活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

記者の目 ■赤ちゃんポスト 法的問題 先送りするな

2009-07-25 00:00:06 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 2009年7月7日(火) 朝刊7面 オピニオン
筆者:勇気かほる(毎日新聞記者(熊本支局))
サブタイトル:子どもの権利整理し 即断を
       自身を肯定できる社会に


※ このコラムの元記事は、こちらで読めます



熊本市の慈恵病院が始めた「こうのとりのゆりかご」というシステム

気がつけば、もう2007年5月の運営開始から、2年以上が経過
したことになる。

今回の「記者の目」は、この「こうのとりのゆりかご」に関する問題を
取り上げている。


<脚注>
因みに、記者も使用している「赤ちゃんポスト」なる呼称は、
病院は採用していない。
Wikiによれば、そもそもが赤ちゃんポストという言葉の
語源が不明であり、日本で何時、誰が使い出したのかはよく
分かっていないらしい。

いずれにしても、ポストに投函という、子どもを無機的な
モノに例えるような呼称については、推進派、反対派双方から
異論が述べられているとか。

記者は、コラム中では赤ちゃんポスト、あるいは単にポスト
という呼称を使用しているが…。
<脚注完>



この記事を読むまで、正直この仕組みにどのような問題が内在して
いるのかについて、十分に考えたことがなかった。

もう少し噛み砕けば。
乳幼児の虐待事件が相次いで報道される中にあって、こうした
取り組みは、そうした子供たちを少しでも救うことが出来る
のではないかという安心感と、様々な障壁も有ったろうに、
よくぞこうした取り組みを始めたという創設者への尊敬の念。
そのあたりで、思考停止していたというのが正直なところである。


だが。
今回のコラムを、一読してみて。
サブタイトルにもある通り、仕組みとしては発足したものの、
その仕組みがもたらした現実に対する法制度の未整備感を
改めて実感させられた。

その制度の不備とは、ゆりかごに預けられた子どもへの対応に
関するものである。

記者に拠れば、その問題とは、以下の三つに分類できる。

 ① 預けられる前に、病院が事前相談を受けた場合
   基本的には親に対して養育を支援するようなアプローチが
   為されるが、親権放棄により子どもを希望する養親へ特別
   養子縁組に斡旋することも可能となる。

 ② 預けられ、かつ親子の身元が判明している場合 
   児童相談所が対応。
   児童相談所の判断にもよるが、原則的には本来の親元で
   子どもが育てられるように、親に対して接していくという。

 ③ 預けられ、かつ親子の身元が判明しない場合 
   こちらも、児童相談所が対応。
   但し、親権の停止については、虐待等の明らかな根拠が
   無い場合には適応できないとして、①に挙げたような
   特別養子縁組を結ぶといった対処を取ることができない。


①~③。それぞれに問題は内包しているだろうが、中でも深刻なのは
当然②と③の場合だろう。


②については、過去にも「凍りついた瞳」シリーズの書評等で、
その対応の困難さを紹介してきた。

新聞等の虐待報道では何かと非難されることが多い児童相談所も、
少ない予算と人出の中で、精一杯頑張っていると思いたい。

それでも。
子どもは親の親権の庇護下にあるべきという原則論に自縄自縛され、
まず親元に子どもを帰すべきという対応に終始することの是非に
ついては、とても無条件に首肯できないことは自明だろう。

これだけ、親の子殺しが報じられる世の中にあって、どうして
親権の無謬性が不磨聖典の如く語られなければならないのか。

記者は、③こそが問題としているが、当座の子どもの生命の
安全を考えたときには、とにもかくにも親元から完全に隔離される
ことで、虐待等から一先ずは子供の身の安全が担保される③よりも、
もっと深刻な問題を抱えているのがこの②だと言えるだろう。


が。
ここは、記者の主張に沿って、③について話を進めていく。

確かに、③も問題を孕んでいることは間違いない。

養子縁組制度は、普通養子と特別養子の二種類がある。
両者の違いは、要約すれば実親との関係性にある。
普通養子が、実親との関係性が維持され、いわば養親と合わせて
4人の親が存在するような形となるのに対して、特別養子の場合には
実親との関係性は完全に絶たれることとなる。

当初は家父長制度化にある日本において、跡取りを迎えるといった
際に用いられた普通養子しか無かったところに、養子となった子どもの
帰属性をはっきりさせることと、何より子供に暖かい家庭を提供する
という福祉目的で、昭和62年の民法改正により特別養子縁組という
制度が生み出されたと理解している。


それは、いい。
問題は、そのシステムを利用する際のハードルの高さである。

そのハードルには様々なものがあるが、③に大きく関わるものとして、
実父母の同意が必要であること、というものがある。

これは、実父母との縁故関係が完全に途絶する特別養子縁組の遂行に
当たって、当事者である実父母の意思確認が必要という趣旨からで
あるが、③の場合はその当の実父母が不明なのだから、意思の確認
しようがない。

更には、原則として6歳未満の子供のみが対象とされる。

これは、それ以上の年齢になると、養父母との間に緊密な親子関係を
構築することは難しいとする判断によるものである。

が。
これが見事に裏目に出ようとしているのが、③の場合である。

身元不明のまま施設に預けられた乳幼児は、例えその子を特別養子に
(それは即ち、実の子として育てるということである)迎えたいと
する養父母が現れたとしても、これらのハードルのため縁組を成立
させ得ない。

かくして、無為に時は流れ、その子は6歳を迎えてしまうのだ。



今、何を第一義に考えねばならないのか。
それは、親権か。あるいは子権か。

答えは、明らかである。

子供を守り、慈しみ、育んでいくことこそが、社会全体の義務で
あるならば、その子を放棄しようとする親の権利と、捨てられようと
する子供の権利が同等である筈も無い。

前述した②の場合とも合わせて、即刻法的問題の解消を切望する。


子供が育まれるべき場所が、地獄であってはならない。
これは、決して比喩などではない。

児童虐待からのサバイバーにとって、生きる環境そのものが
地獄だったのだから。

(この稿、了)


(付記)
記者もコラムの中で触れていたが、本件に関する法整備の必要性は
慈恵病院の院長が小渕裕子少子化対策相に対して本年1月に訴えた
そうである。

残念ながら、訴えから半年以上が経過した現在も、これについて
何かのアクションが行われたという話は、無い。





子供は誰のものなのか?
なぜ、子供に値段がつくのか?
読むと、戦慄が走ります。
赤ちゃんの値段
高倉 正樹
講談社

このアイテムの詳細を見る



生きることが地獄だった。
それが軽々しい例えなんかではなく、逃れようの無い現実だったと
したら。
読んでいて、胸が潰されそうになる本。
凍りついた瞳が見つめるもの―被虐待児からのメッセージ (集英社文庫)

集英社

このアイテムの詳細を見る

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 楽あれば苦あり 小川洋子 ... | トップ | 「第36回JAXAタウンミーティ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(新聞記事編)」カテゴリの最新記事