活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

恐怖心が奪うもの   芹沢 一也

2007-11-22 22:34:02 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 11月20日(火)夕刊 5面 文化 批評と表現(ダブルクリック)より

先週に引き続き、芹沢氏のコラムへのレビュー。

芹沢氏と作家の川端裕人氏と話した際のエピソードを中心に。

犯罪件数が決して増えているものではない、という事実を持って、
少しでも人々の心が安んじられれば、という氏や川端氏、その周辺の人々の思いは、
それでも犯罪の確率が0で無い以上、どんな手段を講じてでも子供たちを
守らないと、と主張する母親たちの前に、力なく立ち消えてしまう。

更に、会話の最後に川端氏が示した1枚のパンフレット。
そこには、ある養護学校が作成した知的障害者を不審者扱いしないで、
という悲鳴のようなメッセージが書かれていた…

誰もが、自分と、自分を取り巻く人々の健やかな日々を願っている。

TVをつければ、ニュースを見れば、日々繰り返される残虐なニュース。
それらを前にして、愛する人が、子供が、もしそうした被害にあったらと
想像し、おののき、できる限りの対処をしようとする気持ちは理解できる。

だが、そうした気持ちが社会不安の形をとるとき、
必然的に異質者排斥の風潮を生んでしまう。

しかもそれは、社会の多様性否定に繋がることで、結局は僕たちの社会の
進化の可能性をも摘み取ってしまう。

そうした袋小路に入り込まないためにも、僕たちは意味の無い恐怖心は、
克服しないといけない。というのが今回の氏の主張の骨子である。


そうした氏の思いには、まったく同感である。
であるがしかし、現実的な解として、ではどのようにしてその恐怖心を
克服できるというのか?

人は、知ってしまえば、もう元には戻れないのだ。

TVも新聞も無かった時代。
その頃から、人間の一面としての残虐性が発揮された猟奇事件はあったことだろう。
だが、幸いにして、そうした話は伝聞でしか伝わらず、
しかも伝わるエリアもスピードも限定されていた結果、
必要以上に人々の恐怖心を刺激することも無かった。

だが、技術の進歩により、情報伝達の即時性がここまで発達してきた現在、
それに対して人々はどのように対応していくのか、
もしくはしなければならないのかを見出していくことこそが、
人間に課せられた課題なのだと思う。

しかしながら、さながらマンモスの牙よろしく、
進化の袋小路に陥りこんだ感のある今の社会を見ていると、
芹沢氏の提唱するような「意味の無い恐怖心を克服」することが
果たして可能なのか?と考えざるを得ない。

話は飛躍するが、今から約30年前。
富野由悠季(当時は富野善幸)は、その監督作品である
「機動戦士ガンダム」の中で、人の進化の方向として『ニュータイプ』という
概念を提唱した。

『ニュータイプ』の解釈については様々な意見があるが、
僕は
 
 他者と精神的な感応を持てることにより、より正確に他者を認知できるように
 なることが出来る能力

    = 意味の無い恐怖心を克服できる能力

と解釈している。

これは取りも直さず、今の人類のままでは、人は(意味の無い恐怖心)を克服できない、
と宣言しているに等しい。

人が、その進化した科学文明に見合うだけの精神的高みに登るには、
変わる必要があるのか? また、変わることが出来るのか?

その答えに向き合うには、現実は、あまりにも暗く、重い。


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