加賀の国を過ぐるとて
熊坂がゆかりやいつの魂祭 芭 蕉
地名をその契機とした即興の句である。おそらく、謡曲「熊坂」があったので、心惹(ひ)かれたものであろう。義経に心惹かれている芭蕉が、義経とは逆に、盗賊の名を負う熊坂長範のあわれを詠み生かしたもの。魂祭がそのあわれを呼びさましている。
『曾良書留』には、
熊坂が其の名やいつの玉祭
とある。これが初案と思われる。また『翁草』には、「加賀の国にて」と前書し、
熊坂をとふ人もなし玉祭り
の形を伝える。
魂祭の折と考えれば、元禄二年七月十五日、金沢での作か。熊坂あたりでの作とすれば、八月初旬ごろの作。
「熊坂」は山中から8㎞、大聖寺(だいしょうじ)に近い加賀市三木町にあり、熊坂長範の故郷であると伝えられているところ。
熊坂長範は、平安末期の伝説的大盗賊。謡曲「熊坂」、幸若舞「烏帽子折」などによれば、美濃赤坂の宿に金売吉次を襲い、牛若丸に討たれたといわれる。
季語は「魂祭」で秋。魂祭は、七月十三日の夕刻から十五日(または十六日)まで行なわれる仏事で、現在の「盆」、「盂蘭盆」のことである。地方によっては、八月十三日からというところもある。正月と並んで、一年の前後を分かつ大事な折り目にあたり、家々では、座敷や庭先などに盆棚を飾って祖霊を迎える。
魂祭には、誰も亡き魂を迎えられて、孫や子供に弔われる。だが熊坂は、荒々しい盗賊であるだけに、誰もその営みをすることもないであろう、ということをあわれんだもの。魂祭という季語でないと、これだけの効果はとうてい生まれないところである。
「熊坂長範の生地、熊坂をいま過ぎてゆくところだが、あの牛若丸に討たれた
長範は、盗賊の名を負うこととて、ゆかりの者も世をはばかって、あからさま
にはその魂祭を営むこともなく、打ち絶えていることであろう。いつの日その
魂祭がなされることであろうか。思えば哀れなことである」
耳とほき母が膝打つ盆供養 季 己
熊坂がゆかりやいつの魂祭 芭 蕉
地名をその契機とした即興の句である。おそらく、謡曲「熊坂」があったので、心惹(ひ)かれたものであろう。義経に心惹かれている芭蕉が、義経とは逆に、盗賊の名を負う熊坂長範のあわれを詠み生かしたもの。魂祭がそのあわれを呼びさましている。
『曾良書留』には、
熊坂が其の名やいつの玉祭
とある。これが初案と思われる。また『翁草』には、「加賀の国にて」と前書し、
熊坂をとふ人もなし玉祭り
の形を伝える。
魂祭の折と考えれば、元禄二年七月十五日、金沢での作か。熊坂あたりでの作とすれば、八月初旬ごろの作。
「熊坂」は山中から8㎞、大聖寺(だいしょうじ)に近い加賀市三木町にあり、熊坂長範の故郷であると伝えられているところ。
熊坂長範は、平安末期の伝説的大盗賊。謡曲「熊坂」、幸若舞「烏帽子折」などによれば、美濃赤坂の宿に金売吉次を襲い、牛若丸に討たれたといわれる。
季語は「魂祭」で秋。魂祭は、七月十三日の夕刻から十五日(または十六日)まで行なわれる仏事で、現在の「盆」、「盂蘭盆」のことである。地方によっては、八月十三日からというところもある。正月と並んで、一年の前後を分かつ大事な折り目にあたり、家々では、座敷や庭先などに盆棚を飾って祖霊を迎える。
魂祭には、誰も亡き魂を迎えられて、孫や子供に弔われる。だが熊坂は、荒々しい盗賊であるだけに、誰もその営みをすることもないであろう、ということをあわれんだもの。魂祭という季語でないと、これだけの効果はとうてい生まれないところである。
「熊坂長範の生地、熊坂をいま過ぎてゆくところだが、あの牛若丸に討たれた
長範は、盗賊の名を負うこととて、ゆかりの者も世をはばかって、あからさま
にはその魂祭を営むこともなく、打ち絶えていることであろう。いつの日その
魂祭がなされることであろうか。思えば哀れなことである」
耳とほき母が膝打つ盆供養 季 己