門前の小家もあそぶ冬至かな 凡 兆
「冬至」は、一年中で最も太陽の位置が低く、昼が最も短い日である。
旧暦では十一月にあり、陽暦では十二月二十二日頃にあたる。
古来、「陰極まって陽始まる日」として、朝廷はじめ庶民も祝日とした。また、禅寺では特に、師家(しけ)や門弟に酒飯(しゅはん)を送って祝ったから、「門前」は、禅寺またはそれに類する寺と思われる。
寺の門前には、参詣者相手の店があるから、「小家(こいへ)」はその一軒であろう。
この句は、「門前の小家」を客観的に詠んだ写生句であるが、「あそぶ」というところに、休日を得た庶民の姿が生動する。
冬至の句は、蕉門に他にもあるが、これほどの秀句はないと思う。
季語は「冬至」で冬。
「そうか今日は冬至だ。宮中でも祝賀が催されるが、ここの寺も、いつもの
厳しさが感じられず、どことなくのんびりしている。門前の小さな店屋の
人たちも、一日商いを休んでゆったりと遊んでいるよ」
絵手紙の鯛焼の顔やさしかり 季 己
「冬至」は、一年中で最も太陽の位置が低く、昼が最も短い日である。
旧暦では十一月にあり、陽暦では十二月二十二日頃にあたる。
古来、「陰極まって陽始まる日」として、朝廷はじめ庶民も祝日とした。また、禅寺では特に、師家(しけ)や門弟に酒飯(しゅはん)を送って祝ったから、「門前」は、禅寺またはそれに類する寺と思われる。
寺の門前には、参詣者相手の店があるから、「小家(こいへ)」はその一軒であろう。
この句は、「門前の小家」を客観的に詠んだ写生句であるが、「あそぶ」というところに、休日を得た庶民の姿が生動する。
冬至の句は、蕉門に他にもあるが、これほどの秀句はないと思う。
季語は「冬至」で冬。
「そうか今日は冬至だ。宮中でも祝賀が催されるが、ここの寺も、いつもの
厳しさが感じられず、どことなくのんびりしている。門前の小さな店屋の
人たちも、一日商いを休んでゆったりと遊んでいるよ」
絵手紙の鯛焼の顔やさしかり 季 己