上 巳
袖よごすらん田螺の海人の暇をなみ 芭 蕉
上巳(じょうし)の当日、潮干狩に興ずる海人(あま)に対して、田螺(たにし)とりに忙しい山里の趣を思いやった句である。和歌的な口調で仕立てたもの。ひなびた田螺とりのさまを「田螺の海人」といい、その挙措(きょそ)を「暇をなみ」とか「袖よごすらん」などという優雅な用語で歌い出したところに、延宝期の尾を引く発想の性格が見えている。天和二年(1682)の作といわれるが、句風は延宝ごろの感じが強い。
「上巳」は俗に「じょうみ」とも読み、三月初の巳の日の意で、この日行なわれた節句をいうが、中古以後は三月三日とされている。この日は潮が大いに干るといわれ、江戸期から潮干狩を行なう風習がある。
「田螺の海人」は、田螺をとる農夫。田螺は貝なので、農夫を海人に見なしたもの。田螺はゆでて、浅葱(あさつき)などとともに酢味噌和えにし、雛に供えたものであった。俳諧的な俗の世界のものである。
「暇をなみ」は、ひまがないので、というほどの意。「……を……み」の形は、万葉以来の歌語。
「上巳」の句で春。「田螺」も春の季語。
「今日は三月三日。海辺では大潮なので、人々が潮干狩に興じているであろう。一方、田ん
ぼでは農夫たちがまるで海人のように、雛に供えるべき田螺をとるのに忙しく、さだめし
その袖は田んぼの泥でよごれていることであろう」
紙ひひな匂袋をよろこべり 季 己
袖よごすらん田螺の海人の暇をなみ 芭 蕉
上巳(じょうし)の当日、潮干狩に興ずる海人(あま)に対して、田螺(たにし)とりに忙しい山里の趣を思いやった句である。和歌的な口調で仕立てたもの。ひなびた田螺とりのさまを「田螺の海人」といい、その挙措(きょそ)を「暇をなみ」とか「袖よごすらん」などという優雅な用語で歌い出したところに、延宝期の尾を引く発想の性格が見えている。天和二年(1682)の作といわれるが、句風は延宝ごろの感じが強い。
「上巳」は俗に「じょうみ」とも読み、三月初の巳の日の意で、この日行なわれた節句をいうが、中古以後は三月三日とされている。この日は潮が大いに干るといわれ、江戸期から潮干狩を行なう風習がある。
「田螺の海人」は、田螺をとる農夫。田螺は貝なので、農夫を海人に見なしたもの。田螺はゆでて、浅葱(あさつき)などとともに酢味噌和えにし、雛に供えたものであった。俳諧的な俗の世界のものである。
「暇をなみ」は、ひまがないので、というほどの意。「……を……み」の形は、万葉以来の歌語。
「上巳」の句で春。「田螺」も春の季語。
「今日は三月三日。海辺では大潮なので、人々が潮干狩に興じているであろう。一方、田ん
ぼでは農夫たちがまるで海人のように、雛に供えるべき田螺をとるのに忙しく、さだめし
その袖は田んぼの泥でよごれていることであろう」
紙ひひな匂袋をよろこべり 季 己