壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

歌がるた

2009年01月03日 20時41分09秒 | Weblog
 今年も日本橋へ応援に行ってしまった。もちろん“箱根駅伝”の、である。

 昨日は、最後までテレビの中継を見てしまった。
      ゴールして一礼芦ノ湖の二日     季 己
 ゴールはもちろん、中継所で、走り終えた選手が一礼する姿を見ると、涙が出るほど感動し、すがすがしい気持ちになる。ただ、一礼をする選手の何と少ないことか。

 以前は、箱根のユースホステルに泊まり、応援したものだった。最近はもっぱら日本橋の橋の真ん中あたりが、定席となってしまった。ここからは、ビルの壁面に設置された大型テレビで、箱根駅伝の中継も観られるからである。

 駅伝終了後、いつものように三越の「日本の職人“匠の技”展」をのぞく。客でごった返している所、客がほとんど寄りつかない所など、さまざまである。
 創作万華鏡の「アートプラネット余次元」代表の高瀬義夫さんに、新作の万華鏡を見せていただく。よくも次から次と新作が出来るものだ。聞けば、作ることは当然だが、考えることが楽しいのだ、とのこと。

 帰宅後、NHKのテレビニュースを見ていたら、京都・八坂神社恒例の「かるた会」の模様が放映された。

        加留多読む恋はをみなのいのちにて     朱 鳥

 「加留多」は、「カルタ」と読み、「歌留多」とも書く。一般的に行なわれるのは、「小倉百人一首」の歌がるたをいう。和歌を書いた読み札を読み手が朗詠し、下の句を書いた取り札を、一堂が取り競う、あれだ。
 百人一首の歌がるたが盛んであったのは、明治時代であったといわれる。

        加留多とる皆美しく負けまじく     虚 子

 尾崎紅葉の『金色夜叉』などを参照して、お正月の「かるた会」を見てみよう。

 金屏風・緋毛氈の座敷には、昼をあざむく電気燈が煌々と輝いている。大きなリボンを蝶のように結んだ庇髪の令嬢、チョッキの胸に懐中時計の金鎖を見せびらかした紳士、紺がすりの袖からワイシャツの腕をにゅっと突き出した斬髪の書生。
 大振袖の袂を手繰り上げて、白魚のような麗人の指が、目にも止まらず緋毛氈の上のカルタを撥ねる。

 クラシックとハイカラと、しとやかさと活発さが奇妙に入り交じって調和した明治時代の風景だ。カルタ取りとは、そうした雰囲気の中のもののように思える。
 カルタの代表は、藤原定家の小倉山荘百人一首和歌を源とした百人一首の歌がるたといえよう。
 今からおよそ七百七十年前、定家が、妻の兄の中院入道宇都宮頼綱に頼まれて、古今の歌人の秀歌一首ずつを撰んだ百首を、定家の小倉山荘と目と鼻の先にある頼綱の山荘、嵯峨の中院の襖に貼る色紙として書き与えたのが、始まりであると言われる。
 もっとも、カルタというのは、ポルトガル語であって、英語のカードのことだから、歌がるたとは、奇妙な和洋折衷語だと言える。


      歌がるた並べひとりを楽しめり     季 己