壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

桃の花

2010年02月27日 21時36分00秒 | Weblog
        煩へば餅は食はじ桃の花     芭 蕉

 『山之井』の「三月三日」の条に、
     「よもぎのあも(注、餅)つくことはからの文にもあめると見ゆれば、
      おんぞろか(注、もちろん)是もけふの題なり」
 とあって、桃の節句に草餅はなくてはならないものの一つだが、その一つを欠くことになったことが、発想の契機となったものである。軽い即興の句として味わいたい。

 中七「餅(もちひ)は食はじ」を、「餅(もち)をも食はず」、「餅こそ喰はね」とする伝本があるが、土芳の伝えた「餅は食はじ」に従いたい。「餅をも食はず」は、「せっかくの餅さえ食わない」の意に近く、「餅こそ喰はね」という形だと、はっきり「餅を喰わない。けれども」という傾向をもつことになろう。

 「煩へば」は、病気で寝込んでいるとの意で、心に思い苦しむの意ではない。
 「餅は食はじ」は、餅は食うまいというので、食欲がないのであろう。餅は、桃の咲くころだから蓬餅(よもぎもち)かも知れない。「もちひ」は、「餅飯(もちいひ)」から出た古語。
 
 季語は「桃の花」で春。
 詩経の巻頭を飾る「桃之夭夭灼灼其華……」の句は、江戸時代の人たちは誰でも知っていたという。桜よりも温雅で、ぽってりとした花のかたちを好む人も多い。「緋桃」・「白桃」・「源平桃」など、品種もかなりあって、それぞれに艶である。梅と桜の花期の空白を埋める、貴重な花木でもある。

    「こうして病気をしていると食欲がないので、草餅の時節であるが、それは食べないでおこう。
     しかし、桃の花だけは、しみじみ見ることにしよう」


 抗ガン剤を打たない週はホッとする。抗ガン剤は、ガンを縮小させるために必要なのかも知れない。しかし、副作用が強く、我が身、我が命を縮めているような気がしてならない。
 幸い、副作用は、末梢神経障害ぐらいで、食欲はあるので、それを喜ばねばなるまい。だが、草餅も食べられなくなるのなら、即、抗ガン剤を拒否したい。
 「病は気から」と言われるが、最後は自分で治すしかなかろう。自然治癒力を信じて努力するほか……。

      水音の光り夕桃花ざかり     季 己