壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋津島

2010年08月31日 22時26分36秒 | Weblog
        稲づまや浪もてゆへる秋つしま     蕪 村

 エル・グレコ(だったと思う)の有名な絵に、市街の全貌が稲妻に照らし出された瞬間を描いたものがあるが、これは日本全土を地図のように俯瞰して、それへ稲妻を閃(ひらめ)かしたのである。空想もこれだけの奔放さを極めると、確かに見事である。
 真っ黒な海の中に、青白い浪垣に囲まれて、稲妻の下に浮き出た秋津島の姿が、我々の想像理にも一種の神秘感を伴いながら呼び覚まされてくる。これを、人口に膾炙(かいしゃ)された
        不二ひとつうづみ残してわかばかな     蕪 村
 と比較してみれば、両句の本質的差異が、自ずから明らかとなる。
 「不二ひとつ」の方は、写実にも空想にも徹底せず、創作の動機が純粋な詩情に発しないで、理知の操作によっているために、ついに低俗な作品に堕している。

 「浪もてゆへる」は、四方が海なので、白浪をもって垣を結ったようである、の意。
 「秋つしま」は、日本国の別称。神武天皇が、大和国の山上から国見をして「蜻蛉(あきず)のとなめせるがごとし」と言ったという故事からという。

 季語は「稲妻」で秋。

    「すべてを超絶したような高い高い空間で、すべてを超絶したように
     激しい稲妻が閃いた。その瞬間、はるか下界の闇の中に、白浪で
     縁取りされた、小さな島の寄り合いが照らし出された。それが秋津
     島であった」


      残暑いつまで滑り落つ鳥の群     季 己