壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

冬田

2008年12月02日 21時56分36秒 | Weblog
 このあいだまで、黄金の稲穂が波打っていた水田に、稲刈り、稲扱き、それから籾摺りと、忙しく立ち働く、一時のあわただしさが過ぎると、あとには水を落として黒々と干上がった刈田の面に、規則正しく稲の切り株が並ぶ。冬田である。
 麦を蒔き、また野菜などをつくる二毛作の田は、冬田とはいわない。

 裏作に麦を植える地方とは違って、一冬、刈田を遊ばせておく地方、ことに近年のように減反政策で、やむなく休耕を強いられている水田は、刈田というよりは、草ぼうぼうの荒れ田で、その無表情さには、見渡す限りの物寂しさ、荒廃をさえ、感ぜずにはいられない。

 さて、初冬の刈田では、稲の切り株に僅かな青みが残り、落ちこぼれた籾からは、ひとりでに生えてきたヒツヂが若やいだ彩を添えている。ヒツヂは、刈り取った後に再生する稲のことで、秋の季語となっている。
 落穂を拾うカラスが、我が物顔に田の畦を歩き廻ったり、稲塚に止まったりしているのが、初冬の野に一筆を添える眺めである。

        たのみなき若草生ふる冬田かな     太 祇

 短い冬の日差しを頼りに、いつまでの命と、青く萌え出したヒツヂの「頼み(田の実)」無さを詠んでいる。

        ひつぢ田や青みに映る薄氷     一 茶

 刈田のそこここに残る水溜りには、薄氷が張り始め、やがて厳しい冬と変わる。
 稲の切り株も青みを失い、稲塚の藁もすっかり枯れ色になって、冬一色となる。

        冬空は一物もなし八ヶ岳     澄 雄

 ひゅーひゅーと野面を吹きすさぶ北風は、どんどん雲を吹きちぎって、冬の空は、高く青く冴え返ってはいるが、遠くに連なる山々には、もう真白な装いさえ施されているようである。

        雨水も赤くさび行く冬田かな     太 祇

 昼になって、気温がゆるむと、刈田の水溜りの氷も溶けるが、赤く錆びた金気水(かなけみず)が澱んでいるばかりで、侘びしさを紛らすすべもない。

 冬田は、美しい白黒写真の味である。こまごまと整った光と影。荘厳なまでの美しさが、われわれの眼を魅きつけるのは、ことに暁と日没の頃であろう。

        家康公逃げ廻りたる冬田打つ     風 生

 田は、冬の間に地味を回復させ、春の耕しに備える。荒涼とした冬田に美を見出したのは、近代に入ってからであったという。


      落日の冬田を走る又三郎     季 己