。

そんな感じか?
返信する
Unknown (MOLTA)
2009-12-05 01:17:32
うん。
そんな感じだと思います。

つまりは、何事も中庸が大切ということで。
返信する

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