壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

残暑

2009年08月28日 20時37分21秒 | Weblog
 立秋後の暑さを「残暑」という。ここ数日、涼しさを感じた身体には、今日の残暑は、盛夏以上に厳しく感じられた。
 俗に、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、秋の彼岸を過ぎると猛暑が嘘のように失せて涼しくなるが、はたして今年はどうだろうか。

        牛部屋に蚊の声くらき残暑かな     芭 蕉

 この句、『三冊子』に「此の句、『蚊の声弱し秋の風』と聞えしなり。後直りて、自筆に『残暑かな』とあり」と注記して掲出されている。また、『泊船集』などには「牛部屋に蚊の声弱し秋の風」とあり、これが初案であると思われる。

 初案では、「弱し」と「秋の風」がつきすぎていて、それだけに常識的な構成になってしまい、せっかくの「牛部屋」の特異性が十分に生きてこない。
 改案の「蚊の声くらき残暑かな」になると、蚊の声のあり方が、まさに残暑という一つの季節そのものの感じとして生かされるに至っている。

 聴覚的なものを視覚化して把握したものとしては、すでに『野ざらし紀行』の中に「海暮れて鴨の声ほのかに白し」の作があってよく知られているが、この「蚊の声くらき」もそれに並べて評価できるのではなかろうか。
 しかも、この場合の「くらき」は、牛部屋の昼の時間内における暗さ、獣のにおいそのものがもつ暗さをも感じさせるものとなっている。

 「残暑」が季語で秋。「蚊の声くらき」という特異な把握の中に、その季節が的確につかまれている。
 初案の季語は「秋の風」。「蚊」は夏季であるが、ここでは残暑につつまれてはたらく。

    「暑苦しく獣の匂いが満ちた牛部屋の暗がりの中に、蚊の声がくらくこもって
     いて、ひとしお残暑のけだるさを感じさせられることだ」


      秋暑し浅漬けに竹串を刺し     季 己