壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

加藤康景 作陶展

2008年02月07日 21時51分36秒 | Weblog
 日本橋高島屋・6階美術画廊で、「加藤康景 作陶展」を観る。
 加藤康景は、1964年に美濃焼きの陶祖の家系に生まれ、備前の山本陶秀に師事の後、名古屋芸術大学で彫刻を学んだ、志野の俊英作家である。
 のちに地元有志の勧めで、美濃陶祖十四代「康景(やすかげ)」を襲名した。この、周囲に推されて襲名したということで、氏の人格・品格がよくわかる。
 また、陶祖の家系に生まれながら、遠い備前で、他人の“窯”の飯を食うことは、なかなか出来ないことだ。

 今回は、志野を中心に瀬戸黒、織部の茶碗、水指、花入、花器など、50余点の見事な展覧である。
 美濃陶祖十四代目という、伝統の重みに負けることなく、土と正面から向き合い、土味を活かした造形を追求されている、とは美術部の方の弁。

 作家の印象を一言で言うと、<剣豪・宮本武蔵>、それも晩年の宮本武蔵だ。この若さで風格があり、枯淡のようでありながら、光り輝く心を持っている。
 それが作品にも投影され、全体的に、風格がありながら、志野特有のあたたかさにあふれた作品が多い。今回は黄瀬戸にも挑戦されたと聞いたが、ほっこりした佳品に仕上がっている。織部では茶碗に1点、まさに剣豪・宮本武蔵の作、と言いたくなるような作品があった。残念ながら売約済みであったが…。

 この作家は自分に厳しく、作品の合格ラインも非常に高いと、美術部のHさん。
 また、作家に直接伺ったところによると、今回の展覧作品は、それぞれの№1のものばかりを厳選してきた、という。
 茶碗に限っていえば、造形面では、口作りのゆるやかな起伏、胴回りの土を削いだあとの荒々しさに、剣豪・武蔵が見て取れる。これは、作家生来の感性を湛えているからであろう。
 赤松割材で焼いた鮮やかな火色と、長石の白が見事な景色を見せる。
 伝統を受継ぐ若き陶祖の堂々たる、現代の志野である。

 わたしは一隅のコレクターの端くれで、目利きではない。したがって“もの”の善し悪し、本当の価値は、ほとんどわからない。ただ、自分が好きなものだけはわかる。
 わたしが好きな茶碗は13点あったが、5点は売約済み。残りを消去法で消していき、5点にしぼったら、作家が、その5点を一ところに集めて並べてくれた。
 なるほど、こうすれば比較は容易だ。けれども甲乙つけがたい。作家に尋ねると、「ご自分で茶碗を持って、あたたかく感じられるものを…」と応えてくれた。
 その結果わかったことは、どんなに迷っても結局最後は、一番先に気に入った“もの”に落ち着く、ということだった。

    
      もういいよもういいかいと木々芽吹く     季 己