日本の秋は昔から、月・秋草・紅葉・虫の音・鹿の声などの風物に象徴されてきた。
なかでも鹿の声は、暮れてゆく秋の哀れそのものを現わしていると言えるであろう。
百人一首に残る猿丸太夫の、
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋はかなしき
は平安時代であるが、奈良時代からその鳴き声は、舒明天皇の、
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の
今宵は鳴かず 寝ねにけらしも
と心に留められていた。
手向山(たむけやま)の紅葉を賞でて、鹿の声を聞いた奈良の都の人々、大堰川に紅葉を眺めて、小倉山の鹿に涙した平安京の人たちにとっては、こうした歌も、決して観念的な作りごとではなく、実感から滲み出た「もののあはれ」であったろう。
晩秋の交尾期には、牡鹿が牝鹿を呼ぶためにピーッと高く強く鳴き、ひとしお哀愁を覚える。
びいと啼く尻声悲し夜の鹿 芭 蕉
出典は、弟子の杉風(さんぷう)に宛てた書簡である。
元禄七年(1694)九月八日、芭蕉は郷里の上野を立って大坂へ向かい、その夜は奈良に一泊した。そのとき同行した支考の言によれば、宿に着いて宵寝をしたが、月が明らかで、鹿の声があちらこちらで聞こえ、風情があったので、夜中の十二時ごろ、猿沢の池のほとりに吟行に出かけたときの作だという(『笈日記』)。
鹿の鳴き声は、古来、和歌でよく詠まれている素材である。和歌と同じような詠み方を俳諧でしては、俳諧の存在理由がない。
和歌で詠む鹿の鳴き声は、秋の交尾期に妻を呼ぶ牡鹿の高い声であるが、それは「びい」という鳴き方ではない。この句の「びい」と鳴くのは牝鹿の方であろう。もっとも季語としての「鹿の声」は、和歌の伝統に発したものだから、当然、牡鹿の妻呼ぶ声であるが、芭蕉は雌雄の鳴き声をはっきり弁別せず、暗い中で牝鹿の「びい」と鳴く声をとくに牝鹿とは思わず、ただ秋の鹿の鳴き声として詠んだのであろう。
暗い夜更けに「びい」、「びい」と鳴く鹿の声の余韻は、哀切なひびきを伝える。「びい」という擬音語、「尻声」という俗語などを駆使した、そのつかみ方は、和歌にはなかった鹿の鳴き声の把握で、いかにも俳諧らしい。
芭蕉が、この句をはじめ奈良での諸作を書き入れた手紙を、門人の去来や正秀に送ったところ、二人を含め多くの門人たちが「奈良の鹿、殊の外に感じて」、それぞれ自分たちも鹿の句を詠んだことが、句と共に『笈日記』九月十六日の条に記されている。
なお、諸本に多く「ぴい」と引用されているが、杉風宛書簡(写真版)には「びい」と濁点がある。つまり、p音ではなく、b音ということである。
鹿は、日本産の野生動物の中では、大型の代表的な動物であるが、なかなかその自然の生態を見ることはできない。
その点、昔から奈良の春日神社(現在は春日大社)で飼われている鹿の群を見ることは、狭い日本に住む現代のわれわれにとって、得がたい喜びである。
秋の夜を若草山の麓の宿に泊る機会があれば、妻を呼んで鳴く鹿の声を、たやすく枕元に聴くことができるであろう。
恋風は何処を吹いたぞ鹿の声 蕪 村
やさしさや鹿も恋路に遊ぶ山 一 茶
などの句は、こうした鹿の心情を思いやってのことであろう。
寝返りを打つてもひとり鹿の声 季 己
なかでも鹿の声は、暮れてゆく秋の哀れそのものを現わしていると言えるであろう。
百人一首に残る猿丸太夫の、
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋はかなしき
は平安時代であるが、奈良時代からその鳴き声は、舒明天皇の、
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の
今宵は鳴かず 寝ねにけらしも
と心に留められていた。
手向山(たむけやま)の紅葉を賞でて、鹿の声を聞いた奈良の都の人々、大堰川に紅葉を眺めて、小倉山の鹿に涙した平安京の人たちにとっては、こうした歌も、決して観念的な作りごとではなく、実感から滲み出た「もののあはれ」であったろう。
晩秋の交尾期には、牡鹿が牝鹿を呼ぶためにピーッと高く強く鳴き、ひとしお哀愁を覚える。
びいと啼く尻声悲し夜の鹿 芭 蕉
出典は、弟子の杉風(さんぷう)に宛てた書簡である。
元禄七年(1694)九月八日、芭蕉は郷里の上野を立って大坂へ向かい、その夜は奈良に一泊した。そのとき同行した支考の言によれば、宿に着いて宵寝をしたが、月が明らかで、鹿の声があちらこちらで聞こえ、風情があったので、夜中の十二時ごろ、猿沢の池のほとりに吟行に出かけたときの作だという(『笈日記』)。
鹿の鳴き声は、古来、和歌でよく詠まれている素材である。和歌と同じような詠み方を俳諧でしては、俳諧の存在理由がない。
和歌で詠む鹿の鳴き声は、秋の交尾期に妻を呼ぶ牡鹿の高い声であるが、それは「びい」という鳴き方ではない。この句の「びい」と鳴くのは牝鹿の方であろう。もっとも季語としての「鹿の声」は、和歌の伝統に発したものだから、当然、牡鹿の妻呼ぶ声であるが、芭蕉は雌雄の鳴き声をはっきり弁別せず、暗い中で牝鹿の「びい」と鳴く声をとくに牝鹿とは思わず、ただ秋の鹿の鳴き声として詠んだのであろう。
暗い夜更けに「びい」、「びい」と鳴く鹿の声の余韻は、哀切なひびきを伝える。「びい」という擬音語、「尻声」という俗語などを駆使した、そのつかみ方は、和歌にはなかった鹿の鳴き声の把握で、いかにも俳諧らしい。
芭蕉が、この句をはじめ奈良での諸作を書き入れた手紙を、門人の去来や正秀に送ったところ、二人を含め多くの門人たちが「奈良の鹿、殊の外に感じて」、それぞれ自分たちも鹿の句を詠んだことが、句と共に『笈日記』九月十六日の条に記されている。
なお、諸本に多く「ぴい」と引用されているが、杉風宛書簡(写真版)には「びい」と濁点がある。つまり、p音ではなく、b音ということである。
鹿は、日本産の野生動物の中では、大型の代表的な動物であるが、なかなかその自然の生態を見ることはできない。
その点、昔から奈良の春日神社(現在は春日大社)で飼われている鹿の群を見ることは、狭い日本に住む現代のわれわれにとって、得がたい喜びである。
秋の夜を若草山の麓の宿に泊る機会があれば、妻を呼んで鳴く鹿の声を、たやすく枕元に聴くことができるであろう。
恋風は何処を吹いたぞ鹿の声 蕪 村
やさしさや鹿も恋路に遊ぶ山 一 茶
などの句は、こうした鹿の心情を思いやってのことであろう。
寝返りを打つてもひとり鹿の声 季 己