壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

書の名宝展

2008年08月31日 20時14分17秒 | Weblog
 書の愛好家、書の人口が如何に多いかを、思い知った展観であった。

 「北京故宮・書の名宝展」を拝観するため、両国の江戸東京博物館へ出かけた。
 日中平和友好条約締結30周年記念・江戸東京博物館開館15周年記念特別展とあるように、書のふるさと中国の北京故宮博物院から、名宝65点がやってきた。
 目玉は、王義之の「蘭亭序」で、ここは常に70人ほどの行列ができていた。並ぶのが嫌いなので、行列の人の肩越しに、名宝をじっくりと鑑賞した。
 行列の人たちは立ち止まることが許されず、ベルトコンベアのように動かねばならない。

 王義之は、4世紀初めの中国、晋の時代の名門貴族の出身で、若くして将軍や地方の長官を歴任した。
 7歳のころから書を学び、書が大変上手だった。
 現代の私たちが書いている漢字書体の発展に大きく貢献し、後の人々に大きな影響を与えた。今では、「書聖」と呼ばれている。

 ――永和九年(353)三月三日、会稽の地方長官だった王義之は、名勝として知られる「蘭亭」で、地元の名士たちを招いて「曲水の宴」という詩会を催した。
 この詩会はたいへん盛り上がり、酒の酔いも手伝って気持ちがよくなった王義之は、この詩会の作品を集めた詩集の序文を書いた。これが、「蘭亭序」という世界的に有名な作品なのである。
 ちなみに、王義之は、酔いがさめてから何度も「蘭亭序」を書き直したが、詩会の際に書いた作品よりうまく書けなかったそうだ。
 最も気持ちよく書いたものが、最も出来ばえがよい、ということか。

 「蘭亭序」には、詩会当日の天候や会場周辺の様子の他、「時代は変われども感動の源は同じ。後にこれらの詩文を読む人も、心を動かすであろう」などと、人間の普遍的な感動も書かれている。
 王義之は、書を芸術の域にまで高めただけはでなく、感じたこと、思ったことを素直に文章に書く、という意味においても先んじていた。

 王義之が自ら書いた「蘭亭序」は存在しない。
 中国の唐の時代の皇帝・太宗が、王義之の作品が大好きで、手当たりしだい集めた。中でも「蘭亭序」をこよなく愛し、「昭陵」という自分の墓まで持って行ってしまったのである。
 この皇帝・太宗は、当時の一流の書家に、たくさんの「蘭亭序」の複製を作らせた。その中で、最も出来のよい作品の一つである「八柱第三本」が、今回展示されている、ということだ。
 現存している「蘭亭序」の中でも保存状態がよく、鮮やかな墨色で、文字がくっきりと見える。
 北京故宮博物院でも通常は公開されていない貴重な作品であるが、北京故宮博物院の協力により、日本で初めて公開されることになった、という。

 これらの名宝に接し、つくづく思った。現代書壇を牛耳る連中の「品格」のなさを、「へた」さかげんを……。


      九月くる書の名宝をまのあたり     季 己


 ※王義之の「義」の字は正しくありません。正しい字をパソコンで出す力がないので、お許しください。