稲づまや浪もてゆへる秋つしま 蕪 村
エル・グレコ(だったと思う)の有名な絵に、市街の全貌が稲妻に照らし出された瞬間を描いたものがあるが、これは日本全土を地図のように俯瞰して、それへ稲妻を閃(ひらめ)かしたのである。空想もこれだけの奔放さを極めると、確かに見事である。
真っ黒な海の中に、青白い浪垣に囲まれて、稲妻の下に浮き出た秋津島の姿が、我々の想像理にも一種の神秘感を伴いながら呼び覚まされてくる。これを、人口に膾炙(かいしゃ)された
不二ひとつうづみ残してわかばかな 蕪 村
と比較してみれば、両句の本質的差異が、自ずから明らかとなる。
「不二ひとつ」の方は、写実にも空想にも徹底せず、創作の動機が純粋な詩情に発しないで、理知の操作によっているために、ついに低俗な作品に堕している。
「浪もてゆへる」は、四方が海なので、白浪をもって垣を結ったようである、の意。
「秋つしま」は、日本国の別称。神武天皇が、大和国の山上から国見をして「蜻蛉(あきず)のとなめせるがごとし」と言ったという故事からという。
季語は「稲妻」で秋。
「すべてを超絶したような高い高い空間で、すべてを超絶したように
激しい稲妻が閃いた。その瞬間、はるか下界の闇の中に、白浪で
縁取りされた、小さな島の寄り合いが照らし出された。それが秋津
島であった」
残暑いつまで滑り落つ鳥の群 季 己
エル・グレコ(だったと思う)の有名な絵に、市街の全貌が稲妻に照らし出された瞬間を描いたものがあるが、これは日本全土を地図のように俯瞰して、それへ稲妻を閃(ひらめ)かしたのである。空想もこれだけの奔放さを極めると、確かに見事である。
真っ黒な海の中に、青白い浪垣に囲まれて、稲妻の下に浮き出た秋津島の姿が、我々の想像理にも一種の神秘感を伴いながら呼び覚まされてくる。これを、人口に膾炙(かいしゃ)された
不二ひとつうづみ残してわかばかな 蕪 村
と比較してみれば、両句の本質的差異が、自ずから明らかとなる。
「不二ひとつ」の方は、写実にも空想にも徹底せず、創作の動機が純粋な詩情に発しないで、理知の操作によっているために、ついに低俗な作品に堕している。
「浪もてゆへる」は、四方が海なので、白浪をもって垣を結ったようである、の意。
「秋つしま」は、日本国の別称。神武天皇が、大和国の山上から国見をして「蜻蛉(あきず)のとなめせるがごとし」と言ったという故事からという。
季語は「稲妻」で秋。
「すべてを超絶したような高い高い空間で、すべてを超絶したように
激しい稲妻が閃いた。その瞬間、はるか下界の闇の中に、白浪で
縁取りされた、小さな島の寄り合いが照らし出された。それが秋津
島であった」
残暑いつまで滑り落つ鳥の群 季 己